小説
二十三刀



 帰り際の様子から足繁く通うつもりかという源柳斎たちの危惧は幸いにも外れた。と言うのも、司馬道場は片田舎にあることと、潔志はきちんと職に就いていることが関係する。交通に不便故、訪問の時間帯、帰宅の時間帯を考えなければならないし、禰宜という地位は神社において忙しい。源柳斎たちは知らぬことだが、少し若いとも言える潔志が禰宜となったのは生まれを思えば正統であるが、それ以上になるべく外へ出させないためという相葉家の思惑があった。完全に縛り付けられないのも、逆に絶縁して家にも自社にも無関係と放逐することができないのも、理由がある。
 最後の訪いからひと月を超えた頃、大手振り振り潔志はやってくる。
 連絡先を知ってからはきちんと先触れを出す潔志であるが、今日は最初に告げた時間よりも大幅に遅い時間での訪いだ。簡単な話、電車が事故で遅れたのだ。もちろん、その旨は告げているのだが、いつ来るか分からぬ相手をまんじりと待つのも時間の無駄であり、潔志がやっと来たとき、庵に源柳斎の姿はなかった。

「……あに様は先代に呼ばれておりますれば、暫しお待ちいただきたく」

 無表情に言う蝶丸としては今すぐペルソナ・ノン・グラータ発動して潔志を叩き返してやりたいのだが、源柳斎と八雲が認めている以上は月柳流のいち剣士でしかない蝶丸が勝手をすることはできない。できるのは精々、庵の中で待つ潔志に湯のみ八分目を超えた茶を注いで出したり、逆さに立てかけた箒に頬被りさせることくらいだ。いっそ清々しいまでの陰険さに潔志は苦笑いするしかない。むしろ、苦笑いしかしない。帰る気はない。全然ない、一切ない、絶対にノゥ!
 内心で舌打ちする蝶丸は向かい合うのも不愉快だと食事の準備をする。潔志と神経すり減らす斬り合いを終えた源柳斎が心身ともに満たされるように心を込めて作ろう。
 源柳斎の好物は鮎茶漬けだが、季節柄無理である。次に好きなのは麦とろ飯だが、朝ささっと食べるならともかく、心身ともに疲労を重ねた後では物足りないので、今日の主食は玄米と少し早い栄螺の炊き込みご飯だ。茹でた栄螺の身を出すのは中々大変だが、ちっとも手間とは思わない。ころころと表情を変える性質ではない源柳斎が僅かに顔を綻ばせて美味いと思ってくれれば、蝶丸はそれだけで大満足、報われるのだ。

「なあ、弓削くん」

 僅かに上向いた蝶丸の機嫌が急降下する。

「なにか」

 振り返りもせず潔志に返事をすれば、小さく湯のみを置く音がした。

「俺が初めて源柳斎と斬り合ったとき、どうしてあんなに怒っていたんだい?」

 とても不思議そうな潔志の声を背中にかけられるも、千枚通しを扱う蝶丸の手に淀みはない。

「俺はこんな有り様だから、あまりひとに好かれる性質をしていない。でも、弓削くんがあのとき見せたのは俺への嫌悪ではなく怒気だった。どうしてだ?」

 栄螺を剥き終わり、洗った手を拭う蝶丸は油切り用の和紙を手にそっと一枚抜く。潔志の声はいつの間にかすぐ背後、光を遮られて手元に影が差す。

「気になるんだ、とても。あの心地良い斬撃の宴、斬ることで、斬るために完成された空間。そこへ割り込んだきみの怒気、斬気すら跳ね除けてみせたあの怒気がどこから来るのか、俺はとても――」

 相も変わらず白い作務衣姿の潔志、覗く喉元にツ、と和紙が当てられる。

「少しばかり囀り過ぎかと」

 蝶の翅を摘むような優しい指先が突きつける和紙、そのたおやかな白はしかし、蝶丸の意思ひとつで赤く染まるとはなんの冗談であろうか。

「月柳流剣士として非才の身なれど、斬れないわけではないのですよ」

 その手にあるのが鋼でなくとも、斬れば斬る。

「……ぅひっ」

 潔志は引き攣った笑声を上げた。滲む鬼気、至近距離で蝶丸が見た潔志の両眼は爛々と濡れ光り、唇が斬り斬りと吊り上がっていく。

「いいな、いいな、斬りたい。楽しいよ、きっと楽しい。きみと斬り合うのも、きっときっと楽しいと思うんだ。斬りたい、弓削くんの斬撃はどんな熱があるんだ、声を上げるんだ、それを斬りた――」

 あまりのおぞましさに息を呑む蝶丸の視線が揺れる、つらつらと情欲を垂れ流しにしていた潔志が言葉を途切れさせ、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「……あに様」
「すまない、蝶丸。遅れた」
「いえ、御手を煩わせました」

 潔志の頭に拳骨を振り下ろした腕を下げて、源柳斎は呻き声を上げて震える潔志を見遣る。蝶丸もまた冷え冷えとした目で見下ろしている。

「なにをしている」
「ぁ、いっづ……源柳斎、ほんっと容赦なく……ああ、痛い……」
「なにをしている、と訊いている」
「ちょっとお話してただけだよ」

 涙目で頭を擦りながら、潔志はようやく立ち上がった。何故拳骨を貰わなければならないのか分からないとばかりに困惑を覗かせる表情が腹立たしい。

「宗家より条件の一つに許可無く門人と斬り合うことを禁じられているはずだが」
「斬り合ってないよ!」
「迫るな」
「迫ってもいない! 俺は願望を口にしただけだ!!」

 心外だとばかりに主張する潔志にため息をひとつ、源柳斎は腕を組んだ。

「蝶丸に手を出すな。三ヶ月の出入り禁止にされたいか」
「…………すぐに夏越の準備があるんだけど」

 年間通して様々な行事、祭事、神事があり、その準備にほぼ中心となってひた走らなければならない潔志はぐっと口をひん曲げる。

「だから?」

 顔色も声音も変えない源柳斎に暫く沈黙した潔志はようやく「分かった」と了承を返し「先に出ていろ」と源柳斎に促されてとぼとぼと神剣片手に庵を出て行く。蝶丸はそっと肩の力を抜いた。

「……大丈夫か?」
「問題ございませぬ」

 微笑む蝶丸に源柳斎は長い睫毛を伏せる。

「この庵に蝶丸が出入りしているにも関わらず、あれを招くことを承知してすまない」
「個人的なことを申せばあの斬撃狂いがあに様の手を煩わせることに思うことありますが、あに様が月柳流を思われて決められたことを分からぬ蝶丸だと言ってくださいますな」

 潔志に対して並べ立てたい罵詈雑言は数多とあるが、源柳斎を責める言葉など一つも浮かばない。憧れの兄弟子がダンボール被り始めても慕い続けた蝶丸の神経はナイロンザイルを超える。

「さ、待たせれば待たせるだけ犬神の材料が如きにございますれば、お早く」
「……あれは来るたびに前回を容易く超えてくる」

 それに応える源柳斎はなんなのか、などと蝶丸は決して口にしない。

「今日は玄米と栄螺の炊き込みご飯を用意してお待ちしております」
「そうか……それなら勝てそうだ」

 冗談めかして笑う姿に蝶丸は莞爾して、一変、冴え冴えとした眼差しで鋼を手に庵を出て行く源柳斎を見送った。
 程なく、斬気に空気が痺れる。
 さざ波立てる内心は、それに当てられたせいだと強く言い聞かせて深呼吸した。

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