小説
むっつめ



 探すといっても仕事がある。
 たからじまの中と外では流れる時間が、あるいは時間の種類が違うのかもしれない。そう思ってしまう程度には、忙しい。
 地図を探そうと言って暫く、いつの間にか時間は週単位で経っていた。



 あれをして、これをして。休憩時間だって気が抜けない。自ら仕事を探しているのは確実だけれど。
 会社近くの喫茶店でまだまだ働くためのエネルギーを摂取、がぶり、とやったサンドイッチのもそもそして、珈琲の焦げ臭くて苦いこと! 白妙は一口で食べる気でなくしてしまったけれど、食べ物を粗末にはできない。喉につっかえつっかえ飲み込む。途中で本当につまって、それでも砂のようなサンドイッチをさらに泥水のような珈琲で流す気にはなれなくて、水道水に氷をサービス、カルキをたっぷり召し上がれ、といわんばかりのコップに手を伸ばした。疲れすぎて神経が過敏になっている自覚はある。
 ふう、と溜息をついて、これ以上この賑やかな店の中にいるのは嫌だな、と席を立った視線の先、窓の向こうに歩いていた人物に白妙は思わず店を飛び出していた。前払い制でよかった、と初めてこの店の好感度が上がった。その場限りだろうけど。
 幸いにも見失うということはなく、前方に太陽の光の下で枯茶色の髪はひより、ひより、と揺れていた。
 追いかけようと踏み出した足は、ぱっと頭を過ぎる理性によってとどまる。

(追いかけてどうするんだ)

 声をかける? たった二回程店に来た客に外で会ったからといって、声をかけられても迷惑だろう。第一かけるとしても何をいえばいい? 考える白妙に大体なんで追いかけたんだろう、という疑問は湧いてこない。わかっているから。思った以上に自分はたからじまの空気と、時間の流れ方、くしゃっとした笑顔にはまっているらしい。
 一瞬前まで慌てた様子だった男の突然の静止に通りすがりの人たちはちらり、と目を向けて、また自分達が向かう方へ視線を戻す。
 糸括もまた背後での白妙の苦悩など知る由もなく、ゆったりとした歩調で歩き去っていく。
 焦がれるのにも似た気持ちで糸括の背を見送る白妙だが、唐突に足を動かした。糸括が向かった曲がり角の手前、ぽとん、と彼から落ちたなにか。
 口実ができた、という打算がなかったわけじゃない。誰かが拾う前に、と急く足だけれど、純粋な親切心もないわけじゃない。
 誰に言うでもない内心の言い訳がぐるり、とまわるころ、誰かが拾うことも糸括が落し物に気づくこともなく彼は曲がり角を行ってしまい、その姿はいまの白妙の位置からは見えない。それに焦って思わず走って、拾ったのは白いハンカチだった。
 焦るままに曲がり角を行く。ひゅっと吸い込んだ空気がとても冷たい。突然の運動に体が騒ぐ。
 きょろり、と見渡しても糸括はいなかった。急いだからすぐに見失うわけはないのに、とよく周りを見れば、遠くない先にバスがまだ加速しきらずに走っていた。目をこらせば、バスはたからじまの最寄り駅へ向かっている。
 がっかり半分と、安心半分。白妙は二つをよく混ぜた息を漏らす。

(人違いだったかもしれないし、な)

 そんなわけない、と分かっているのに、半分のがっかりと埋めるように思う。ほんとうに人違いだったらそれはそれで、がっかりなのだけれど。
 届ける先のいなくなってしまったハンカチに目を落とせば、一瞬前の白妙の考えを杞憂だよ、と告げるものがあった。
 機械よりは均等さと精密さに欠ける可愛らしい刺繍。デフォルメされた牛乳瓶と、なぜか湯のみ(中はクリーム色だったので牛乳がはいっているらしい)、その下に刺された名前はたからじまでくしゃりと笑う青年のものだった。
 ハンカチに目を落としていると、不意に白妙の上着のポケットが震える。携帯電話がわあわあ騒ぐ。そういえばもうすぐ休憩時間が終わってしまう。もしかしたら既に終わってしまっていて、呼び出しなのかもしれない。そうだとすれば大変だ。
 慌てて取り出してディスプレイを確認すれば、同僚でも上司からでもなかった。気安くも親しい幼馴染のひとり。

「もしもし」
「あ、おれだ、おれ。見つけたぞ!」

 年甲斐もなくはしゃぎ切った松月の声に、白妙は苦笑いする。
 こんな風に落ち着きがないから吉野に関節技を極められるのだ。痛いのは嫌でも、吉野に構われるだけ松月は嬉しそうなのだけれど。

「携帯でなかったら俺俺詐欺として切られているぞ、松月。で、なにが見つかったんだ?」
「だーかーら!」

 松月の声は興奮している。白妙は興奮する一瞬前に現実に引き戻されたから少しだけ頭がぼうっとしていて、松月の興奮についていけない。だから、次の松月の言葉に喜ぶより先に呆然としてしまった。

「おれ達の青春を示す、たからの地図だ!」

 吹いた冷たい風に、秋を連れていく風に、白妙は思わずハンカチを握り締めた。
 耳元を掠めた風の音は、しゃららんしゃららん、と聞こえるはずのないそれだった。

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