小説
はつこひ



 響の部屋は三上と同室だった。
 一瞬不味いかもしれない、と思ったが、幸いにも三上は不在のようで昌太郎は安心した。

「水とかいるか?」

 ソファに座らせた響に問えば「自分で」という答えが返ってきたので「座ってろ」と言い置いて、台所スペースに向かう。
 悪いかな、と思ったが、いちおう冷蔵庫を確認すればミネラルウォーターがあったので、それをコップに注ぐ。
 戻れば響はぐったりと背もたれに体を預け、目を腕で覆っていた。

「水、置いておくぞ」
「ご迷惑ばかり、すみません……」
「迷惑じゃないから気にするな」

 響は見える口元だけ自嘲に歪め、ゆっくりと腕を下ろした。制服のポケットを探っていくつかの錠剤を取り出すと、大儀そうに水を口に含んで薬を飲んだ。
 詰襟から僅かに白い喉が見えて、昌太郎は思わず後ずさった。
 うつくし過ぎるものは恐ろしい。
 水を飲み終えた響がコップを置き、琥珀色の目でじっと昌太郎を見上げる。

「ありがとうございました」

 ぞくぞくと背筋をなにかが這い上がったのを最後に、気付けば昌太郎は生徒会室の会長席でメモ用紙に「相合傘」を描いて、自分の名前と響の名前を書こうとしていた。

「うわ、俺キモッ」

 思わず椅子を倒して立ち上がった昌太郎に、役員から「なにやってんだこいつ」という視線が向けられた。



 響と会った日から、昌太郎はさり気なく校内を歩くたびに響の姿を探したが、一週間経っても響に会えることはなかった。

(なんでクラスとか訊かなかったんだ……)

 ずん、と落ち込む昌太郎になにかあったのかと訊ねる声は多いが、それら全てに昌太郎は力なく首を振って応える。
 部屋は覚えているし、同室者は親衛隊の副隊長なのだから会おうと思えば会えるのだ。
 しかし、普段は統率がとれて昌太郎を煩わせることのない親衛隊だが、自分が一方に傾いたことで暴走したら?
 生徒会長などやっていると、親衛隊のやらかした話がよく耳に入る。響をその被害者にしたくなかった。

(もういっそ俺がフツメンもしくかブサメンで、親衛隊とか全部ドッキリで後から勘違いしてんじゃねーよとか指差される展開だったら安心できんのに……)

 ひと息いれましょう、と来島が淹れてくれた紅茶に映る物憂げな昌太郎の顔は、間違いなく恵まれてる部類だ。
 昌太郎の顔は父方の祖父似である。
 祖父は学園の卒業生で、昌太郎と同じく生徒会長であったらしい。
 以前、祖父に見せてもらったセピア色の写真には、昌太郎にそっくりな青年がスーツを着て気だるげに足を組んでいた。
 旧家の生まれで七五三の時からずっとスーツに親しみ、和服など一度も着たことがないという祖父は老いて尚、端整な面差しで、自ら育てた薔薇を愛でる日々を送っている。その姿は思わずほうっと息をつくほどうつくしい。
 つまりは、孫の目から見ても秀麗な祖父にそっくりな昌太郎が勘違い美形ということはありえないのだ。

「あー……なんで俺は祖父さんに似ちまったんだ」
「なんですか、突然」

 向かいで紅茶を飲んでいた来島が顔を上げる。

「会長の祖父君といえば、薔薇で有名だったな」

 ナッツ入りのクッキーを飲み込んだ書記の唐沢が思い出したように呟き、唐沢の肩を背もたれにのびのび寛いでいた会計の桐がぽん、と手を打つ。

「そうそう、かいちょーのお祖父さんが作った薔薇の、なんだっけ? め、めー?」
「鳴々(めいめい)か? 随分と昔のだな」
「それ。うちの母さんが華道やってるじゃない? なんかの展に参加した時のメインで使ったんだって。思い入れ深いみたいで、よく聞いたよー」
「ああ、多分それ小さい頃に連れて行ってもらいました。真ん中が椿の蕾みたいになっていて、周りがぱっと開いた薔薇ですよね?」
「その薔薇か。うちの母の誕生日に父が贈っていたな」

 役員達が祖父が手がけた薔薇の話題で花を咲かす様子に、昌太郎は苦笑いを禁じえない。
 花の話題で盛り上がる十代半ばの青年というのはどうかと思うが、美しいものはうつくしい。そう言えることは良いことだ。
 ふと、また響の顔が浮かぶ。

(あいつは薔薇より椿……いや、むしろ蝋梅? いやいや似合うだろうがイメージとしては……)
「会長?」
「辛夷だな」
「は?」
「ん?」

 ぽかん、とした役員の顔に、昌太郎ははっと口を抑える。思考に没頭し過ぎたらしい。

「かいちょー、最近独り言増えたよね」
「ぼうっとしたと思えば突然赤面もしますね」
「全体的に挙動不審だな」

 恐る恐る視線を向けた役員の顔は、一様にニヤニヤしていた。
 思わず席を立って仕事に逃げようとする昌太郎だが、素早く書記の肩から起き上がった桐が飛びついて、ソファに押し付ける。その間に唐沢が後ろに回って昌太郎の肩を押さえ、来島が「喉を潤した方が話しやすいですよね」と微笑みながら紅茶を淹れなおす。
 なんという連携プレーだろうか。

「お前ら、離せっ」
「かいちょーが話したら離すよう」
「ほら、お茶が零れるから暴れるな」
「さあさあ、どこの誰に惚れたんですか」

「さあ、吐け」と迫る役員に、昌太郎は「弁護士さん呼んでください。それまでなんにも話しません」の一点張りを通したくなったが、学園の顧問弁護士が生徒の恋バナで動いてくれるわけはない。
 ねばったものの、結局昌太郎は名前を伏せたものの、全て話すことになった。といっても、響と会ったのは一度きりで、深く話す内容もないのだが。

「薬持ち歩いてたってことは、その日だけ具合が悪かったわけじゃないよねー」
「病弱で儚げな辛夷のような佳人ですか」
「いっそ辛夷の君とでも呼ぶか?」
「ははは、さっむー」
(言いたい放題しやがって……)

 ぎりぎりと歯を食いしばる昌太郎をよそに、役員達は楽しそうに話を広げている。

「でも、かいちょーがそこまでいう美人なら有名な筈だよね? おれ、思い当たる子いないんだけど」
「病弱なら休みが多いのでは?」
「名前はどうしても教えない気か?」
「絶対に教えねえ」

 これ以上揶揄われ、引っ掻き回されてたまるか、と昌太郎は顔を背けた。
 むっとした昌太郎の横顔を、役員たちは微笑ましげに見る。
 なんやかんやで仲の良い役員は、会長の恋を応援してやる気満々だった。


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あきゅろす。
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