小説
ろく



 思ったよりもさくさくと仕事は進み、愁は一息ついてPCをシャットダウンした。
 伸びをすればごきごきとあちこちの骨が入り、ついでとばかりに首も回す。心なし、すうっと血が通っていく感覚がする。

「っあー……いま何時だ?」

 だるい腕をぶらん、と持ち上げて腕時計を確認すれば、雪兎を部屋から追い出して一時間ほどしか経っていない。
 早く終わらせようと、妙にやる気を出していた自分を突きつけられたような気持ちになって、愁は乱暴に煙草を手繰り寄せる。
 昔は葉巻派で、紙巻に変えた当初は紙の燃える味が妙に気持ち悪かった。
 ちびすけを家におくようになって、煙草をやめるほどの義理はなかったが、少しくらいは弱いものに変える義務を感じてのことだ。
 落ちてもすぐ消える葉巻と、寝タバコで火災が起きる紙巻という問題はあったが、そちらは気をつければいい話だ。
 当時を思い出して、愁は不味いものを食べたような顔で頭をかきまわした。
 苛々した手つきでケースを取るが、感触は酷く軽い。底を叩いても、空しい音がするばかり。
 舌打ちをしてストックをいれている引き出しを漁るが、そこには乱暴に千切ったカートンの残骸があるだけで、本命が不在だ。

「……あ?」



 煙草が切れた。
 その事実に、愁はぎりぎり歯軋りせんばかりの勢いで部屋を飛び出した。
 喫煙者の肩身が狭いご時勢、全寮制学園という未成年が過ごす購買に、当然のことながら煙草など存在しない。煙草が欲しければ、態々学園を出なければいけないのだ。
 面倒くさい。心底面倒くさい。しかし、後回しにすればニコチン切れで苛々するのは明白だ。運よく買い物に行く教師にでも出くわさないかと願ったが、職員寮ですれ違ったのは嫌煙家の教師で、愁は奇跡的に壁を蹴り飛ばすのを堪えた。
 ちなみに、物が物でなければ、愁は容赦なく生徒をパシリにする。
「こんな外界から隔離されたとこに引きこもってねえで、健康的に出かけて来い」と言った口で「ついでに使い行ってこい」と続けるのだ。
 少し前までは煙草を子供がお使いで買いに行くことも可能だったのだが、いまは年齢確認だなんだとうるさく、とてもじゃないができない。
 学園から態々出るか、それとも諦めるか。後者は却下、では前者か、とため息を吐きかければ、はた、と愁は閃いた。
 いつぞやのように廊下を全力疾走し、愁は生徒の寮へと向かった。平日だったなら、校舎裏へ向かっただろうが、今日は休日なのだ。



 麗らかな昼下がり、坊ちゃん集う学園では異色の存在、不良と名高い竹内は、街に出ようと誘ってきた舎弟どもを追い払い、寮で穏やかな午後を楽しんでいた。
 片手にコーラ、片手にギャグ漫画。
 これほどの自堕落、これほどの至福があるだろうか。いいや、そんなものはありはしない、と竹内は思う。
 主人公のギャグにひとしきり笑った竹内は、コーラで喉を潤し、ひとつのペットボトルを空にする。ただのゴミと化したそれをゴミ箱に放れば、見事にホールインワン。
 満足して頷き、竹内はポケットから煙草を取り出す。ケースの底を叩けば、ぴょこ、と顔を出す紙巻。この動作が中々スムーズに出来ず、こっそり練習したのは中学生の半ばだっただろうか。肺ガン予備軍である。
 竹内が飛び出た煙草を口に銜えようとした瞬間、ノックもなく部屋のドアが開いた。一人部屋の自分を訪問してくる輩など知れているし、いちいち鍵を開けたりという手間が面倒で、竹内は寝るとき以外に鍵を閉めない。
 それが仇になったと天を仰いだのは、ニヤリと笑う存在が教師だと確認した瞬間だ。

「よう、竹内。煙草は禁止だ。没収な」

 ずかずか遠慮もなく入ってきた教師は、銜える寸前だった煙草ごとケースを奪い去る。

「ストックもあるだろ。出せ」
「…………あいよ」

 竹内がこの教師に煙草を没収されるのは、実は初めてではない。
 脅そうがなにしようが、この教師に抵抗は一切無駄なのはよく分かっているため、竹内は大人しくカートンを差し出した。

「まだありそうだが、まあ、いいだろう」

 ちらり、と今カートンを出した引き出しとは別の引き出しに目をやる教師に顔を引き攣らせながら、竹内は内心で「早く帰れ」と願い、その願いは早々に叶えられる。

「あとはもう用ねえや。じゃあな」

 来たとき同様ずかずか歩き、他人の居住区とは思えない乱暴な仕草でドアを閉めていった教師に、竹内は片手で顔を覆う。

「大人しくでかけてりゃ良かった……」



 ほくほく顔で生徒から煙草を巻き上げた愁は、足取りも軽く職員寮へ向かっていた。
 生徒寮から職員寮へはいったん外に出なくてはいけないのが面倒だが、街へ向かう手間より何倍もマシだ。
 うっかり気を抜くと歩き煙草をしそうになるが、さすがにそれは不味い。喫煙者はルールを守ることでようやく喫煙を許されているのだ。

「あっれえ、センセが生徒寮から出てくるとか、どうしたのー?」

 しがない世の中に愁が物悲しくなっていると、妙に間延びした声が横からかかった。
 振り向けば、見るからにチャラチャラと軽い私服姿の会計がいる。
 こういう不良もいそうだな、と感想を抱く愁だが、態々指導をいれる気はまったくない。むしろ、発想すら浮かばない。

「……生徒指導」
「……休日だよ?」
「うるせえ」

 ふい、と顔を逸らす愁に苦笑いして、会計は肩にかけた鞄を軽く引っ張る。

「遊びに行ったにしちゃ、帰るのが早いな」
「ああ、ちょっと買い物ー。やることあるし、長々とでかけてらんないの」

 ふうん、と自分から振っておきながら、愁の興味は薄い。
 気にした様子もない会計は、言うとおり、やることがあのらしく「じゃあねー」と教師に対するものとしては酷く気安い別れの挨拶をして、生徒寮へ向かった。
 愁はその背中をじっと見送り、ふん、と鼻を鳴らした。


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あきゅろす。
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