小説
二十話



 火事場泥棒。
 厳重に管理されたものを奪うには、騒ぎに乗じるのがなによりの近道だ。
 魔物を寄せ付ける音色を「材料」として集めて「加工」したセイレーンに歌わせれば、元々のオルゴールよりも優る効果が発揮される。そこに魔力濃度の安定を乱す音色も加えれば、集まった魔物が徐々に狂病へ侵されていった。
 本来の目的には役に立たず捨てたが、生きたまま使うために魔物の理性を落とす研究は予想以上の効果を齎した。
 国が動くであろう場所で事を犯したが、あくまで性能試験のつもりだったのでまさか討伐隊に目当ての相手が加わるとは僥倖だ。
 死んでくれても構わない。
 そうしたらすぐに試験を止めて、専門家としての調査を名目に宝拾いに向かえる。
 生還してくれても構わない。
 続く異常を止めるために必要なのだとやはり専門家として進言すれば、国は望むものを用意してくれるだろう。希少なものだが、持ち主を知っていれば取り上げてでも……

「きみも嬉しいだろう? 本家の実力を見せつける機会だ」

 貧弱な体を大きく見せる鬼気のようなものを纏う男に、ロリネスは青褪めた顔で目を逸らす。

「先程影響を強めたのだけど、恐らくはあの一帯の最上位種にも効果は及んだと思う」
「……あの辺りにはドラゴンがいる、と……」
「そうだよ。ドラゴンなんて簡単に倒せる相手じゃない。そこそこ程度の武器では叩きつけた瞬間に折れるだろうし、そうでなくとも息吹に焼き溶かされるかな。でも、きみの造った武器なら……ね?」
「……っやっぱり僕は!」

 どこにそんな力があるのか、拒絶の意を示そうとしたロリネスの胸ぐらを掴む男によりロリネスの踵が浮く。

「もう遅い、もうきみは参加しているんだ。この『下準備』のいち員なんだよ! いまさら辞めるも抜けるもない、石は転がり水は流れた。手遅れだよ」
「そんな……ドラゴンがもし仲間を呼んだら、いったいどれほどの被害がッ」
「だからどうした。研究のためだ。研究者にとってそれ以上もそれ以下もない。それに仲間を呼ぶ? 上等じゃないか。そのときその瞬間こそ国を焚きつけるいい機会だ。願ってもないね!」

 ロリネスを突き放して背を向ける男の華奢な肩に、ロリネスは弱々しく問いかけた。

「あなたに、ひとの心はないのか」

 男が僅かに振り返る。

「専門外だな」



 魔物の鳴き声と一言で片付けるには、その鳴き声には魔力が含まれ過ぎていた。本能を揺さぶり過ぎていた。
 森がざわめく。
 狂病に侵されながらも暴力という形に統一されていた魔物の意思が乱れ狂い、恐慌を起こしている。

「噂は噂じゃなかったみたいだな」

 場違いなほど冷静なグレン。

「これが、ドラゴンの鳴き声ですの? 鳴き声なんて可愛らしいものではございませんわね。咆哮ですわ」
「――そうよな」

 グレンとクウランクッカがヴィオレを振り返る。彼の肩で黙すマシェリは正しく人形のような顔で空を見上げていた。

「咆哮のひとつやふたつ、上げたくもなろうよ。獣は得てして子孫を残す本能が人間よりも強い。それが知性ある生き物で、自らの種の絶対数が限られていることを認識していれば尚更のこと」
「つまり、なにがありましたの?」

 見てもいないことを語らせることに、クウランクッカは違和を持たないしグレンも唱えない。
 ヴィオレの述べるだろう「推測」はほぼ確実の粋に食い込んで正しいのだろうと理解していた。

「まだ、生まれてはいないだろうな……卵でもあるのだろう。狂気に侵されながら守ろうとしているのだ。我が子を殺さんとする自身から守ってくれる仲間を呼んでいるのだ」

 ヴィオレの声に常の波は起きない。意図して制御しているのだろうが、自ら声を発しての説明をするほどに重大な事態が起きている。

「さて、一帯の魔物が恐慌を起こしているなか、狂えるドラゴンが少なくとも一体。更にこれから何体襲来するかも不明。如何する?」

 問いかける濃い紫の視線に急かす気配はないが、悠長にもしていられないのは確実だ。

「迎え撃つにも見通しが悪いな」
「流石に上へ知らせないわけにもまいりませんでしょうね」
「一端引く、それでよいな?」

 首肯を確認するなり、ヴィオレは地面を強く踏み叩く。三人の足元へ広がる転移魔法陣は淡く発光し、すぐさまその効果を発動させた。
 一変した景色は自然風景から屋内へ、一瞬置いてグレンは此処がギルドであると理解する。
 周囲の人間が突然現れた三人に驚くのも構わず、ヴィオレは窓口へと向かう。そこにぽかんとしながらこちらを見る冒険者がひとり並んでいたが、ヴィオレは躊躇なく押し退けた。

「おいっ」
「――黙れ、動くな」

 あまりの無作法に声を荒げる冒険者は脳が揺れるような波を感じた瞬間、声を出すことも指先を動かすこともできなくなった。混乱してももがくことすら叶わない冒険者を見もせず、ヴィオレは職員へ視線をやる。
 荒事には、緊急事態には慣れているのだろう。ヴィオレの眼差しに職員は喉を上下させ、冷や汗を滲ませながら「どういった事態でしょう」と問いかける。

「こちらでも微かに観測したものがおるのではないか? 狂病に侵された地帯にてドラゴンの存在を確認、仲間を呼ぶ声を発した」

 ギルド内に激震が走る。
 椅子を蹴倒し立ち上がった職員が「本当ですか」と嘘を許さぬ目で迫るのにヴィオレは頷いた。

「ドラゴンが如何程の速度で以って駆けつけるかは知らぬが、書類揃えて上の許可が下りるのを待つ時間はないであろうよ」

 職員は窓口を離れ、非常事態を告げるための連絡魔道具を起動させる。
 此処から先は暫く役所の仕事だ、とヴィオレも窓口を離れれば、迎えるのは好戦的な緑色と薄氷色の瞳。
 今いる場所が死地に変わるかもしれないというのに、グレンはそこに享楽を見出す。こんな場所でなければもっと良かったけれど、それでもきっと望んでいた。
 唯、唯々ただ、強者との闘争を。
 情欲滾らせるクウランクッカも似たようなものだ。この身に届く熱い楔があるのなら、貫いてみせればいい。その交歓はきっとどんな快楽よりも素晴らしいはずだと両の腕を開いて歓迎している。
 ヴィオレは苦笑する。
 苦笑して、一言呟く。

「この戦闘狂どもめ」

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あきゅろす。
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