小説
二十九話



 魔物に当てはめるのもなんだが、狂病に侵されるが故の凶暴性を失い正気を取り戻したところを一掃するのは容易かった。少なくとも、クウランクッカにとっては。
 リフショールの周辺からでも空を飛翔するドラゴンは見えたし、グレンと恐らくヴィオレがそれらを相手していることが理解できた。国のほうも遠眼鏡や投影鏡などの魔道具を使って事態を把握しているだろう。
 我を取り戻し、ドラゴンの脅威が取り除かれると住処へと戻っていく魔物が殆どであった。血の匂いに酔った魔物を掃討してしまえば黎明とともに平和が戻る。リフショールを護り続けた柱は夜明けの閃光に溶けるように消えた。
 それらを確認して、クウランクッカは駆ける。
 叶うのなら自身もドラゴンと相対したかったが、実力から考えて個人では難しい。
 それに、恐らくドラゴンであっただろう残骸散らばるなか、聳える首から上を失ったドラゴン。古代種と呼ばれるそれにはまともに打撃を与えられたかも怪しい。

「まったく、見事なものですわね」

 迷宮産ではないのでドラゴンの死体が消えることはない。どうやらこれを屠った二人組は既にこの場にいない。最高の素材の塊を前に勿体無いことだ。それとも、これらに構っていられない状況にあるのか。
 考えるクウランクッカがふと顔を上げると、なにかが朝陽に反射して薄氷色の目を奪った。
 古代種の腹に空いた穴、それに引っかかるものにクウランクッカは見覚えがある。
 グレンの剣だ。

「あら……あらあら」

 冒険者が、戦うものが得物を、それも主要武器を置き去りにするなど有り得ない。それだけで緊急事態を察することができる。
 渦炎の武器などそれだけで高く売り払えそうだし、渦炎の名前にある付加価値抜きにしても素晴らしい武器だ。誰かが見つければ喜んで持っていくだろう。そうでなくとも、国はこのドラゴンの残骸を放置する気などないはずだ。集められた冒険者の報酬に使われるかもしれない。
 ひとが集まるのは時間の問題。
 クウランクッカは地面を蹴ってドラゴンの体を登り、殆どが焼け焦げた肉剥き出しの穴へと着地する。ざらつく表面の下、溶けかかった肉がぐちゅりと音を立てた。そこに棍を突き立て、片腕で体をふわりと持ち上げる。軽業師のように棍の上へ立ったクウランクッカはそこから跳んでグレンの剣に手をかけた。きつく肉に食い込んでいるがその斬撃の軌跡は驚くべき範囲と深さで、よくよく見れば恐らく心臓らしき部分にまで届いている。焦げた周囲は属性攻撃によるものだろうか。トドメは吹っ飛ばされた頭にあるだろうが、腹の風穴を広げた一閃もまた時間がほどなく立つ前に活動限界を迎えさせる要因になったはずだ。

「なんて恐ろしいのでしょう」

 言いながらクウランクッカは剣を握ってぶら下がり、振り子のように全身を揺らして剣を引き抜いた。猫のように着地する刹那、翻った前後の布を巻き上げる都合のいい風はないが、その中の様子を確認する人間もまたいない。
 ポケットへしまう前に日に翳したグレンの剣はやはり素晴らしい。けれど、クウランクッカが扱うには少々身の丈に合わない。

「大きな魔石ですこと……」

 羨む様子もなくポケットへしまい、棍に手をかけるとクウランクッカはドラゴンの体から下りてリフショールへ向かう。
 十中八九、グレンとヴィオレはそちらへいるはずだ。武器を置いていかざるを得ない状況で遠くへ行くわけがない。後始末の面倒さを考慮しても、得物は割に合わない。
 クウランクッカは一晩中魔物を相手していたとは思えぬ軽快な足取りで駆け、戦勝祝いの賑やかな声を聞きながら突っ切った。



 ヴィオレがゆっくりと瞼を開くと、寝起きで視界が霞んだ。何度かまばたきをして明瞭さを取り戻すと、眼前に飛び込んできたのは褐色肌の男らしくも整った造形。瞼は閉じられ、緑の輝きは伺えない。
 じっと見つめて三秒、ヴィオレはベッドから上体を起こす。

「……最悪の目覚めぞ」

 なにが楽しくて男二人でひとつベッドに向かい合って眠らなくてはならないのか。しかも、お互い激戦の後なので汗臭いったらない。
 相棒に向かって吐き捨てる姿は忌々しそうだ。

「なんつう言い草だよ、おい」

 ヴィオレが目覚めた時点で起きていたのだろう、グレンが瞼を開いて呆れたように言う。
 床に放置されていたほうが良かったというのかと半眼で見つめられれば、ヴィオレはしゃあしゃあと「そなたが床で眠っておればよかろう」と言う。グレンはパアンと音を立ててヴィオレの頭を引っ叩く。

「っちょっと! ご主人の頭叩くってなにごとよっ? 魔法使い、そうでなくとも魔術師は頭脳労働者なところあるのよ! 脳細胞一つひとつが――」
「うるせえ」

 マシェリがきーきー騒ぐのを一蹴すれば、頭を押さえたヴィオレが恨みがましそうにグレンを見る。が、すぐにその視線は己の頭に暴虐を振るった腕へ移動した。

「問題はないな?」
「ああ、今のところはな。実戦で違和感があるかはまだ分からねえ」
「左様か。なれば、また迷宮にでも潜るがよかろうよ」
「その前に装備どうにかしてえ」

 言われてヴィオレは自身を見下ろす。脱がないままの裾引き外套は切り裂かれている部分が数ヶ所あり、中でも回復薬の恩恵に預かった脇腹を覆っていた部分はえらい有り様だ。まさか、この裾引き外套がここまで損傷することになるとは思わなかった。

「……参った」

 この世界には当然、ヴィオレ以外にこの裾引き外套の制作に携わったものがいない。
 術式付与はヴィオレだけでもどうにかなるが、それらを前提として修復できる人間は――ヴィオレの脳裏にケロイドに引き攣った顔が浮かぶ。

「グレンよ」
「あ?」
「王都へ向かおう」
「なに、当て……ああ、お前なんか引っ掛けてたな」

 グレンが納得したように頷いたところで部屋のドアがノックされた。マシェリが小鳥のような声で応え、ヴィオレが僅かに指を振って鍵を開ければドアが開けられる。

「ごめんくださいませ、忘れ物を届けに……あら、お邪魔でしたかしら?」

 ふたり起きているとはいえ乱れた服装で同じベッドの上にいる様子に、来訪者であるクウランクッカが口元に揃えた指先を置く。

「ちげえ」
「そうですの? わたくし、気にしませんわよ? なんでしたら飛び入り参加――」
「用件は」

 ろくでもないことを言い出そうとしたクウランクッカをグレンが遮る。ヴィオレは顔を片手で覆っていた。元の世界の懐かしい顔にもいたが、どうにもこういった方面に明けっ広げな人間は苦手だ。

「忘れ物を届けに参りましたの。こちら、渦炎さんのでしょう?」

 ポケットから取り出した剣の柄を向けるクウランクッカに「ああ」と頷き、グレンはベッドから下りて受け取る。血肉に濡れている以外は何処にも異常がない。

「どうも」
「いいえ、大したことではありませんわ。あ、そうそう」

 思い出したようにぽん、と両手を合わせたクウランクッカにヴィオレも視線を向ける。

「当面の危機は去ったものとされましたけど、冒険者の現場拘束は正午まで続くそうですわ。正午になったら説明と終了宣言、現地解散。報酬は後日ギルドを通して支払われるそうですの」
「分かった」
「では、ごゆっくり休んでくださいませ」

 クウランクッカはひらひらと手を振ってドアを閉める。

「現地解散か……そのまま王都へ向かうか?」
「それが良いであろう」

 了承しながらヴィオレはベッドから下りて裾引き外套を脱ぐ。

「湯を浴びて、そのまま部屋に戻る」
「昼まで寝てるわ」

 剣をポケットへしまい、ヴィオレと入れ替わるようにグレンはベッドへ向かう。

「ではまた、昼に」
「ああ」

 ドアが閉まった。

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