小説
二十六話
※流血描写有り



 唖然と、呆然と、男は現実を見た。
 古代種貫く光。大規模攻撃魔法観測のために用意した魔力測定魔道具が壊れた。

「ばかな……」
「は、はははは!」

 呟く男に被せるよう、ロリネスが笑った。なにかを払い落とすように頭を振り、笑い顔に涙が伝う。

「こんな、こんな魔法使いが存在するなら、僕が造ったものなんて……!!」

 ロリネスは叫んだ。意味をなさぬ奇声を吐き散らし、一転、ごっそりと表情を失くして男を見る。

「やっぱり、間違いだったんです。あのひとの言った通りだった。本家を見せる? 更に上を行かず、其処にあるものに固執して、停滞を選んだ僕は『たかが知れる存在』だったんだ……それは、あなたもだ。アンゲルさん、僕もあなたも、研究者とし――」

 雷属性により構築された糸がロリネスの首を落とした。
 音を立てて倒れた体、焼き切れた断面から滲む血を汚らわしそうに見下ろし、男、アンゲルは吐き捨てる。

「臨機応変に臨めないきみと一緒にしないでくれ。僕はやる。僕はやってみせる。でも、そうだね。固執するのはよくない。もう、魔石なんてどうでもいい。
 これだけの魔力を有する人間、魔法を扱える人間を『素材』にできれば……――そうだ、人間でもいいんだ!」

 笑うアンゲルは雷属性を用いて転移する。
 その日、リベルから一人の研究者が姿を消した。
 彼が再び表舞台に姿を見せるとき、その姿は人類の進化も進歩も捨てた我欲のみに突き動かされる災厄に成り果てているのだが、その危険性を訴えられる人物は首と胴体とを分かたれ、物言わぬ躯として沈黙するばかりであった。



 衝撃と爆風と魔力の波と、それらが収まったとき古代種は首を仰け反らせ、その腹に大きな風穴を開けていた。

「か……ッ、ア、アア……!」

 ぐぐ、と緩慢な仕草で起こされた首、古代種は生きている。剥き出しにした牙の間から血を溢れさせ、背中の両翼を広げる。

「ニン、ゲン……!」
「おのれ、おのれおのれおのれ人間め!!」

 自身たちとは一線を画す生命力と回復力を誇る古代種が負った瞬時に修復叶わぬ傷に、目を見開いていたドラゴンたちは怒りと怨嗟を込めて吠え光の発生源を睨む。

「殺してやる殺してやる殺してやるぞォッ!!」

 殺意を叫んだ瞬間、魔力感知に長けたドラゴンだからこそ分かる魔力の揺らぎ。憎むべき相手が転移したのを理解する。それはドラゴンたちの遥か頭上、見上げた瞬間に降り注ぐ魔力弾。
 雨あられの散弾と化した魔力弾はドラゴンにすらダメージを与える。

「殺せ!! あの小賢しい人間を殺せ!!!」

 古代種が吠えるのに弾かれ、二体のドラゴンが飛翔した。それを見送りもせず、古代種は腹に風穴空いているとは思えぬ俊敏さでその場から飛び去る。首があった場所に残像すら描く一閃。炎の渦に似た髪を揺らし、グレンが地面へ着地して間もなく古代種と距離を詰める。

「おのれ人間、地上の覇者を気取る傲慢なる種が! 同族を狂わせ、未来託す子を殺させ、断罪すら跳ね除けようとか!!!」

 古代種が爪を繰り出せば、それが起こす風に巻き込まれた小石や木片すら刃となってグレンを切り裂こうとする。
 グレンは笑った。
 最初の一体で既に負傷していて、目の前にいるのは重傷を負っているとはいえ古代種。それが殺意を向けているというのにグレンは笑う、笑えるのだ。
 古代種が起こす刃を絶技で以って弾き、重たく鋭い爪を剣で受ける。筋力は悲鳴を上げ、骨も軋む。土煙を起こしながらグレンの体は大きく後退するが、それでも受け止めた、受け切った。
 ミスリルよりもアダマンタインよりもオリハルコンよりも硬い爪をグレンは優れた剣に相応しき技量で以って弾くと、目にも留まらぬ速さで古代種の腕を駆ける。

「図に乗るなァッ!!」

 叩き落とそうと薙がれる腕に、グレンは再び剣を向ける。いつの間にか展開された魔法が光の矢となって弧を描きながら襲いかかるのも構わず、鋭き爪の軌跡が我が身を切り裂くのも構わず、重さを覚えたグレンは先程よりも早く弾き、大上段から振り下ろす。古代種の手が裂けた。足場にしていた腕が振り払われる直前に高く跳び、血を撒き散らしながらも追いかけてくる爪を空中で一回転することにより紙一重で回避。一瞬見上げることになった上空では飛び交う二体のドラゴンと紫電を思わせる魔力光が踊っていた。

(ったく、ドラゴン二体と単騎空中戦とかよ……)

 呆れながらも着地と同時に感じるのは手応え。古代種の硬い鱗に覆われた腕に重力と全体重を込めてぞぶりと剣を突き立てたまま、グレンはその腕の上を走りだす。腕を裂かれる痛みに堪えながら、いや、むしろ共に焼き払う覚悟で古代種がブレスを溜める。こんな至近距離では余波ですら肺を燃やす熱波となるだろう。周囲を抉るように剣を抜き、敢えてその顔へ接近するよう跳ぶ。予想外の動きに見開かれた縦長の瞳孔際立つ目と、一瞬止まったブレスの溜め。絶対強者と謳われる古代種の視界が最後に捉えたのは、下等種であるはずの人間が浮かべる恐ろしいまでの笑み。直後、両目が真っ赤な熱に燃える。両目を斬り裂かれたと理解する前に制御を忘れたブレスが暴発した。口を焼き、喉を焼き、肺を焼いて周囲の酸素をも燃やす。予測して狙ってすらいたグレンはその惨状に巻き込まれる前に古代種の背へ回り込むよう駆けていた。断崖にも似たその背を滑り降り、駆け下り、力任せに脇腹へ突き刺した剣を軸に腹の風穴へと身を投げる。勢いに乗って剣が引き抜け、所々焼け蕩けた肉に着地した足が僅かに滑る。
 一瞬詰めた呼吸。グレンは剣を構える。
 狙うは急所、自身の頭上。
 優秀過ぎる魔石は所有者の望みを察して魔力を渦巻かせる。グレンはそれに気付いたわけではなかったが、ただ信頼していた。相棒が「全属性」と言って創りだした魔石の能力と、なによりも出来ると確信する自身の技量を。
 ただ上を目指しての跳躍。突き上げた剣は「強化」され深くふかく表面の焦げた肉へと食い込み、迸る雷撃がとうとう脈打つ心臓すら穿ってみせた。
 空を劈く悲鳴。
 硬直せんばかりに古代種は体に力を込める。刺突からの斬撃で剣を抜き払い、その場から離脱するはずだったグレンだが、ドラゴンの肉に埋まった剣が抜け切らず一瞬引っかかる。
 一瞬が命取りなのは、冒険者にとっては常識だ。
 ドラゴンの体に引っかかったままの剣を握る腕と、風穴より外へと飛び出したグレンの体。
 剣から手を離して腕を引っ込めるより早く、古代種は虫を払うような仕草で爪を振るった。だが、込められた力と速度は虫などに対するものではない。
 ばちゅん。
 水面から伸びるゴムを切ったような音とともに、グレンは脳が焼ききれそうな痛みを感じる。
 その痛みに思考を止めなかったのは、行動を続けたのは、それこそが渦炎として畏敬の念を受けるグレンの実力の真髄なのだろう。そして、片腕だけで済んだ幸運も。
 放物線描く腕に目もくれず、残る片腕がポケットに伸びる。

(こんな状態で使うことになるたあ、ついてねえ)

 グレンの脳裏を走馬灯のように数時間前の出来事が過る。

「――グレン」

 名前を呼んだヴィオレは手のひらを広げ、その中央に魔力を渦巻かせる。
 なにをするつもりかと見つめるグレンの前、魔力が爆ぜた。白い手のひらが深く裂け、すぐに血が傷口から迫り上がってくる。

「……なにやってんだ」
「保険ぞ」

 傷口に構わず緩く握り込めば、いまにも滴り落ちそうだった血が水の中を揺蕩うように踊り、くるりくるりと弧を描き始める。輪になり、球になり、いっそ芳しいほどに濃密な魔力が固体になっていく。
 傷口から溢れる血を全て吸い上げて創りだされた魔石の純度は計り知れないほどで、ヴィオレが空いた手に移し替えたときには正しく魔力の塊そのものといえる真っ赤な魔石がそこにあった。

「持っておれ」

 軽々しく渡された魔石をグレンは嫌そうに受け取る。ヴィオレの手からはもはや流血の気配はないが、この赤い魔石が彼の鮮血より創られたのだと思えばやれ良かったと歓迎したくない。
 つくづくばかだ、とグレンは呆れる。
 魔力の物質化。
 魔法は現象を発現させるものであり、物質化はまったく違う次元の話である。
 なんて野郎だと思うグレンの前で、ヴィオレは自身の前にぽっかりと黒い空間の穴を広げる。両腕突っ込んで引きずり出されたものにグレンは空を仰いだ。
 紫を帯びて黒く光る総身、グレンの身の丈にも届きそうな馬鹿でかい長銃をヴィオレは取り出したのだ。

「アンフェル級ドール殲滅及び対要塞攻略兵器ディアブロ・レプリカ」

 ドール。
 グレンが思い出すのはドールと呼ばれたマシェリの過剰反応と、ドール系の魔物に対するヴィオレの様子。
 人類荒廃を賭けた戦争があったというヴィオレの世界。人類と区別して語るのならば、相手は人間ではなかったと察することができる。
 きっと、それは「ドール」と呼ばれる存在なのだとグレンは理解した。
 この世界にも銃は存在するが、こんなに大きなものはない。クウランクッカが所持していたもののように、その片手で持てるものが一般的だ。実弾もあるが、多くは魔力を込めて射出する。小さいものであっても、込められた威力によっては大の男の肩を外させる凶悪な武器だ。
 これだけの大きさになれば反動はどれほどだろうか。
 長銃を地面へ置いたヴィオレは見つめるグレンに向かい、片手を差し出す。躊躇わずグレンは魔石を返した。

「レプリカ、つったな」
「左様。レプリカと言っても正確な写しではなく、これは辛うじて人間が使えるようにしてあるし、そも本物は二丁一対よ。もっとも、私が強化をかけても肩ごと鎖骨が折れ、内臓にも圧がかかるし、そこらの魔術師が己の魔力で対要塞級出力で放とうとすると一発撃てれば僥倖の代物であるがな」
「本物はどんな奴が使ってんだよ……」
「人間でないものだ。建前では人間が人間でないものを討ち滅ぼすために創りだした人間でないものだ」

 長銃の側面、小さく刻まれた魔法陣に魔石を重なれば、淡く光って半ばほど埋め込まれる。まるで魔性の目玉のように、魔石は妖しく光った。

「そして――機能化された私の能力を搭載されたものだ」

 ヴィオレが両手で押し付けてきた長銃を、グレンは片手で持ち上げる。

「ドラゴンは複数襲来する。必要であれば使うがよかろう」
「魔力お前持ちとは気前がいいな」
「そなたに魔力行使は期待しておらぬわ」

 グレンは頷いてポケットへしまう。
 夜風がふたりの間を吹き抜けた。

「グレン、そなたは強者と戦えるのであれば…………いや、なんでもない」

 振られたヴィオレの手をグレンは掴んだ。くっきりと違う色の手が重なり合う。
 交差する緑と濃い紫の眼差し。互いの目の中に自身の姿を見出す。

「俺が望むものは、何処であっても変わらねえ」

 強者を、この身を高揚させる存在を、状況を、戦いを。
 くしゃり、とヴィオレは苦笑する。マシェリが硝子のように透明な目でグレンを見つめた。

「……で、あるならば、ドラゴンの襲来はさぞかし楽しめそうよな。精々生き残れよ、相棒」

 グレンは眉を上げたが、すぐに皮肉っぽい笑みで応える。

「言われるまでもねえよ、相棒」



 その長銃の銃口はまっすぐに古代種へ向く。
 これほどまでに大きい銃だというのに、支えるのは片手しかなく、足場どころか吹っ飛んでいる真っ最中。
 けれど、今なのだ。今が最良なのだ。冒険者として幾多の死線を潜ったグレンは理解している。
 体勢を整える暇を古代種は与えてくれない。視界を失い風穴を塞ぐ余裕もない古代種は、己の全魔力を故意に暴発させて一帯ごと自爆しかねない。この長銃を持って動き回るなど出来ないし、そうでなくとも片腕を失ったばかりでは重心に狂いが生じる。だから、今だ。
 グレンの指が引き金にかかれば、魔石の魔力が渦を巻く。
 本能で感じ取ったか、古代種が両翼羽ばたかせてその場から離れようとする。しかし、それを許す気はグレンにはなく、引き金を引く仕草は一瞬もかからない。

「おら、とっととくたばれ」

 銃口より放たれる赤き閃光は古代種の頭に吸い込まれ、脳漿と頭蓋骨を爆散させるのと同時に視界が眩みそうになるほどの大砲かなにかに似た声を上げる。
 絶命だ。
 誰が見ても誰が調べても古代種は絶命した。
 血肉が空へ花火のように噴き出し、地面を濡らしていく。そんな真っ赤な雨とともに、グレンは吹っ飛んでいた。
 流石のグレンであっても不自由な状況で殺せる反動ではなかった。地面へと全身打ち付け、荒い呼吸の中でなんとか手放さなかった長銃から痺れる手を剥がし、失った片腕のほうへもっていく。
 仰向けの状態、自然と見上げる夜空から一体のドラゴンが身の毛もよだつ絶叫を上げて墜落してくる。
 怒り狂った残りのドラゴンの鳴き声を聞き、グレンは薄っすら笑いながら立ち上がった。
 見下ろした長銃に嵌めこまれた魔石は僅かに色あせたが、それでも尚健在。
 失った片腕からこぼれ落ちる血も止めないまま、グレンは持ち上げるのも難しい手で再び長銃を拾い、銃口を天へ向ける。

「こっちの腕は折れるかもな」

 躊躇なく、引き金を引いた。

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