小説
二十五話
※流血描写有り



 狂乱する魔物を屠り、屠り続けて、まだ終わらない。それでも前方で降り注ぐ弾幕が魔物の数をかなり減らしてくれているのだ。
 知らせもなく突如展開された魔法は国が魔法使いを幾人も派遣したのか、それともリフショールに隠された防衛機能だったのか、一介の冒険者たちには分からないし、まさかたった一人、この世界ではなんの名前も持たぬ魔法使いの偉業であるとは想像もしない。
 魔法を越えてくる魔物もいるから頼り切ることはできないけれど、弾幕がなければ物量に圧殺されていたことを思えば心の支えになる。守られている安心感、しかし、それは響き渡る悲鳴のような鳴き声によって急冷される。
 ああ、いるのだ。
 距離は確かにあるのに、その存在の前では目と鼻の先となんら変わりない。
 空を舞うドラゴン。
 そも、ドラゴン襲来の予感に招集されたとはいえ、狂病に侵された魔物にすら梃子摺る自分たちではただの餌……いや、吐息と変わらぬ調子で吐かれたブレスにより壁の染みになるだけだろう。
 それなのに、ドラゴンは未だリフショールに迫っていない。何故かその場に留まっている。
 絶対強者の存在を放置するものはいない。遠眼鏡を使ったか、それとも視力に強化をかけた魔法使いか、誰かが叫んだ。
 渦炎がいる。
 渦炎が戦っている。
 渦炎がドラゴンを相手に、たった一人で!
 まさかという思いはしかし、渦炎なら、という希望に変わる。
 渦炎のグレン。冒険者が羨望と畏怖、畏敬すら抱く頂の存在。眉唾に思える伝説の数々も、彼が目の前に立てば全てを信じられるような錯覚すら覚えるのだ。
 その渦炎がドラゴンと対峙し、事実その足止めを確実に成功させている。
 ならば、自分たちは此処で挫けるなどあってはならない。
 狂病に侵された魔物程度、たった一人でドラゴンに挑むことを考えればなんだというのか。その程度出来ずして、なにが冒険者。危険は元より、駆け出した瞬間より承知のはずだ。今に至るまでその危険を実感したことは数限りない。それでも今に続いているのは、価値があると、冒険者であることに価値があると、なによりも認める自分がいるからだ。
 自身の尊厳を賭けて上昇した士気のもと、魔物を狩る。
 それなのに、現実は無情なのだ。
 飛びかかってきた魔物に押され、仰け反った冒険者は見てしまう。
 夜空より襲来する白金の巨体とそれに続くもの。
 見開いた目にその姿は鮮明に映る。
 白金のドラゴン。
 絶対強者と謳われるドラゴンのなかでも更に最強種と云われる生ける天災。
 古代種が人間に怒りを向ける声を聞いた。その怒りがブレスとなって全てを薙ぎ払おうとしているのを見た。
 対峙したものにとっての絶望を形にしたような存在に、魔物を押し返そうとする腕から力が抜けそうになる。
 然れど、今この瞬間にリフショールを囲む柱のように、護り手は其処にいた。



「あれが古代種と呼ばれるドラゴンか。然り、魔物の王に相応しき偉容よな」
「アンフェル級かしら」
「個体だけを見ればな。統率のとれた大軍を率いておらぬだけ、カラミテ……デザストルであろう」

 元の世界で使われていた目安を用いて計る古代種の危険性は高い。
 それに、古代種ほどではないにしろ二体別のドラゴンもいることを考えると、状況は楽観視できない。
 冒険者や憲兵は魔物に集中しているし、そうでなくともドラゴンとまともに相対できるものは殆どいないだろう。
 国がどこまで動いているかは分からない現状、まともにやりあえるのはグレンと――
 古代種が怒りの咆哮とともにブレスの溜めに入る。瞬時に吐き出されるだろうし、邪魔をするものは二体のドラゴンが許さないだろう。
 しかし、人間もまたその天災そのものの息吹を許すわけにはいかないのだ。
 ヴィオレは待機させていた術式を展開する。
 伸ばした片腕を中心に巨大な魔法陣が広がり、古代種を目指すように徐々に小さくなる魔法陣が全部で十六連なっていく。
 ヴィオレは一瞬、伸ばした手を見つめる。傷ひとつない手は回復薬のおかげだけれど、無駄遣いになったようだ。
 回転する魔法陣が照準を合わせるようにピタリとドラゴンを捉えて一致するのと同時、ヴィオレの瞳孔が一瞬開いた。
 世界から音が消える。
 一瞬、魔法陣の中央をひと筋の光が貫いた。
 一拍の間もなく古代種がブレスを吐き出すのと同時、魔力が起爆し一条の矢となりブレスと衝突する。

「あ、あ、あぁ、あああ、ああああああああああああああ……ッ!!」

 押し返し圧し殺し貫通しようするドラゴンのブレスに負けじとヴィオレはもげそうになる片腕をもう片方の手で押さえる。
 跳ね返され暴発しそうになる魔法陣を支える手はぶるぶると震え、抗反応により電気でも通されたような痛みを覚える。
 痛みは感覚だけに留まらず、まず人差し指の爪が剥げた。次に親指、小指、中指、人差し指が反り返り、骨が折れる。
 負けそうだ。
 ヴィオレの世界には存在しなかったドラゴンという種の王は、ヴィオレの世界では師団すら軽く殲滅した怨敵に匹敵している。
 負けそうだ。
 負けたとしても責めるものはいないだろう。
 一瞬でも古代種のブレスに拮抗できたなら、それは讃えられるべき偉業だ。
 負けそうだ。
 もし、もし防御に徹するだけでいいのなら、ヴィオレはこのリフショールを守れるだろう。けれど、リフショールの周囲には魔物と戦うものたちがいる。一度のブレスで彼らは焼き払われ、そして次のブレスもすぐにくるだろう。止めるだけでは駄目なのだ。止めるだけでは足りないのだ。
 負けそうだ。
 中指も折れた。親指も折れた。薬指の爪も剥げて、飛んだそれがヴィオレの頬を引っ掻く。
 負けそうだ。
 魔法陣を支える手はもう血まみれだ。
 負けそうだ。
 負けそうだ。
 負けそうだ。

「――こんなところで負けるなら、私はとうの昔に死んでいるであろうよ」

 淡い紫に光る魔法陣をヴィオレは血まみれの手でなぞり、その血を擦り付けるかのようにスペルを刻む。
 揺らいでいた魔法陣が光を増し、その存在が強固になった。
 人間が持つ固有魔力と血肉に宿る魔力は別だ。固有魔力は内にも外にも動かせるが、血肉に宿る魔力はあくまでも血肉へと根差している。だが、血液に魔力があることに変わりはなく、ヴィオレの血液は魔力の塊といっても過言ではなく、血液を流し込めばそれは高純度の魔力を流し込むのとなんら変わりない。
 安定を強固に、出力を強化して魔法陣を書き換えたヴィオレは嗤い、殆どの指が折れた手で歪な拳を作る。

「穿て……ッッ!!!!」

 魔力に干渉する声が意思を以って命令を下した。
 殴りつけた魔法陣から一瞬の抗反応、ばちゃ、と水を撒いたような音とともにヴィオレの手から皮膚が剥がれ散り、一部筋肉層までもが剥き出しになる。頭のなかが明滅しそうな痛みを認識するより早く、魔法陣より放たれる矢は光を規模を威力を増してブレスとぶつかる。ただでさえ拮抗していたブレスはその勢いを殺すことなど到底できない。
 白金の光は淡い紫の光が食い潰していき、とうとうその発生源、大きな口同様に収縮した縦長の瞳孔際立つ目をも見開いたドラゴンを照らす。
 後に冒険者は語る。世界が夜明け前の一瞬にも似た暗闇と無音に閉ざされた瞬間を。
 沈黙――轟音。
 鼓膜が破れんばかりの音は波となり、大地を揺らし、枝葉を揺らし、赤髪を渦巻かせ、紫黒の外套を靡かせた。

[*前へ][小説一覧][次へ#]

あきゅろす。
無料HPエムペ!