小説
はち



 編入生こと田辺博之は、学園生活をエンジョイしていた。
 弾けて飛び出す青春ハートが少々備品を壊したり、周囲の人間の精神力をガンガン削ったりするものの、それはそれ。楽しいか楽しくないかで言えば、博之は満面の笑みで「おう、友達が一杯できて超楽しいぜ!」と答えたことだろう。
 博之は教師生徒の垣根なく友達を作りたいと思っている。
 だが、この学園の特殊な傾向のせいか、博之が友達になりたいと思った人間の幾人かは、人気者とされて中々近づけない。彼ら自身も博之に近づいてくる気配はなく、やはり自分が行くしかないのだと、博之は彼らを見かけるたびに突撃するのだ。

「あ、香坂ー!」

 ある日の放課後、寮へ戻る道を歩いていた博之は生徒会の副会長を見つけた。
 いつもは放課後暫く生徒会室で仕事をするため、こんな時間に寮の途中への道で見かけることはない香坂がいることに疑問も覚えず、博之は駆け寄る。
 香坂は後ろからかかった声に僅かに振り返り、口元に笑みを刷いた。
 たん、と香坂は地面を蹴って、常の優雅な所作からは意外なほどの速さで駆け出した。
 驚いた博之だが、すぐに香坂を追いかける。香坂の背中に声をかけるが、香坂の足は止まらない。
 博之はすばしっこい方なのだが、香坂も速い。おまけに圧倒的なコンパスの差が、博之を香坂に追いつくのを良しとしなかった。
 香坂の足は寮へは向かわず、別の場所、いや、明確には目的地などないかのように走る。
 博之があまり来たことのない遊歩道へ向かい、また道を外れてひと気の少ない方へ。
 秋も半ば、日暮れは早く、既に薄暗い中で香坂を追いかける博之をあざ笑うかのように、香坂は突然加速した。
 ぎょっとした博之も足をなんとか速めるが、香坂をあっという間に見失ってしまった。
 道に迷いはしないが、薄暗いなかで一人きりというのは心細く、博之は香坂の名前を呼びながら、辺りをうろうろ歩き回り、暫くして僅かに開けた場所に出た。
 古びたベンチがひとつあるきりの場所には、ひとりの青年がベンチに座っていて、突然現れた博之にぎょっとしている。
 青年が加える煙草の先端が淡く点り、端正な顔立ちを薄闇にぼんやりと照らしていた。
 学園内で煙草を吸っているだとかはどうでもよく、ひと目で青年と友達になりたくなった博之は、彼に近寄ろうと足を動かした。瞬間、無粋な携帯着信音が鳴り響く。

「なんだ、どうした?」

 青年は胸ポケットから携帯電話を取り出すと、ぶっきらぼうな口調で応答する。
 短いやりとりをした青年は、突然声を荒げると、通話を切りながら跳ねるようにベンチから立ち上がった。

「なあ、あんた名前……」
「それどころじゃねえッ」

 博之が急いで声をかければ、青年は煙草をもみ消し、なにかを放ってその場から駆け出していった。
 あまりの勢いに博之は呆然として、ふと青年が落として、というか投げ捨てていった手のひらサイズの箱を拾う。どうやら、煙らしいと気付いたのと同時、厳しい声が博之の背中にかかった。

「風紀の見回りだ。煙草のにおいがするな……お前、手に持っているものを見せろ」

 風紀の腕章をつけて険しい顔をするのは、博之が友達になりたい一人の風紀委員長で、普段ならば会えて嬉しいのだが、仕事中の彼と、煙草を持つ自分という状況で出会ってしまったことに、博之は青ざめた。

「ちが、俺じゃない」
「煙草、使用済みだな……」
「違うこれは拾ったんだっ」
「話は風紀の方で聞く」

 博之の弁解も聞かず、風紀委員長は博之を引き摺っていった。



 誰がヘマをしたのか、学園内で煙草が見つかったらしく、風紀の見回りが強化されるらしい。
 週明けにそんな話を聞いた竹内は、うんざりした。
 手持ちの大半は教師に持っていかれたため少ないが、いつ部屋に抜き打ちチェックが入るか分かったものではない。ただ処分するには惜しく、風紀の目を掻い潜って消費した。
 その日も蛍族ではないが、夕暮れにぷかぷか紫煙を溶かしていた竹内は、やってくるひとの気配に戦々恐々とした。
 風紀の動きは舎弟に見晴らせているので、連絡もなく風紀の登場というわけではないと思うが、他の生徒に見つかってチクられるのも厄介だ。
 竹内が立ち去るより早く、ひとはやってきてしまい、生徒らしい彼はなにを思ったのか、獲物を見つけた猛獣の目で近寄ってきた。
 こっち来んな。
 本能的な拒絶を覚えた竹内を救うように、携帯電話が鳴る。
 だが、それは風紀の見回りを知らせるものだった。
 竹内は追いつかれた時の尋問に備え、煙草をその場に棄てて走り去る。
 唖然とする少年のことなど頭にはなく、早くこの場を立ち去るのが優先だった。
 後日、ある生徒が喫煙現場を風紀委員長に見つかって、停学処分を喰らったという話を聞いた竹内はひょっとして、と思ったものの「ご愁傷様」と呟いて、すぐに忘れた。
 自分のせいで、なんて罪悪感にいちいち悩まされていたら、竹内は不良などやっていない。



「それにしても意外でしたね」
「なにが」

 風間は副委員長の呟きに、書類にサインをしていた手を止めた。

「いえ、会計の美作ですよ」
「あいつがなんだって?」
「てっきり見た目どうりのチャラくてふざけた男だと思っていたんですが、態々煙草を見つけたなんて報告に来るくらいには真面目だったんだなあって」

 ああ、と風間は頷く。
「喫煙者」は見つけたものの、今週一杯は強化するつもりの見回り、発端は美作が風紀に持ち込んだ煙草から始まった。
 休日の外出から帰ってきた美作は、学園の敷地内に落ちていた煙草を拾い、風間に連絡をした。
 休日にあちこちチェックするため歩き回る不機嫌な風紀委員長の姿は、多数の生徒が見かけていて、その真面目っぷりに尊敬と苦笑いが集っている。

「しかし、田辺でしたっけ? 彼も見苦しかったですね。自分はやっていないの一点張りで」
「マジでやってないのかもしれないけどな」
「ああ、主張どおり、吸ってた人間に押し付けられた、ですか? ま、あんなひと気のないところじゃカメラもないし、確認しようがないんですけどね」
「だからこそ、態々見回らなきゃいけないんだろ」
「で、見事発見、と。大体、あんな場所にどんな用があったっていうんだか」

 博之の起こす騒動で少なからず疲労した副委員長は、どんな言い方をしても博之に対して辛辣だ。
 それに苦笑いした風間は、再び視線を書類に落としてサインしていく。
 博之は停学の一件から、性格が僅かに人間不信気味になった。以前のように誰彼構わず友達になることを強要することも、騒ぎ立てることもなく、ただなるべく他人と積極的に接触しようとせず、他人からも関わって欲しくないというスタンスだ。

「あーあ、かわいそーに」

 棒読みでの呟きは、どこか美作の口調に似ていると思い至って、風間は笑った。


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あきゅろす。
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