小説
五話



 朝からばしゃばしゃと降り注ぐ雨、傘を差しても足元がずぶ濡れになるような天気だ。
 こりゃ屋上に行くのは馬鹿ですわ、と賢治は教室の窓から外を眺める。
 会長は問題なく弁当を用意してくれるらしいが、果たしてどうするつもりでいるのか。
 考えながら迎えた昼休みにどうしたものかと思っていると、クラスメイトが「冠城」と呼んだ。顔を上げれば「お客さん」と教室の入り口を指さす。会長がいた。
 手には青いチェック柄のランチクロスに包まれた弁当、いつもの会長だ。
 しかし、場所がいつもと違う。
 賢治と同類だが賢治よりも性質が悪かったり悪くなかったりするクラスメイトは、校内の有名人に驚きひそひそと身を寄せ合い小声でなにやら会話している。女子か。
 賢治は半ば驚き、半ば慌てながら会長のほうへ向かった。

「ダーリン、お弁当忘れているわよ」

 真顔の会長。ざわつく教室。

「やあ、ハニー。届けてくれたのかい」

 真顔の賢治。ざわつく教室。

「お前の席はどこだ」
「そこ、窓際二列目の後ろ」

 当たり前のように教室へ踏み込んでくる会長と、自身の席へ案内する賢治。会長は流れるように自然な態度で賢治の席の前にある主不在の椅子へ腰掛ける。教室の隅っこでひそひそやっていた主は「俺の席……」と迷子のような顔をした。
 賢治は机に置かれた弁当を広げ、まばたきをする。
 鮭フレークで作られたハートが白米の雪原で愛を紡ぎ、ウィンナーで作られたタコやカニがひやかし、ゆで卵で作られたひよこが恥ずかしがって白身の殻に隠れている。その他にも充実したおかずがあるのだが、やたらと、そう、やたらめったらとファンシーな弁当だった。

「気合入れすぎちゃったのだ」
「それなら仕方ねえな」
「てへ」

 真顔。
 賢治はいつものように手を合わせてありがたくいただく。会長も自身の弁当を広げたが、そちらは育ち盛りの息子のためにカーチャンが朝からせっせと詰めましたという仕様だった。おかずは一緒である。

「……まあ、いいか」

 腹に入れば同じだと賢治は頭を切り替える。周囲がざわっざわしているのは気にしない。

「賢ちゃん、美味しい?」
「ああ、美味い」

 胡麻で顔を作られたひよこを容赦なく咀嚼する。鮭フレークで彩られた白米は、ハートを崩すことになるがぐちゃぐちゃとかき混ぜた。均一に混ざった鮭ご飯は美味しい。
 会長は「よし」と頷き、自身もかつかつと男らしく弁当を消費していく。
 弁当箱を空にして、伊右衛門をごきゅごきゅと飲み干せば胃袋はご機嫌だ。いつもならば煙草を出しているところだが、流石に教室で吸うのはまずい。
 しかし、それでは少し時間を持て余すと思ったところで会長が弁当箱をまとめて席を立った。教室の隅で物悲しげなにしていた生徒が「俺の席……!」と遠くに故郷を見つけた流浪の旅人のような顔になる。
 賢治は考える。校内における会長の地位やその家柄を思えば手を出すのは馬鹿だが、馬鹿は馬鹿だから馬鹿をするのだ。会長たち優等生の教室がある場所と違って、この教室付近は軒並み馬鹿が多い。ひとりで帰すのは危ないかもしれない。

「途中まで送る」

 会長が目を見開く。

「どうせなら教室まで送ってくれ」
「……会長がいいなら構わねえが」

 大っぴらに自分のような生徒と付き合っていいのかね、と思うが、自分の発言は自分で責任をとるだろう。賢治は頷いて会長とともに教室を出る。背後では「俺の席!」と生き別れた我が子と再会した親のような声がしていた。
 会長と並んで校内を歩くのは妙な感じがする。もちろん不快なのではないが、例えるなら決まった通学路を変更したようなものに似ているだろうか。

「冠城、ゴムが落ちている」
「ああ、馬鹿の落し物だな。未使用だが触らねえほうがいいぞ」

 恐らくでもなく会長のいる教室付近ではこんな落し物はないのだろう。増々送ることは正解だと思いつつ、賢治は会長の横顔を見遣る。すぐに視線に気付いた会長が眉を上げる。

「なんだ?」
「態々来てくれたのはありがてえけど、あんまこっち来んなよ」
「迷惑だったか?」
「危ねえっつーの。むしゃくしゃしてた、なんとなく気に入らない、理由のない暴力とかくそうぜえだろ」

 ふむ、と頷き、会長は「危なくなったら助けてね」と言う。賢治は苦笑いして「助けられたらな」と応える。
 会長は意外そうな顔をするが、これだけ世話になっているのだ。目の前で会長が殴られそうになっていれば相手を打ちのめすくらいはする。会長が悪くても相手を打ちのめす。モンペ属性である。

「助けられるときは助けるけどよ、知らないところでってのはあるだろ」

 教室が違う、校内の立ち位置が違う。
 こうして交流を持っているのが不自然なほどに、賢治と会長の住む場所は違う。
 ならば、会長が困っているとき、賢治が当然のようにその場にいるなどどれだけ低い確率だろうか。
 要は危ないところに行くな、と言いたかったのだが、なにを思ったか会長は携帯電話を取り出した。

「連絡先交換しよう」
「……おい、優等生。俺は不良に分類されるんだが」
「私、困る。あなた、連絡する。あなた、来る。私、助ける」
「なんで片言だよ。緊急ホットラインか」

 言いながら賢治も携帯電話を取り出す。
 雨が降るのは珍しいことじゃない。今日のように屋上以外で食事を摂るのなら、その連絡に使うこともあるだろう。
 もちろん、救助要請が入ったなら全速力で応じよう。

「お前から連絡してくれても歓迎だぞ」
「助けて会長、テストがピンチなのってか」
「構わんよ」
「じゃあ、会長から寂しくて眠れないって連絡来たら駆けつけるわ」
「マジか」

 会長が賢治の連絡先が入った携帯電話を凝視する。
 賢治は笑ったが、その晩、会長から連絡が来て鼻水を吹いた。

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