小説
十九刀



 この頃、源柳斎はすっかり庵で寝起きすることが多くなっていた。もちろん、道場に顔を出すことも多いのだが、それは自主的にというよりも呼ばれて出向くことのほうが多い。
 好き勝手に抜き身の刀を振るうのに、他者のいない山の中は都合がいいのだ。せっせと山を登って世話をしに来てくれる蝶丸には非常に助けられている。
 山の中で瞑想すれば、静かなはずなのにそこかしこで気配を感じる。それは人間以外の動物のものであるし、澄んだ水の流れる川のものであるし、また樹木の脈動でもある。
 それらに意識を傾けるとき、源柳斎はキャロルのことを思い出す。
 全てには気が宿っているのだと言っていた。
 その気の流れを追い、掴み、あるいは纏うとき、まるで新たな感覚器官が備わったかのような鋭敏さが身に宿る。
 その日も源柳斎は地面に座し、背後の大木に溶け込むかのように気配を潜ませていた。本来交じり合うはずのない気配と同調するのは難しく、まして今生きて脈々と全身を循環する気を殺すことなどできない。しかし、己を己でないものへと研ぎ澄まさせていくことは源柳斎に先を見せた。斬って拓くだけではなく、己そのものを変えていく。
 細く尖っていく気配は鋒を思わせた。

「あに様、あに様、どちらへおいででしょうや」

 ぱちり、と源柳斎はまばたきを一つ、首を巡らせる。
 歩くというよりも駆ける様子で蝶丸の気配が近づく。
 源柳斎は腰を上げて蝶丸に姿を見せた。

「蝶丸、此処だ」
「ああ、あに様……宗家がお呼びです。緊急とのことで、お急ぎください」
「緊急……了解した」

 至急でもなく緊急とはいったい何事なのか、考える間もなくおっとり刀で源柳斎は駆け出す。
 道とも呼べぬ山の斜面をものともしない源柳斎はまるで天狗のようで、追いかけるも蝶丸はついていけない。普段ならば後ろを気遣う源柳斎だが、緊急として呼びつけられたのであればその暇もなかった。
 程なく下山すれば待機していた壮年の門人が厳しい顔で迎える。

「何事か」
「道場破りにございます」
「…………私に相対しろと?」
「宗家のご意向によりますれば……――あれは危険にございます。全身が斬る……否、斬りたいと訴えております。宗家は若手を全て引かせました。当てられれば殺人刀へと堕ちましょうや」

 早足に道場へと向かいながら交わす会話、源柳斎の凛々しい眉が寄る。遅れて下山した蝶丸が多少息を乱しながらも気遣わしげな視線を源柳斎へと送った。
 道場破りなどという古風な存在が月柳流、それも宗家が道場を訪ったことは八雲の代ではない。似たようなものでは腕試しにやって来た者がいるけれど、それらは本当に自身の腕がどれほどかを知りたいだけで道場の看板を脅かしに来たわけではない。

「流派は何処か」
「不明にございます。ただ、真剣での勝負を望んでおりますれば……」

 他流派を理由に道場破りを断ることはできるが、殊月柳流にとってそれは論外である。
 斬るのだ。
 流派が違おうがなんだろうが、刀がそれらを問うだろうか? 否、関係ない。刀は全てを斬る。生物無機物意思も意図も歴史もない、全て斬る。
 源柳斎は呼吸を正し、道場へと足を踏み入れた。瞬間、感じるのは途方もない違和感。
 白い作務衣姿の青年が八雲の前で端座している。物珍しい姿ではあるが、道場破りということで気を張った、あるいは見当違いな型にはめたという印象が湧かないほどにその装束は男に馴染んでいる。姿勢はぴんと伸びて美しい。ただ、両手は膝の上になく、紫色の刀袋を大切に抱えていた。

「……源柳斎、宗家が招喚に従いこれに参上仕りました」
「急にすまないな。単刀直入に言う。月柳流の名を背負い、鋼を振るえ」

 八雲に向かって膝を突いた源柳斎はいつになく張り詰めた八雲の顔を見つめる。
 本来ならば道場破りを相手するのに宗家である八雲以上に相応しい人間はいないし、また実力の面から考えても不足はありえない。それは八雲の体調が十全でなかろうと関係ないと言えるほどのものだ。それでも、八雲は源柳斎に月柳流の名を背負えと言った。

「御意のままに」

 深く頭を下げてから体の向きを変えれば、正面には少しばかり戸惑った顔の男の姿。

「……失礼ですが、日本の方ではありません、よね?」

 源柳斎は知らぬことだが「流派最強の男が相手してやんよ!」と言われて出てきたのが明らかに外国人の風貌をしていれば戸惑うのはもっともである。源柳斎は相変わらず褐色の肌だし、彫りの深い顔立ちは年齢とともにより端整で渋みが加わり、山奥で刀をぶん回しているよりは都心で女性の視線を集めている姿のほうが余程想像に易い。

「母が外つ国の生まれだが、私自身はこの国で生まれ育っている」
「私の従兄弟ですが、本来の血筋では彼のほうが正統ですよ」
「そうですか……すみません、少し驚いて」

 源柳斎は構わない、と首を振る。容姿を奇異に思われることに対する葛藤は斬り捨てて久しい。

「改めまして、俺は相葉潔志と云います。色々な道場を巡ったときに『斬りたい』という俺の言葉を聞いたひとに月柳流のことを伺って、本日は此処に……剣は我流、何処の流派にも属したことはありません、師事したこともありません。ただ斬りたくて、斬って、斬って、此処にいます」

 無邪気な顔で斬撃を求める潔志に源柳斎は目を眇める。
 月柳流は斬るから斬れるのだ。
 対して、潔志は斬りたいから斬れると謳う。
 殺人刀に堕ちた月柳流剣士も同じような、否、似たような境地から道を外したが、潔志は違うと源柳斎は直感する。
 道に迷い、外したが故の結果ではない、斬りたいから斬る。それこそが始まりから終わりにまで到る潔志の目的だ。
 だからこそ源柳斎は、月柳流の名を任された男は――

「司馬源柳斎、月柳流が斬撃を以ってお相手仕る」

 潔志の顔が喜悦に歪み果てた。

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