小説
二十七話



 傍観者気取りの立ち位置だとしても、協力を請われた身としてヴィオレはわざと体調を損ねることをしない。
 故に、武闘大会の間ヴィオレの目の下にはしばしば現れていた隈が長く出没していないし、目には光が宿っている。
 そういうときのヴィオレは正統派美形に見えるのだが、逆に睡眠不足が祟ると常時ゲロ吐きそうな顔になっているので落差が激しい。見た目通りに能力へ反映されているわけではないのだが、こいつ大丈夫か、という様子に見えるのはいただけない。そんな状態で闘技場の隅に突っ立っていたら増々ヴィオレへの視線は厳しいものになっていただろうし、あんなのを使うくらいなら、という意見のもとグレンも煩わしい思いをしたことだろう。取引きを抜きにしてもヴィオレは律儀だった。ただし、気に入った人間に対してだけだが。

「ねえ、名前教えてよー」

 決勝戦ということで万全の体調で挑むことを望まれ一日おかれた間。開催側の意図も虚しく迷宮へ向かったグレンと、せっかく暇ならと久しぶりの夜更かしをしまくったヴィオレ。丁度グレンが迷宮に向かった夜明け過ぎ頃に就寝したヴィオレは、朝食と昼食の間の時間になってようやく起きだした。
 宿の人間に朝食を頼めば時計に一瞬視線をやってから「朝食ですね、朝食……」と呟き明らかに呆れた様子であったのだが、ヴィオレは気にしない。なんたるふてぶてしさ。
 もはやそうと求められない限り、ヴィオレがゆっくりと食事を摂ることはない。味わってはいるのだが、胃に収めていく動作は素早かった。
 今日は向かいに座って話す相手もいないので尚更早く、残るは人参のグラッセが一つというところでヴィオレはフォークを置く。人参が嫌いなわけではないし、腹がいっぱいになったわけでもない。
 顔を上げたヴィオレに微笑み、近づいてくる青年。昨日の対戦相手、トリフォイルであった。

「や、こんにちは。向かい失礼するね」

 一声かけはするも、了承を求める伺いはたてない。図々しいと不快に思うこともなく、ヴィオレはなんの用かとまばたきをする。が、「ん?」と首を傾げられて通じない。基本的に声を出すことを控えているヴィオレは仕草や動作が増えたものの、万事が万事それで通じるわけではない。改めて実感すればグレンの察しの良さに気付いた。

「なにかご用かしら」

 確実に通じる手段、マシェリを介せば今度はトリフォイルがまばたきをする。ヴィオレと違ってなにかを問うものではなく、純粋に驚いた顔だ。

「日常でも使っているんだね。ソロの魔法使いだから前衛代わりとしてパペッターの技能も修めているのかと思ったけど」

 使い魔や使役する魔物、魔道具を魔法発動までのつなぎとして使う魔法使いは多いらしく、トリフォイルはマシェリもそれらの一つだと思っていたようだ。

「むしろ戦闘用じゃないの」
「みたいだね」
「で、なんの用だっていうの?」

 逸れた話を元に戻し問いかければ、トリフォイルは「んー」と考えるようにに曲げた人差し指を唇にあてる。勿体ぶられるなら席を立つが、思考をまとめているようなのでヴィオレは急かしもせず人参のグラッセを咀嚼して飲み込んだ。水を飲んでいるうちに考えがまとまったのか、トリフォイルがテーブルの上で両手を組む。

「対戦の前日に話したことを覚えているかな」
「……ああ、ご主人の名前が知りたいの?」
「そう。できれば、きみから名乗ってほしかったけど」

 無理かな、と窺うトリフォイルから顔を背け、ヴィオレは軽く口元を隠しながら欠伸を噛み殺す。

「寝不足? すっごく疲れた顔してるよ。正直、顔見た時昨日のと同一人物か疑った。昨日はもっときらきらしかったっていうかさ」
「同一人物よ」
「ならいいや。正直、いまのきみにやられていたならもやっとしたものが残っていたかも」

 トリフォイルはおかしそうに笑う。言いたいことは分からないでもないが、なんとも正直なことである。
 呆れたヴィオレに猫が笑ったような顔でトリフォイルは「名前教えてよ」と繰り返す。

「どうしてもきみが動かなければいけない状況にできたとは言えないけどさ、努力賞的に?」
「どうしてご主人の名前にこだわるのよ」
「渦炎以外とはまともに交流のない謎の規格外魔法使い、仲良くなれたらうれしいじゃない」

 だから、調べようと思えば出てくるヴィオレの名前を本人から知りたがるのだろう。

「うちは練度はどうであれ、全員が魔法を使える。そこに渦炎が入ってくれたら怖いものなしだけど、逆にきみみたいなのが入ってくれても大歓迎なんだけどな? ねえ、名前教えてよー。仲良くしよー?」

 わざとらしく鬱陶しい口調で重ねるトリフォイルにため息を一つ。

「生憎だけどあなたたちと組むつもりはないの」
「渦炎と組むから?」

 マシェリを見ていた目がヴィオレに向けられる。
 当たり前のように出てくる言葉。少しの交流で周囲が騒ぐほどにグレンは孤高の存在だったのだろう。
 ヴィオレは当初、そんなことを知らなかったし、知ってからも積極的に交流を結ぼうと思ったわけではない。グレンと自分が組むことを当然とは思わない。
 しかし、かといってSランクパーティのリーダーに勧誘されてもそちらと組もうとは思わない。どうせ組むのなら、と思う気持ちは確かにあった。
 ヴィオレは寝不足で光の鈍い目をぱしぱしさせる。見るからに自身やその質問に関心の薄い様子にトリフォイルは苦笑いした。

「彼と組まなくても、あなたたちとは組まないわ」
「わー、こんなに素っ気なくされたのSランクになってからは中々ないよ。渦炎にはしょっちゅうだけどね。あーあ、勧誘は失敗、諦めるよ。でも、個人的な付き合いはあってもいいよね?」
「大概しつこいって言われない?」

 ひひひ、といたずら小僧のように笑うトリフォイルにため息を吐き、ヴィオレはマシェリの頭を撫でる。

「ご主人はヴィオレよ」
「ありがと、ぼくはトリフォイル。トリフォイル・シャムロックだよ」

 この世界では王侯貴族以外の姓は出身地や家系の特徴、生家の生業に因んだものからとるのが一般的だが、殆どの場合は名前のみを名乗る。姓を合わせるのは親愛や信頼の証らしい。

「明日の決勝戦、観に行くよ。きみたちの幸運を祈ってる」

 前髪に留めた四つ葉のピンを輝かせ、トリフォイルは席を立った。
 残されたヴィオレは手慰みのようにマシェリの髪を指に巻きつけほんの僅か思考に浸るが、椅子から立ち上がったときのヴィオレはその残滓も窺わせない様子で部屋へ戻る。
 二度寝をすることにしたのだ。

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あきゅろす。
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