小説
十五話



 賢治も所詮は三歩歩けばなんとやらのFクラス、一晩経てば気分は一新けろりとしたものである。加えて三度目にもなると遠慮は薄れ、賢治は現在会長お手製のデザートを食べながら会長が用意した風呂が沸くのを待っていた。
 賢治が買ってきたシェーブルはクレームダンジュなるクリーム菓子となり、上にかかったブルーベリーのソースと相俟って大変美味しい。

「冠城ー、風呂沸いたー」
「家主先入れよ」
「一緒に入る?」
「なにを言っているんだお前は」

 湯が勿体無いだろうと言った賢治に会長は真顔で「あ、そっすね」と返す。
 すごすごと風呂場へ向かう姿になにかおかしなことを言っただろうかと思う賢治だが、特に思い当たることはない。
 携帯電話をいじりながら会長を待っていると、ノックの音が聞こえた。
 賢治は悩む。自分が出るのはまずいが、居留守とはなんとも尻が落ち着かないものだ。
 そんな賢治をよそに、ノックの音は激しくなった。ドアの向こうから「いるのは分かっているんだぞ、さっさと開けろ!」と聞き覚えのある怒鳴り声がした。風紀委員長だ。
 あまりの剣幕に賢治は腰を浮かし、風紀委員長なら、と玄関へ向かった。
 今まさに血染めの拳をドアへ叩き込もうとしていたのか、ドアを開けると腕を振り上げた風紀委員長がぎょっとした顔をする。

「……ばんは」
「こ、こんばんは……会長は?」
「風呂」
「風呂っ?」
「別に驚くことじゃないだろ」

 時間帯としておかしいことではない。
 風紀委員長はなぜか携帯電話と賢治の顔を何度も見比べ、不意にメールを受信した携帯電話に青筋をたてる。

「またかっ」
「どうしたんだよ」
「なんでもない、最近あいつはやけにそそっかしいんだ……」

 賢治には意味の分からない言葉を吐いて、風紀委員長は「邪魔をした」と言って去っていく。首を傾げながら賢治が部屋へ戻ると、丁度会長が上がってきた。透明袋に入れた携帯電話をテーブルに置きながらがしがしと髪を拭う姿は男らしいが、相変わらず妙な色気のようなものを感じてしまい賢治はそっと目をそらす。

「お先に」
「……風紀委員長来てたぞ」
「へえ」
「なんか、すぐ帰ったが」
「特に用があったわけじゃないんだろ」

 用がないのに会長の部屋へ来る風紀委員長とは、と賢治は眉を寄せた。それは不可解さ故ではなく、むしろ若干の不快さ故に近い。だが、何故そうなるのかと賢治は腕を組んで首を捻る。そこへシャッター音。顔を向けた賢治に向かってもう一度。袋から取り出した携帯電話を構える会長が笑う。

「面白い顔してた」
「消せ」
「やなこった」
「けーせーよー」
「やーだーもーん」

 賢治は会長の携帯電話に手を伸ばすが、会長はそれを避けようと身を捩る。暫しの攻防、会長が足を縺れさせた。

「危ねっ」

 後ろに倒れかかった体を賢治が支えれば、勢い付け過ぎて会長と正面から抱き合う。
 風呂上がりで熱い体からふわりといい香りがして、賢治は硬直した。
 一晩経ったことで流された諸々が濁流に乗って戻ってきて、賢治ごと何処へと浚っていこうとする。その何処には日常であれば気づきもしない閉ざされているべき扉があり、賢治の手は扉にかかった状態へと戻された。
 いや、戻されたどころではない。開けてはいけない扉にかかっていた手がほんの僅かに扉を開き始めている。
 ドアの向こうにあるのは何なのか、それとも誰なのか。

「冠城」

 会長の声に賢治は慎重に、ゆっくりと体を離したが、それはきっと悪手だった。
 密着していた体に距離ができれば、見えなかったものが見えるようになる。至近距離にあるきれいな顔が賢治を見上げ、赤くなった唇がもう一度「冠城」と呼ぶ。
 結果に到るまでの記憶が賢治から消えたとしか思えない。気付けば、まさに気付けば賢治は会長とマウストゥマウス、なんか知らんが舌も入っている。
 どうしてこうなったと賢治が我に返った瞬間、賢治の後頭部を会長が押さえる。離れるに離れられない。キス続行。この会長、ノリノリである。
 ようやく双方の唇が離れると、そこには風呂上がりに垂れ流していた色気を一気に集約凝縮爆発させた会長がいて、蠱惑的だとか艷やかだとか言うには些か捕食者の執念染みたものが色濃い笑みを刷いている。
 賢治の記憶は再び結果までを省いて残る。というか、賢治がようやく事態を把握できたのは賢治がいる間使われることのなかったベッドに転がされてからだった。
 自分に馬乗りのなる会長、その向こうには天井。

「……っ待て待て待て待て」
「誰が待つかっつうか待つだけなら散々待ったわ馬鹿め」
「いや、落ち着けって!」
「落ち着いてる、落ち着いているとも。冠城ぃ……お前は、お前から俺にキスをしたんだ。お前の意思で俺にキスをしたんだ」
「む、無意識でっ」

 我ながらとんだ最低発言だと思ったが、会長はむしろ嬉しそうだった。嬉しそうだったがそれは勝ち誇りにも似た壮絶なもので……

「無意識! 大いに結構!! つまり、お前は意識せずとも俺に対して性的興奮や魅力を感じてそれは実行に移されるほどお前のなかに根付いているというわけだ」
「その理屈はどうなんですかねえ!」
「安心しろ、天国見せてやるよぉ!!」
「男らしいっ!!」

 どこにこんな猛獣のような性質が隠れていたのか、引き裂く勢いで会長により豪快に脱ぎ脱がされて翌日、下半身すっきりした賢治は会長に肩を抱かれてベッドの上で朝陽を見つめていた。

「ヨかっただろ」
「……はい」
「今日ってか俺ら昨日から恋人な」
「…………はい」
「ダーリン、愛してるっちゃ」
「………………俺も、多分好きだわ」

 ぐっちょんぐっちょんにキスをされ、賢治は迂闊な告白を後悔した。
 上下で言うなら上になったのは賢治だが、始終上で腰を振る会長に喘がされまくり男としての矜持はボロクソである。
 決して、誓って、それに対する意趣返しではないが、賢治は会長に問いかける。

「なあ」
「ん?」
「………………会長の名前、なんでしたっけー」

 朝陽に輝く会長の凄絶な笑顔。
 ひぃ、と悲鳴を上げるもがっちりと抱きしめられて逃げられない。体の厚みや経験が違うというのに、いったい会長のどこにこんな力があるというのか。そして、今まで賢治が見ていた会長とはなんだったのか。

「薄情なところも愛しているぞ、賢治。
 俺の名前は――」

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あきゅろす。
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