小説
一話



 金切り声を上げる女は母親だ。
 疲れ果てた顔を涙で濡らし、我が子へ執拗に手を上げる。

「なんで、なんであんたはそんなこともできないの! どうして疲れてるお母さんを手伝ってくれないの!!」

 子どもは何度もごめんなさいと繰り返すが、母親が子どもの抱きしめるぬいぐるみを奪うと気が触れたように叫んで奪い返そうとする。それに母親は更に神経引っ掻かれ、力任せにぬいぐるみの腕を引っ張ってしまった。
 ぶちん。
 中綿をこぼしながら腕をもがれたぬいぐるみに、子どもは愕然とした顔をする。震える手で床へ叩きつけられたぬいぐるみを拾う子どもに狂乱して疲れた母親はそれ以上なにを言うでもなくその場を後にした。
 残された子どもはふらふらとした足取りで裁縫箱から針と糸を取ると、ぬいぐるみの腕を直し始める。
 ぬいぐるみは子どもにとって友達だった。
 同い年のこどもたちに比べて過ぎるほど小柄な彼は苛められることが多く、自身に暴力を振るわず、罵倒もしないぬいぐるみや小動物が心の拠り所だったのだ。

「ごめんね、ごめんね」
「『大丈夫だよ! もうすっかり腕は治ったもの!』」

 腕を繋いだぬいぐるみが話しかけている体で子どもは声音を変えて微笑む。

「『ぼくもごめんね、きみを打つお母さんから守ってあげられなくて』」
「……仕方ないよ。きみは動けないし、動けてもきっと弱いもの」

 もし、ぬいぐるみに意思があって自分を守ってくれようとしても、ぬいぐるみでは自分を守り切ることはできないだろうと子どもは想像する。
 母親の手伝いをできるくらい器用だったらどうだろう?
 ああ、やはりぬいぐるみでは限界がある。
 せめて、せめて生きた友達がほしい。
 辛いこともうれしいことも分かち合えて、話し合えて、そばにいてくれる友達がほしいのだ。

「『それなら、ぼくを作ったように作ってみたらいいんじゃないかな?』」
「……できるかな?」

 子どもがきゅっと指先を動かせば、ぬいぐるみは称賛するように万歳してみせる。

「『大丈夫! きみならきっとできるよ、アンゲル!!』」



 朝起きて、軽く迷宮攻略という化け物染みた趣味と実益兼ねた一仕事を終えて昼前に宿へ戻ってきたグレンは、女将が「ヴィオレさんまだ起きてこないがお腹すいてないかしら」という言葉を聞いて眉を上げる。
 自身の部屋へ戻るより先に、隣にあるヴィオレの部屋をノックすれば一拍後に鍵が開く。開いてもドアの前に誰もいないことにはもう慣れた。
 ベッドからだらりと落ちる腕、本体は布団の中だ。

「おい、起きろ」

 布団を引剥がせば、瞼の向こうにあった濃い紫の目が恨めしそうにグレンを見上げる。顔色は寝起きにしても白く、目の下には隈。夜更かししていた証拠だ。
 ヴィオレはのっそりと起き上がり、落ちてきた前髪をかき上げる。
 本来の職業柄、眠れる時は眠っておけ精神があるものの、ベッドから起きさえすればヴィオレの行動は早い。さっさと顔を洗って着替えも終えて、ゲロ吐きそうな顔色は変わらないし、目も万全の体調のときよりも淀んでいるが行動はしゃっきりしている。
 準備万端でグレンの前に立ったヴィオレが口を開く。

「おはよう」
「おそよう」

 グレンの返しにヴィオレは小さくため息を吐いた。

「そなたは中々口やかましい」

 冒険者とは思えぬ口調にしかし、グレンは慣れたものと言ったように鼻で笑った。
 名実ともに相棒となったふたり、ギルドでパーティ登録した際はその場にいた職員は勿論、他の冒険者たちを多いに驚かせた。あの渦炎がまさか、と重なる声の多いこと。中には「とうとう」というものもあったけれど。なんにせよ、そんな他者の驚愕などどうでもいいふたりは登録が済んでしまうとさっさとギルドを後にする。
 パーティには代表としてリーダーを登録するのだが、ふたりは全力でお互いに押し付けあった。一時は間をとってマシェリを、とまでなったのだが、これは職員により却下される。有知アイテムといえど、アイテムではメンバーに数えられないというご尤もな規則故だった。
 ならばグレンかヴィオレがリーダーになるしかない。しかし、どちらもなりたくない。
 双方の言い分としてはグレンがリーダーなどという柄ではない、集団に属したことのあるヴィオレがやるべきだ。ヴィオレはこんなところでまで責任ある立場に誰がなるか、冒険者としての経験が圧倒的上のグレンがやるべきだ。建前は立派だが、どちらも私情入りまくりである。
 じゃんけんやコイントスは動体視力の都合上、グレンが圧倒的有利だし、くじ引きは転移術式と空間術式が使えるヴィオレが証明できなきゃイカサマじゃない理論をフル展開する。
 これはもう相手を屈服させた上で言うことを利かせるしかないとグレンが抜剣、ヴィオレが魔力を巡らせるところまで話は発展し、職員が半泣きで制止をかけた。ギルド内での乱闘は禁止されているが、始まってしまえばギルドの損害は計り知れない。ふたりを止められるという発想はそもそもない。

「リーダー不在で登録しますから、依頼毎に責任者を決めるいうことでいかがですか!」

 本来はその場で組んだ簡易パーティに適用される方法だが、規則にがんじがらめになって本当に大切なもの(ギルドを修繕している間も滞り無く業務を行う手間の果てしなさ)を見失うわけにはいかない。後にギルド長はこの職員の判断を英断と称える。
 それならば交代制で、とグレンもヴィオレも納得してそのように手続きを進めた。
 晴れてパーティを組んだふたりだが、お互いの生活や環境に特筆して変わったことはない。否、ヴィオレはグレンとふたりのときは自らの言葉で会話をするようになった。これは、グレンから言い出したことである。

「お前、声が魔力に作用するから喋らねえんだろ」
「そうよ。ご主人も立場のある人間だったし、周囲もそういうひとばかりだから下手な真似するわけにはいかないの。空気中の魔力だけじゃなくて、敏感な相手だと固有魔力まで呼応しちゃうときがあるから、制御できるにしてもご主人たら面倒くさくなっちゃったのよねー」
「それでお前か」
「そうそう、発話媒体探していたらご主人の初恋の君が私をご主人に下賜したのよ」

 グレンは無言でヴィオレを見た。ヴィオレは潔く首ごと目を逸らした。
 下賜という言い方から相手の身分はお察しで、ヴィオレが初恋の相手から渡された人形を大事にしていることにグレンはニヤニヤする。だが、すぐにその笑みを引っ込めると「それなら」と切り出した。

「俺は固有魔力なんざろくにねえし、多少肌がざわついてもすぐに慣れる。普通に話せばいいだろ」

 グレンとしてもヴィオレと話しているのにマシェリが応じるのでは、どちら見て話したものやら、と思わなくもない故の提案だ。
 ヴィオレはまばたきを一つして、口を開いた。

「そなたは固有魔力が少ないわけではないが、些かその行方が異様よな。私の世界では見たことがなく、この世界でもそなた以外には知らぬ有り様よ。さて、この世界に来てより此方、斯様に長く話すは初めてのこととなるが、如何?」

 目を閉じてヴィオレの声を聞いていたグレンは緑の目を露にすると、真顔で一言言った。

「口調が予想外」
「左様なことは訊いておらぬわ」

 以降、ヴィオレはグレンへ当たり前に話しかけ、また応えている。



「グレンは今朝も迷宮に行っていたのよね、なにか面白いものあった?」
「お前、迷宮になに求めてんだ。面白愉快なものなんざ特にねえよ」
「強敵とかいないの? いないわよね」

 訊いたくせに自己完結するマシェリだが、まったくもってその通りなのでグレンはなにも言わない。ヴィオレは相変わらず素早く皿を空にしていく。

「明日にゃ依頼請けようと思うがどうだ?」

 パーティ組んですぐにせっせと依頼を請けたかといえばそんなことはない。ふたりは王都から帰ってきたばかりというのもあって数日ほど各々好きなように過ごした。おかげで渦炎がパーティを組んだという話を信じていない冒険者もいる。

「いいんじゃない。なに請けるの? 採取、討伐……あ、ご主人たちのパーティランクなら護衛もいけるのよね」

 むやみに冒険者の数を減らすわけにもいかないので危険度によってランク分けされる依頼、護衛は他者の命を守るということでやはり一定以上のランクがなければ請けることができない。
 SランクのグレンとDランクのヴィオレなのでパーティランクはBランクとされているが、Bランクは十分に護衛依頼を請けることができる。
 しかし、折角請けられるようになった護衛依頼にヴィオレが興味を出すかと言えば別の話で、それは元より護衛依頼を滅多に請けないグレンも同じこと。

「割りよく適当なのがあればそれでいいだろ」
「結局はそれよね」

 グレンの投げやりにも聞こえる言葉にマシェリが頷き、ヴィオレは皿を空にして水を飲んだ。

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