小説
四十刀



 不惑とは言うけれど、何事にも動じずにいられるかと言われればそうでもない。源柳斎は今、紛れも無く心を揺らせていた。
 遠方にある道場に請われて赴いたのはいいのだが、稽古後に誘われた食事を断って帰路につく途中で見かけた色。
 白。
 真白の髪に白い、正確には生成りの着物。
 まっすぐ伸びた背は下駄を履いていることを抜きにしても源柳斎より高い。
 目を惹く容姿をしている。
 しかし、源柳斎の視線が固定されたのは、その特異な姿のせいではない。
 気配。
 源柳斎は数十メートル先を歩く男の気配を知っていた。
 曲がり角に向かうその背を見た時、源柳斎は駆け出す。
 同じ曲がり角を行くも見えない姿に見失ったかと思ったとき、源柳斎はその場からはね飛ぶようにしながら身を反転させた。

「なにか御用ですかねえ?」

 飴色の目が猛禽類の鋭さを以って源柳斎を射抜いた。

「……すまない、見かけて咄嗟に追ってしまった」
「え? ナンパ?」

 白い男はがくん、とまるで骨が折れたかのような勢いで首を傾げる。

「いや、違う」
「ですよねー。おっさんがおっさんにナンパとかないわー。いくら美中年でも、いくら美中年であっても!」

 うんうん頷く男は始終無表情だが、男が元よりそうであるのかを源柳斎は知らない。
 約十年前、源柳斎に防戦一方を強いたとき、男はサングラスでその表情を窺わせなかったので。

「で? 美中年さんはなんの用だ? イケメンは年取ってもイケメンなんだと見せつけにきたのか? はっはっは、だとすれば俺は……」
「手合わせを願いたい」

 地獄の底から響くような声で謎の呟きを続けていた男に、源柳斎は硬い声音で持ちかける。
 男の目がきろり、と源柳斎を窺う。
 理由を問うというよりも、意義を問うかのような冷たい……いや、温度のない眼差しだ。
 男の足元が鳴る。その音で源柳斎はようやく男が杖を携えていることに気付いた。まるで、男に似合わない。妙なる剣術家として人体の動きを見る目に秀でた源柳斎をして、男はその身の不自由さを一切感じさせなかった。

「手合わせと言われたって、俺は武術も武道もやってないんですけど」
「……正式には、とつくのでは?」
「鋭い野郎は嫌いだよ。イケメンは更に嫌いだよ」

 男は頬に落ちる髪を耳にかける。

「付き合う義理がない」
「だろうとは思う。だが、私は貴方と仕合いたいのだ。年月の重さを、鋭さを、距離を感じたい」
「意味が分からん。興味もない」

 男はひらり、と手を振って、源柳斎の横を通り抜けようとする。どこまでも自然体で余裕のある態度は男の中で源柳斎が路傍の石程度の存在であることを窺わせた。
 源柳斎はどうしても引き止めたかった。あの時届かなかった男と再び相見えることができたのに、どうして見過ごすことができようか。今の自分がどれほど進むことができたのか、あのとき足りなかった刃渡りが今ならば如何程なのか。目に見えぬものを目指す者として、源柳斎はどうしても、どうしても知りたかったのだ。
 源柳斎が口を開くより、手を伸ばすより早く、男は駈け出した。
 通行人に紛れる直前、男の気配が「死」ぬ。見つからない。どこにいるのか分からない。目を凝らしても特徴的な姿を捉えることができない。

「……だが」

 通り過ぎて行く人々、その溢れる「生きた」気配。生者の群れのなかで源柳斎は探す。当たり前に生きる人々の中から「死体」を探して駆ける。
 違和感を追い求める源柳斎の前に、気付けば無表情ながら呆れた雰囲気を漂わせる男が立っていた。

「気配殺しても追いかけられたのは初めてだよ。熱烈過ぎだろ、ネットの解析班か」

 路地の手前、Hortensiaと書かれた看板を見下ろしながら男がため息を吐く。

「迷惑を承知で願いたい。一度だけ、応じてもらえまいか」
「…………今後は放っておいてくれるなら」

 男は心なしか肩を落として歩き出す。二階建てのモダンな建物の裏手に回る男について行けば、そこには開けた土地があった。

「できれば訊きたくないが一応確認しておく。お前さん、得物使用するんだよな?」

 男の視線が源柳斎の刀袋へ嫌そうに向けられる。そこで、源柳斎は男が自分のことなどまるで覚えていないのだと苦笑した。

「叶うなら、抜刀の許可が欲しい」
「ひと目がないし、場所が場所だから警察から目こぼしされるしで要素が揃っていやがるし、断れば場所を変えて云々とかなるんだろ……」

 男は舌打ちをした。

「どーぞ」

 どこまで面倒くさそうな男だが、源柳斎が刀袋を取り払って鋼を抜けば飴色の目を凝らせた。
 お互い名乗りもしない。開始の合図すらない。
 前触れもなく詰めた距離、放つ一閃を男の杖が絡めとるように払った。硬い音をたてて男の身長に合わせて平均よりも長い杖が更に伸びる。
 槍、薙刀、そして太刀。三役こなすという杖術と相対するのは初めてだった。
 全身が冷えていくのを感じる。感じたことがないほど冷たい熱に、男の存在を強く感じた。
 閃く鋼、描く銀閃、いなす男の変わらぬ無表情はしかし、溜めもなく放った斬気遠当てに理解の色を宿した。

「……ああ、そうか。お前さん……ふんふん、なるほど」
「思い出してもらえただろうか。あのとき届かなかった距離をどれほど埋められたか、斬ることができるのか、私は知りたいのだ」

 男の表情が僅かに動く。
 にちゃり、と歪んだ笑顔。

「知らね」

 んー? と首を傾げながら源柳斎を見下ろし、男は囁く。

「まったく知らない、覚えがない。興味もなければ意味もない。知らないものがどんな過程を経ていようが知ったことじゃない。結果も結末も勝手にどうぞ。知らない知らない、俺はなあんにも知らんよ」
「……つれないな」
「ああ、なにせ、俺はお前さんと面識などないからなあ」
「……そういうことか」
「そういうことだ」

 あの日、あのとき、男はあの場にいなかったことになっているのだ。
 苦笑を一瞬、源柳斎は歯を食いしばる。
 男の攻勢が激化した。
 先ほどまでは僅かだが窺うような姿だったのに、今ではすぐにでも源柳斎を潰そうという意思が溢れている。
 だが、源柳斎は確かに進んでいたのだ。
 斬って、払って、斬って、斬って斬って、斬って。
 巧みに刃と杖が交わるのを避けていた男、源柳斎はとうとう捉える。
 放つ一閃、半ばで断ち斬られた杖の半身が宙を舞う。油断なくもう一閃、男は深く姿勢を下げた。
 そして男は掻き消える。
 目の前にいた生者がどこにあるとも分からぬ躯に変わる。
 咄嗟に探した死体はしかし、感じたときには背後、身を捻った源柳斎を撞木を叩きつけるが如き蹴りが襲った。手から弾き飛ばされた鋼、その行方を追うより先に指先揃えて閃かせた手。くるり、舞うかのように反転した男が再び源柳斎に向き合うとき、放たれたのは先ほどとは比にならない破城槌を思わせる足技。
 例え、事前に身構えたとしても正しく防御という門扉突き崩すだろうそれにもんどり打って地面に膝をつき、源柳斎は男を見上げる。

「――よく、がんばりました?」

 吹っ飛ばされる直前に感じた手応え。裂けた裾を見下ろす男に、呼吸が詰まりそうな打撃を受けた源柳斎は笑った。

「届くことは、叶ったようだ」

 斬るためにはあともう少しだとしても、今はただ届いた鋒を誇ろう。

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