小説
三十五刀



 日々はつれづれ流れるもので、その日も源柳斎は山のなかで鋼をぶん回したり瞑想したりと充実した時間を送っていた。
 山の中は歩くだけで全身運動になり、源柳斎はふとたまにはもっと奥へと行くかと思いつく。
 石や木の根が張り出すでこぼこした地面を歩き、ひとの手が入らない自然のままの山奥を目指す。
 小さな石は大きな石に、拳ほどから漬物石、しまいには岩と言っていいものを見つける。大きさとしては源柳斎の腰ほどの高さに軽く両腕を広げたほど。

「ふむ」

 腰掛けるにも丁度よさそうな岩を見下ろし、何度か叩いてみた源柳斎は不意にティンと閃いた。

「斬るか」

 これだから月柳流は頭がおかしい。
 鞘から刃を抜いて正眼に構えた源柳斎はじっと岩を見遣る。
 常識的な刀剣使いや刀鍛冶がいれば泣いて止めるだろうが、この場には源柳斎しかいないし、山を下りても斬れると思ったその日が斬撃日和という思考の月柳流剣士がうろうろしている。止めようと思う人間すらいない。
 いつの間にか気が薄く全身に膜を張るような感覚は身に親しみ、源柳斎は音もなく鋼を振り下ろした。

「――で、斬れたのですか」
「斬れた」

 刻んだ蓮根の歯ごたえが楽しい肉団子を咀嚼して、源柳斎は頷く。蝶丸は「流石はあに様ですねえ」と感心しきりで斬岩しました発言に引いた気配もない。

「しかし、何故あに様は岩など斬ろうと思われたのですか?」
「蝶丸は紙であれこれ斬れるだろう」
「大したものは斬れません」

 蝶丸は精々が和紙でかぼちゃを削げる程度だと謙遜するが、それは謙遜になっていない。

「私は蝶丸のような妙技は使えないが、鋼があれば似たようなことができるのではないかと思いついたのだ」
「ははあ、成る程。あ、おかわりいりますか?」
「頼む」

 十穀米を混ぜたご飯をよそって渡せば、源柳斎は礼を言って一口食べる。もぐもぐと美味そうに幼馴染の作った料理を食べる姿からは「和紙でかぼちゃ斬るのも刀で岩を斬るのも同じさ」と言ってのけた人間だと窺えない。

「だが、やはり斬り難いのは確か故、精進が必要だ」
「左様ですか。山にある岩が全て小石に変わる前に満足されるといいのですが」
「うむ、問題はそこだな」

 絶対に違うとツッコむ者はいない。
 岩というのはそこかしこにごろごろしているものではないし、無くなったから、見つからないから別のところに探しに行こうと思って行けるものではない。源柳斎が刀を持ってうろつけるのも偏に司馬家の私有地だからだ。ひと様の土地で斬岩などやらかそうものなら通報される。警察に「刀を持って何をしようとしていた」と詰問されて「岩を斬りにきました」と答えて納得されると思っているのなら、あまりにも世間を知らなすぎるだろう。もっとも、その警察官が月柳流の人間だったら「他人の土地では勘弁してくださいよー」で済む可能性が存在しているのだが。

「そういえば、白雨様が写真に凝ってらっしゃるのをご存知ですか?」
「いや……八雲殿が亡くなってから良くアルバムを眺めていたのは知っているが」
「きっと、思い出を多く残したいと思われているのでしょうね。あに様のお写真も撮りたいと仰っておりましたし、お小さい頃の写真を見たいとも」
「そう、か……」

 源柳斎もアルバム一冊が埋まらない程度の枚数だが、これまでの写真がある。自分で見ることは少ないが、白雨が見たがっているというのなら渡してもいいかもしれない。
 頷いて、源柳斎は食後の茶を一杯喫すると庵を出て母屋へ向かうべく山を下りていった。

「――わあ、これが源柳斎殿のアルバムですか!」
「あまり面白いものではありませんが」
「いいえ、嬉しいです。ありがとう」

 そろそろ片付けられても構わないのだが、母屋に残された私室にしまわれたアルバムを白雨に渡すと、円い頬をりんご色に染めて喜んだ。微笑ましく見ていると源柳斎を見た若い剣士がちらちらと視線を送ってくる。振り返れば緊張した様子で「稽古をつけていただけないでしょうか」と伺ってきた。
 期待の覗える眼差しには源柳斎の日本人離れした容姿に対する戸惑いはない。ただ、話に聞く月柳流最強に憧憬を輝かせていた。

「行ってあげてください」
「白雨様」
「源柳斎殿と直接刃を交わすことは何よりの経験になるはずです」

 白雨に促され、源柳斎は剣士に了承した。



 道場のほうへ向かう源柳斎たちを見送って、白雨は縁側に移動してからアルバムを開いた。
 今どきの写真よりも粗い画質。
 最初に開いた側のほうが新しいのか、捲るたびに源柳斎やともに写る見知った顔が若返っていくのに白雨はなんだかドキドキした。だが、その顔は少しずつ戸惑っていく。あるページを境に源柳斎が見つからないのだ。知っている顔はある。だが、源柳斎がいない。
 不思議に思って白雨はアルバムを閉じると一番よく一緒に写っていた蝶丸に話を聞こうと、彼を探しに行った。

「は、あに様……源柳斎様のお小さい頃の写真ですか?」
「はい、高校生の頃でしょうか。卒業式の写真やその前の行事の写真はあるのですが、入学式の写真やらには源柳斎殿がいないのです」

 白雨に見せられたアルバムには蝶丸にとっても懐かしい源柳斎が写っているが、途中から褐色肌の美男子は姿を消している。
 眉を下げて見上げてくる白雨に視線をやり、蝶丸は苦笑いした。

「源柳斎様は写ってらっしゃいますよ」
「どこですか?」
「ここです」

 とん、と指した一点。白雨は蝶丸の顔と写真を見比べる。

「……ダンボールです」
「はい、ダンボールにございます」
「これが、源柳斎殿ですか?」
「はい、源柳斎様にございます」

 白雨はぽかん、とした顔をする。白雨の知る源柳斎は日本人とは違った面差しの、しかしとんでもない美形で、中身は厳しくも優しく、誰よりも、ひょっとしたら亡き父と同じくらいに憧れるひとだ。ダンボールと結びつけるなど欠片も思いつかない。

「……驚かれましたか?」

 どこか窺うような蝶丸に、白雨はこくん、と頷く。

「とても……格好いいです」
「……はい?」
「ロボ、ロボですよ、弓削殿! わあ、わあ、源柳斎殿は格好いい! 私もロボになりたいです!!」

 年の割にしっかりしていようと白雨はこども、ロボに憧れる少年心真っ盛りだった。
 格好いい源柳斎像崩れて失望すら覚えるのではと危惧していた蝶丸は口端を引き攣らせ、あまりにも容姿の似ない従兄弟叔父甥間に血の繋がりを感じた。
 その後、どうにか蝶丸に宥められた白雨だが、道場から戻ってきた源柳斎を見る眼差しは数時間前よりも輝いていたという。

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あきゅろす。
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