小説
三十七刀



 刀なくして斬る。
 自身が刃となる。
 言葉にすれば簡単というか頭がおかしいという他ないが、源柳斎は一切の疑問もなく考え続けている。
 果たしてそれらは可能だろうか、と。
 ビール瓶を手刀で割る人間がいることは知っているが、あれは瓶の形状によって角度などを変えている。瓶であるという前提のもと微調整すれば可能という範囲に過ぎないので、たとえば突然この二月堂を両断することはできないだろう、と源柳斎は茶托を避けて艶やかな表面を撫でる。
 難しいものだと思いながら湯のみを取り上げたところで、記憶が弾けた。
 尖った爪先を揃え、ごく軽く湯のみを叩く仕草。
 逆への字の唇が紡いだ講釈。
「気」という存在を源柳斎は深く理解しているわけではない。瞑想により練られると言われてもいまいちピンと来ないのだ。ただ、あの全身を巡る冷たい熱がそうなのだとなんとなく気付いていた。
 あの熱は鋼に酷似している。熱くて冷たい。凍えるほどに熱い。だからこそ、源柳斎は鋼を握ったときにのみその熱と親しむことができた。しかし、現在考えているのは鋼を手放した状態での斬撃だ。上手くいくかは分からない。
 眉間に皺を寄せ、覚えている限りの感覚を以って再現しようと集中する。
 ――駄目だった。
 生温い人肌ばかりを感じる。
 湯のみを叩いても相応の反作用があるばかりだった。もっとも、湯のみが柿右衛門だと気付いた源柳斎は成功しなくてよかったと心底安堵したのだが。
 まずは感覚を明確にして掴むべきだと考え、源柳斎はひと口携えて庵を出た。



「源柳斎殿の太刀筋はやはり映像として残すべきですね」
「皆が同じことをする必要はありませんが、可能性の示唆としてはこれ以上の存在はないかと」

 先日撮った写真を纏めてアルバムにした白雨はご機嫌で、後で映像のほうもいじるつもりらしいが、今は出来立てのアルバムを源柳斎にも見せようと蝶丸に手を引かれながら山を歩いている。蝶丸も丁度、源柳斎の昼食を作りに行く予定だったので、白雨と繋いだ手の反対には食材の入った袋が提げられていた。山芋の旬なので、麦とろ茶漬けを作るつもりだ。
 和やかに話しながら山道を歩いて暫し、奇妙な揺れを感じた。震動の類だが地震ではない。
 怪訝な顔をしつつ、蝶丸は白雨を抱いて庵に向かい走った。
 揺れが少しずつ近づき、庵が見えた頃に白雨は口をぽかん、と開けた。
 庵の側で源柳斎が一心不乱に刀を振っている。
 それはいい。それはいつものことだ。蝶丸だってそうなのだから特筆するようなことではない。
 ならば、何故源柳斎の行動に蝶丸が唖然としているのか。

「わあ……源柳斎殿がいれば森林伐採業者はいらなそうですね」

 なるべく拓けた方に向かっていても、離れた距離にある木が、地面が犠牲になっている。
 斬気遠当て、その連発。
 ひと呼吸の集中を必要としていたそれを、源柳斎はメトロノームが左右に揺れるかのような規則性を以って絶え間なく続けていた。
 この場にもし、もしも月柳流に好意的且つ真っ当な常識人がいれば目頭を押さえるだろう。
 集中の末、懇親の一撃、奇跡。どの言葉ももはや当て嵌まらない。
 科学的根拠を一切無視した絶技を完全にものにした源柳斎がそこにいた。

「ふむ……」

 ようやく満足したのか、源柳斎が刀を収めて蝶丸たちを振り返る。

「……あに様、なにをしておいでで?」
「『気』というものを掴もうと思った次第だ。とりあえず存在に馴染もうと思ったのだが、段々飛距離が伸びてつい、な」

 本来ならば飛ばさずに維持すべきなのだが、と源柳斎は首を傾げて遠方の抉れた地面や斬り倒された木々を見遣る。自然破壊をしたいわけではなかったので己の所業にばつが悪い。

「……源柳斎殿は今度はなにを成そうとしているのですか?」
「我が身ひとつで斬撃をと思っております」
「…………今回のこれだけでも記録に残したいところですが、達成できましたら合わせて撮影したいと思いますので知らせてください」
「面白いものではありませぬが……それでもよろしければ、然程お待たせすることなくご覧いただけるかと思います」

 白雨は曖昧に笑う。
 蝶丸は一瞬空を仰ぎ、それから一切を受け入れた。

「あに様、お疲れは出ておりませんか?」
「流石に疲れたな……」
「では、すぐに昼食の用意を致します」

 麦とろ茶漬けの予定は変更だ。肉より魚の源柳斎でも美味しく食べられるようなスタミナ料理のレシピに頭を絞り、蝶丸は猛然と包丁を握る。
 蝶丸が作ればなんでも美味しいと信頼する源柳斎は昼食をただ楽しみに、白雨が見せるアルバムを捲るという平和な時間を過ごした。



 古き歴史を誇る剣術流派、月柳流。
 かつて、月柳流には最強を謳われる剣士がいた。その評価は没後も失墜することを知らず、語られ続けている。
 その剣士には信じ難い逸話が幾つも残っているのだが、話だけを聞けばどれも一笑に付されるものばかりだ。
 だが、剣士が存命していた時代には映像記録媒体が確立されており、その剣士の業前を当時の宗家が記録したものが残されている。
 そこに写っている信じ難い現象。
 剣戟だけを見ても現代というものを嘆きたくなるし、当時に思いを馳せても異常だろう。
 だが、剣士個人の絶技を見れば最早語るべき言葉すら失われる。
 何故、刀を振り下ろしただけで鋒が届きようもない遠方に斬撃が刻まれる?
 何故、刀が刃毀れも歪曲もすることなく岩を両断できる?
 何故、生身の人間の手刀が刃となるのだ!!
 ありえない。ありえるはずがない。
 でたらめだ、合成だ。
 映像に抱いた猜疑のままに現代の当時から遥かに進歩した画像検証を行うも、そこに殆ど手など加えられていなかった。精々が再生した際に見やすいように編集されているのみだ。
 当時の技術力を上回っている現代の技術がこの映像を本物と証明する。
 ならば、こんな人間が実在したというのか。
 こんな、まるで「刀」と化したかのような人間が――

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