小説
二十刀



 八雲に立ち会いを許されたごく少数の人間が隅へ並ぶなか、潔志が刀袋をはらり、と解く。中から現れた「もの」に誰もが怪訝な顔をした。

「……剣……?」

 全長は凡そ三尺、鞘無き総身を暗い鈍色に輝かせ、柄と呼ぶのも正確ではない厚ぼったい茎のような持ち手に勾玉が下げられている。
 それは刀ではなかった。
 剣とするにも歪、鋒が切刃造を思わせるせり出た片面、若干反り返った逆面もまた鋭く、既存のものに当てはめて説明するのならば長大な包丁と呼べなくもない奇妙な両刃剣が、ひどくしっくりと潔志の片手にある。

「あれ? 刀じゃないとだめですか? これ、ちゃんと日本製の剣なんですけど。由来もありますよ」

 由来という言葉に源柳斎と八雲は目を眇める。
 いつでも刃としての本懐を遂げられるであろう剣が新しいもの……思いつきや構想により特注で造られたものではなく、とても、とてつもなく古いものであることがその深々とした気配から伝わってくるのだ。

「いや……問題ない」
「よかった!」

 にこりにこりと笑う潔志と相対して、源柳斎もまた鋼を構える。この刀には話の種になるような由緒はない。ただ、源柳斎の手に馴染む数本ある太刀のうちのひと口だが、現代における名刀と呼んで差し支えないものだ。
 道場の中央、源柳斎と潔志は対峙する。
 合図はなかった。
 音もなく奔る銀閃、八雲ですら目を見開いた。
 我流の剣だと言っていた、流派に属したことも誰かに師事したこともないと。つまりは基礎や基盤を正しようがないということ。だというのに、潔志の剣筋に乱れはない。棒振り剣法などとは口が裂けても言えない業前が歪な剣とともに冴え光る。

「あ、強い」

 ごく軽い声音での呟き。
 潔志は硝子越しで展示された楽器に憧れる音楽家のこどもを思わせる、きらきらとした目で源柳斎を見る。隅で端座する蝶丸はその視線に嫌悪を覚えた。

「いまので『終わって』しまうひとが何人かいたんですけど、貴方はそんなことぜんっぜんなさそうだ。うん、すごい、すごく素敵だな」

 驕りでも自信でもなく、潔志の言葉はただ事実のみを告げる。
 恐らくは賞賛されたのだと理解するも、源柳斎に誇らしさはない。間髪入れずに踏み込んできた潔志の連撃をかわすことに集中したのもあるし、そも、何故か潔志からの好意に嬉々が湧かないのだ。
 潔志の連撃は一閃一閃が必殺、源柳斎が避けるから次の一閃が繰り出されるのであって、どの一閃にも「これで斬る」という信念が込められていた。剣士であるならばかくあるべき姿である。
 脳が焼ききれそうなほどの集中を要する場であると理解しているからこそ口を開かないが、冷や汗脂汗を流す門人は潔志が源柳斎を殺す気だと思った。しかし、鋭くふたりを注視する八雲はそう思わない。蝶丸も、切先にいる源柳斎も思わない。
 潔志は斬る気だ。
 殺す気はない。
 源柳斎が死んだとしても、潔志にとっては斬ったら死んだというだけであって、目的である斬るという行為のおまけ、結果でしかない。
 斬りたいのだろう。
 潔志は斬りたくて斬りたくて今斬ろうとしている。

「ははは、すごいすごい。全部避けられる」

 真剣である以上は刃と刃が重なれば火花飛び散り、刃が毀れて欠けることもあるだろうが、なによりも丁々発止と斬り結ぶは月柳流に非ず。静かの剣戟、振るうは月の冴え、向かう刃は風に吹かれる柳が如くを以って流す。
 避けるだけでなく、源柳斎もまた鋼を振るう。一閃交わすごとに笑み零れる潔志は避ける。避ける、避ける、流す、受ける。
 濁りなき水晶を思わせる冷たくも澄んだ音色。

「斬りたい」

 速度も数も鬼気も増す増す、潔志の口端からだらりと唾液が伝う。頬は紅潮、瞳は爛々、口角吊り上がる口から剥き出しの白い歯。

「斬りたい、斬りたい、斬りたい!」

 とうとう門人が引き攣った声を上げる。強張った顔の蝶丸はぞわりと総毛立った己が身が震えそうになるのを歯を食いしばって堪えた。八雲の握り締めた拳が白くなる。
 おぞましい。
 筆舌に尽くしがたいおぞましさが潔志にはあった。
 斬りたいのだと一心に訴える姿、行動で示す姿、全てが受け入れられない。理解などしたくもない。これが理解できてしまえば、引き摺られてしまえば、恐らくは潔志が斬り堕としてきただろう数々の剣士たちの二の舞いになる。月柳流の理念に苦悩し殺人刀へ堕ちた者たちなどまだ生温い。斬っても斬っても終わらず満たされず永劫彷徨う無限地獄。答えも頂も終わりも始まりもなきただの斬撃狂い。
 けれど斬る。
 潔志はその地獄さえも望むところと斬り拓く。
 その場にいるだけで伝わる、強制的に訴えられ、脳髄に叩きつけられる。
 斬りたいから斬るという潔志の淵源。
 こんなものと直接相対する源柳斎にかかる圧力は想像を絶するだろう。

「鬼か……」

 無意識に門人が呟く。
 求め惑う亡者などではない、苦しみ与え嗤う鬼だと呟く。

「――鬼?」

 剣戟のなか、確かに潔志が門人を見た。
 きろ、と光った目は鋒となり門人を貫く。

「鬼なんて……あんな泣き虫と一緒にするなよ」

 源柳斎の眉が寄る。潔志の雰囲気が変わった。源柳斎と斬り合いながらも冴え増した業前、気迫、全てが加速といっていいほどに拓かれていく。

「斬りたい」

 しかし、源柳斎はその全てを捌く。
 潔志を鬼と称するならば、鬼を超えたと震えるならば、源柳斎は何なのか。
 源柳斎に余裕はない。すべての感覚を研ぎ澄ませて尚ぎりぎり、紙一重の斬撃。
 足りない。
 もっと鋭く、鋭敏に。
 源柳斎の頭が冷えた。
 指先が、手が、腕が、全身が冷えていく。なのに熱い。冷えた体を新たな熱が覆っていく。
 澄んだ音。
 弾かれ、体勢を立て直すように潔志が距離をとる。刃渡りは足らず、鋒は届かない。

「しかし――斬る」

 大上段から鋼を振るった。

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