小説
二十一刀



「――破ッ!」

 振り下ろされた刃、その刃渡りから考えて決して届くはずがないのに、潔志は目が見開ききる前にその場から跳ね退いた。須臾も待たず、潔志が立っていた場所に奔る風。道場の床を斬り裂き、壁にすら届いて妙なる斬撃を刻む。
 僅かに舞った粉塵、しんと静まり返った道場、立ち会う全ての人間が驚愕に呼吸を止める気配がする。

「……斬気遠当て」

 ぽつり、と潔志が呟き、ふらりと源柳斎へ視線を向ける。その目が輝いているのか、濁っているのか、確かに見ているはずなのに、源柳斎にも定かでなかった。

「こんなのを現代でできる奴が……」

 片手に携えた茎から提げられた勾玉がゆらゆら振れる。それが一瞬停止したかと錯覚するほどに鋭く疾い一閃。飛び退る源柳斎の真横を斬撃が斬り抜け、床と壁を深く抉った。

「――俺以外にいるなんて」

 遅れて道場内に渦巻いて解けた風が神棚の瑞々しい榊をかたかたと揺らす。
 哂う潔志から鬼気が爆発した。
 道場中に刃が突きつけられたかのような恐ろしい空気が満ちる。指先ひとつ動かせば、それで全てが斬り落ちてしまうという錯覚を、この場にいる者ならば誰も妄想だと笑いはしないだろう。
 呼吸一つにも気を遣う圧迫感のなか、蝶丸と八雲は目をそらすことなく源柳斎と潔志を見つめる。
 揺れたように疾走る潔志を源柳斎は正面から迎えた。迎えざるを得なかった。
 鋼の邂逅。
 澄んだ音などどこにもない。
 丑三つ時に人形へと釘を穿つのにも似た寒気のする音色が響き渡る。

「司馬源柳斎って云いましたよね、俺は相葉潔志です」

 迫り合うでもなく重ねた鋼の向こう、至近距離から声をかけられた源柳斎は目を眇める。自己紹介ならば先ほど済ませた。改めたそれは何の前触れか。
 だらだらと迸る欲望を表すように唾液を滴らせる潔志の歪み蕩けた笑みは、正気では正視に堪えない。

「好きです、すごく好きです。貴方が愛しくなった」

 源柳斎が眉根を寄せる直前、潔志の鬼気に染め上げられた斬撃空間に不純物が混じる。
 怒気と呼べるそれは烈しく燃え上がり、激となって自身へ鋒を向ける不可視の刃を払い飛ばした。
 斬撃と斬撃による斬撃の場において、なんたる無作法。場違い。然れど、美しい。
 堪え難き、忍び難き怒りを眼差しに込めて潔志を見る蝶丸の姿は美しかった。

「……何故、俺は睨まれているのかな?」

 たとえ、潔志が解さずとも、源柳斎は蝶丸の姿を見留める。認めた。
 鋼から伝わる熱は未だ冷たいほどに熱い。

「えっ」

 澄み渡る音色は朗々と、源柳斎は潔志を弾き飛ばす。

「少し、煩い」

 銀閃は白く尾を引くように、描かれる月弧は幻の刃を斬り払う。
 氷穴の氷柱が全て砕けたら、そんな幻想を魅せる斬撃はおぞましき鬼気の一切を斬り祓った。

「よそ見をするな、余計なことをするな、私が相手だ」
「…………斬り合おうか」

 踊るおどる、刃が踊る。
 斬り斬り舞い舞い、四方八方交わす斬撃が漏れ溢れ、熱く焼いては冷たく凍る。
 源柳斎は確かに鋼を感じる。この熱の中、あるいは先に刀という形がある。
 斬るのだ。斬るからこそ斬れる。
 我が身ひと口の刀と成りて斬る。
 月柳流剣士の頂、本懐へと指先が掠めるのを感じる。

(しかし)

 より身近に、我が身の一部であるかのように近くなったからこそ鮮明に理解できた。この場では届かない。触れかけたものは溶けて、見えかけたものは朧とたち消えるだろう。
 覚えたのは哀惜か、いっそ安堵と喜びか。

「よそ見するなよ、余計なことを考えるなよ、俺の相手なんだろう?」
「……左様。だが、終いだ」

 興奮と悦楽を剥き出しに哂う潔志の剣との何度目かの逢瀬に上がるは悲鳴か嬌声か、源柳斎の刃が軽業師のように宙を舞う。
 斬れる、斬れる、斬れる。
 斬りたいものが今斬れる。
 潔志が斬りつけた瞬間に源柳斎の刃が折れた。
 今なら斬れる、今こそ斬り時、歓喜に潤む潔志の目、その黒い虹彩が収縮する。
 潔志が押し斬る前に、引き斬る前に、源柳斎は己が刃が折れた瞬間、潔志の脇腹を蹴り飛ばした。
 骨が折れるどころか内臓が爆発するのではないかと思うほどの衝撃。吹っ飛び床を幾度も転がった潔志はそれでも剣を手放さなかったが、その喉元に源柳斎が携える折れた刃が突きつけられる。
 折れる瞬間に潔志を蹴り飛ばし、その勢いのまま宙を飛んだ刃を掴んで潔志を猛追したのだ。

「こ、な……ずるい、よ……剣道の礼とか、精神はっ」

 ごふごふと咳き込む潔志から鋒を引かぬまま、源柳斎は応える。

「月柳流は剣道に非ず、剣術故」

 精神性に重きを置いた武道では決して持ち得ぬ泥臭さ、源柳斎に恥じる心根はない。物心つくより早く、此処で鋼と育った。八雲は宗家として源柳斎へ命じたのだ、月柳流の名を背負え、と。ひとり全てを置き去りに頂へ駆け上がるには、預けられたその名は重過ぎた。
 晴れやかな顔をする源柳斎と対照的に、愕然とする潔志は次第に顔を引き攣らせ、盛大なため息とともにごろり、と大の字に転がった。

「今日は斬れませんでした!」

 こどもが自棄を起こしたような声を聞き、源柳斎は鋒を引く。その手には傷ひとつついていなかった。
 見れば、安堵に眉を下げた蝶丸と穏やかな顔をした八雲、未だ呆然とする門人たちがいる。彼らに向かい、源柳斎は淡い笑みを咲いた。

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