小説
三十三刀



(次代が誰かなんて、どうして言葉で決めるんだろう。剣があるなら斬って決めればいいのに。斬れたほうでいい。それでいい。それしかない。それ以外にない。斬ればいいのに)

 月柳流部外者故に口を挟まなかった潔志は「変なの」と思いながら源柳斎を探す。流石に弔問客が多いし、誰も彼も喪服なので一苦労だ。
 注意深く周囲を探っていると、小さな気配が近づいてきたのに気付く。視線を向ければ、人混みを避けるにしてもよろよろと覚束ない足取りの童女が黒いワンピースの裾を掴みながら泣きべそ寸前だった。

「お嬢ちゃん、どうしたの?」

 潔志がさり気なく人混みから壁になってやりながら声をかけると、しょんぼりそのものの顔で見上げてきて辿々しく保護者と逸れたと説明した。年の割にしっかりしている。

「そっか。でも、ここで歩き回っていると危ないよ。あっちに休憩場所が……」
「眞鶴様っ」

 童女の頭を撫でようとした潔志の手が届くより早く、眞鶴と呼ばれた彼女の体はひょい、と浮き、潔志も見知った青年の腕に抱かれた。

「眞鶴様、ご無事ですか。体調は? この斬撃狂いに良からぬことはされていらっしゃいませんか?」
「……神職と言えばクリーンなイメージしかないのにこの言われようだよ。酷くない? 弓削くん」
「黙れ、斬撃狂い。眞鶴様に近づかないでください」

 遠慮無く威嚇してくる蝶丸にため息を吐きながら、潔志は源柳斎の所在を訊ねる。

「あに様は関係者各位の挨拶に忙しいのです。個人的なお話であればご遠慮くださ……」

 蝶丸と潔志は同時に顔を一方へ向ける。源柳斎が静かに歩み寄ってくるところだった。
 蝶丸の腕の中にいる眞鶴を認め、安堵したようにひとつ息を落とす。

「眞鶴様は見つかったか。蝶丸、手間をかけた」
「いいえ、手間とは思いませぬ。あに様こそ、こちらにおいでになっても大丈夫なのですか」

 源柳斎はちらり、と潔志を見遣る。

「これが来た気配がした。放っておくほうが問題だ」
「あれ? 俺って結構VIP待遇?」
「黙れ、斬撃狂い」

 源柳斎と蝶丸の声が揃う。来て早々、はた迷惑な気配を漂わせた潔志を放置しておけるほど、潔志に信用はない。
 肩を落とした潔志の頬を眞鶴が手を伸ばして撫でる。慰めているらしい。

「眞鶴様、これに触れれば斬撃狂いが伝染ります」
「月柳流のひとに言われたくないなっ! しかも、その子は司馬家の子でしょっ?」
「眞鶴様が鋼を振るうことはありません!」
「は?」

 潔志は思わず源柳斎を見た。
 以前、女であろうとそこに区別はないと言っていたはずだが、どういうことだろうかと疑問が浮かぶ。それに答えたのは幼い声。

「マナは肥後守と包丁いがい持ってはいけないと言われていますの」
「……どうして?」
「お父様に言われましたの。マナは刀にもあいてのかたにもしつれいなほどに才がないのですわ」

 ちょっぴりしょんぼりした様子の眞鶴と、沈痛な顔をする源柳斎に蝶丸。

「…………刀へ到りたいという気概はあるのだが」

 源柳斎がなんの補助も口に出せない辺り、相当である。
 潔志は頬を掻き、自分なりの言葉を探した。

「あー……でも、肥後守や包丁でも斬るこいだだだだだ頭潰れる、やめて源柳斎、離して」

 斬撃狂いによる自分なりの言葉などろくなものではない。
 案の定、結果は大不評。
 がっしりと頭を掴む源柳斎の手から逃れて、潔志は顔を顰める。

「いいじゃないか。得物がなんでも、斬る対象がなんでも、ねえ?」

 潔志が笑いかければ、眞鶴はきょとん、としてからはにかみ笑顔を見せた。源柳斎と蝶丸が心底嫌そうな顔をする。

「蝶丸、そろそろ小百合様が心配される。眞鶴様を」
「かしこまりまして。眞鶴様、行きますよ」
「はい」

 蝶丸に抱かれ、肩から顔を出した眞鶴に手を振られて潔志も振り返す。

「……あんなに小さいのに、お父さん亡くしたのか」

 がらりと変わった声音、珍しく張り詰めた顔をする潔志に源柳斎は痛ましい顔で頷く。

「上の子、大丈夫なの?」

 眞鶴はまだ幼いから死というものを具体的に受け止めていないのかもしれないが、眞鶴よりもう少し大きい白雨は強張った顔で気を張り通している様子がありありとわかり痛々しいことこの上ない。
 泣きそびれると哀れだ。いつまでも胸に凝りや刺が残り、呼吸も儘ならない。

「白雨くんだっけ? 跡取りでしょ。周りからいらんこと言われるよ」
「……分かっている」
「ん? なんか、それだけじゃなさそうだね。ひょっとして、微妙な立場のせい?」

 潔志は先ほど門人たちが交わしていた言葉と、八雲が源柳斎のほうが正統な血筋と言っていたことを思い出す。苦々しい顔をするあたり、正解のようだ。

「思い悩んでるなあ……」

 苦笑いを一つ、潔志は源柳斎をじっと見て小さく口を開く。

「極て汚きも――」

 早口に小声で繰り返すこと三度、潔志はいつものように無邪気な笑みを浮かべた。常から滲む鬼気がこのときばかりは清浄に思えるのは、言葉の清らかさだけが理由だろうか。

「思い煩わず、ただ最善を尽くせよ」
「……お前の口から祝詞とは違和感しかないな」
「ちょっとっ、俺、神職なんですけど! それも禰宜!」
「そうだな、神職……か」

 扱いが酷過ぎると顔を覆った潔志だが、源柳斎がなにかを呟いた気がして視線を向けた。鋼を手にした時のような顔をする源柳斎がじっと見ている。じり、と斬撃欲を炙られたが、場所と状況を考え流石に抑えた。

「……なに?」
「――相談がある」



 無事に葬儀を終えた翌日、身内のみ集まる座敷に整列する門人たちは、真面目過ぎるが故に厳しい眼差しを以って源柳斎、及び憔悴した顔をする八雲の妻、小百合を見遣る。眞鶴は疲れたのか体調を崩しているためこの場にはいないが、白雨は源柳斎と母の間にきちんと座っていた。

「して、宗家の遺言はなにもない、と?」
「はい」

 問いに小百合は頷いた。ざわめく座敷。次代を巡って交わされる言葉。それらが少し鳴りを潜めたと思ったら、門人のひとりが代表するように声を上げた。

「源柳斎様、白雨様、どちらが次代となっても問題視されるものがございますが、それらを解く手段がひとつ。
 源柳斎様が小百合様を娶ることで源柳斎様も白雨様もお立場が――」
「おお、それは良い」

 賛同の声が次々と上がる。蝶丸が厳しい顔をして、小百合がますます青褪めた。
 月柳流のことだけを思えば、門人の挙げた案は悪いものではないのだ。
 源柳斎が小百合を娶り、白雨を子とすることで双方の立場が成り、血統も正される。だが、それは当人たちの感情をあまりにも置き去りにしている。特に、夫を喪ったばかりの小百合にとっては酷という他ない。
 しかし、震える小百合を見向きもせず、賛同の声は増えるばかり。提案の体を取りながら押し切るつもりなのだ。

「月柳流門人であろうと越権に過ぎる。司馬家のことにまで口を出されるつもりか!」
「何を言うか、弓削殿。司馬は月柳流が宗家、司馬家無しに月柳流は語れまい。我らは月柳流を思うているのだ。筆頭門人であらせられた亡きお父上でしたらご理解してくれましょうぞ」
「さあ、源柳斎様、月柳流のためにございます。白雨様も……」

 集団心理かいざ、いざ、と興奮のままに迫っていた門人たちの熱意はしかし、いつの間にか立ち上がっていた源柳斎の冴え冴えとした眼差しに冷えた。
 誰もが口を閉ざすことで沈黙が満ちる。

「……皆の意見はこれで全てかと思う」

 二度、繰り返される深呼吸。三度目に大きく息を吸い、源柳斎は広い座敷の隅々まで震わせるような大喝を放った。

「――ッ愚か者共が!!」

 その手に鋼があれば抜き放っていたのではないかというほどの大剣幕。

「次代月柳流宗家は亡き宗家、司馬八雲様の御子、司馬白雨様以外におるわけなかろうがッ! 既に廃嫡されて久しい私を同列に並べるなどあってはならないと何故分からぬ! まして小百合殿を娶れなどとよくも口に出せたものだ、恥を知れ!!」
「っし、しかし、白雨様はまだ幼く……」

 食い下がる門人を睨みつけることで黙らせ、源柳斎は懐に手を入れて畳まれた奉書を取り出して広げる。

「今朝、総鎮守が社に参詣し、神前にて誓約を捧げてきた」

 ばん、と叩きつけられた誓約書、そこには司馬源柳斎が生涯月柳流宗家を名乗らないこと、妻帯しないことが書かれ、宮司の署名まであった。

「同じものがあちらにも納められている。もはや、撤回することは叶わぬと心得よ」

 唖然とする周囲を睥睨してから、源柳斎は白雨に向かって両手をつく。深々と頭を下げる従兄弟叔父に白雨の肩がぴく、と震えた。

「白雨様、貴方様が月柳流宗家にございます。白雨様が成人されるまで、この源柳斎、障害全てを斬り伏せましょう」

 月柳流最強、もっとも刀へ到るに近いといわれる男を後見に得た白雨は、幼くともその意味を感じ、顔を強ばらせながら頷いた。

「白雨くんが宗家になるのに不満言ったら源柳斎が出てくるとか、とんだ脅しだよなあ。俺なら歓迎するけど」

 朝靄晴れて尚のこと清々しい鎮劔神社、今頃大変だろう月柳流を思い浮かべ、一枚噛むことになった潔志は喉の奥で笑いながら神剣が祀られる社へと向かう。

「今日もいい斬撃日和だ、てね」

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あきゅろす。
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