小説
十八刀



 二十代も半ば、源柳斎の周囲は賑やかであった
 八雲の子どもが生まれたのだ。名前は白雨。真冬生まれの白雨の産声は白く烟った雨音とともにあった。
 顔立ちは既に八雲とそっくりで、将来が楽しみである。
 また、独立の気配を見せ始めた初太郎も気になる女性ができて、仕事に恋にと慌ただしい。源柳斎自身に浮いた話はないが、相手を思って一喜一憂する初太郎はきらきらと輝いているように見えてよいものだと感じた。
 周囲に喜ばしいことがあれば源柳斎の心も穏やかで、なんの憂いもなく鋼と向き合うことができる。
 だが、そんな日々に影が差したのは春の訪れを予感し始めた頃のこと、風花舞う日に八雲が体調を崩した。
 元々体が丈夫ではない八雲なのでこういうことは間々あるのだが、振り返ればその頻度や伏せる時間が増えているように思うのだ。
 八雲は決して弱々しい姿を見せず、見舞いに訪れれば朗らかな笑みを浮かべていたし、道場に姿を表せばその覇気は月柳流剣士の中で抜きん出ている。それでも、何故か拭えぬ不安があった。
 また、道場間、剣士としての繋がりで上がってきた話で眉を顰めたくなるものもある。
 月柳流の剣士ではないが、それでも剣道の師範としてそこそこ名の知れていた人物が道場を畳んだ。経営難でも体に不調があったわけでもないらしい。そして、そんな噂を聞いてからほどなく、彼は自害した。死する直前に、己が家族を斬って。
 全国津津浦浦でぽつり、ぽつりとそんな事件を聞くようになるが原因は不明。今はもう表に立つことも稀な夕吹の知己のひとりも道場を閉め、老体に鞭打って彼を訪った夕吹は帰宅後「殺人刀に堕ちた」と一言呟いて一切を語らなかった。
 それでも表面上は恙無く送られ、時間は徒然と経っていく。



「えっと、此処であってるのかな」

 立派な門の前、ひとりの男が立っていた。
 年齢は二十代だろうか、童顔気味の顔立ちに幼子のように無垢な目をしている。
 白い作務衣姿の男は黒髪にちらほらと風花を散らしていて、腕の中には紫色の細長い包み、刀袋があった。
 男は緩慢にも見える動作で歩き始めるが、男を見ている人間がいればふと気付いた瞬間には思わぬ距離を進んでいる男に驚くだろう。
 竹のさざめきすら静かな路を歩いてほどなく、辻の手前で男は左右へと視線を揺らし、右を選んでまた進む。男が歩く先には音すら潰れそうな静寂と、ほんとうに時々木々がぶつかり合う音がした。

「ああ、よかった。合っていたみたいだ」

 男の視線の先には大きな建物、近づけば流麗な文字で「月柳流剣術 司馬道場」と書かれた看板が掲げられているのが見える。
 勝手に上がるのはまずいだろうと男は開放された正面入口の手前から声をかけた。

「ごめんください」

 ぴたり、と静まる気配。壮年の男がひとり、奥から出てきた。

「……どちら様でしょうか」

 怪訝な、というよりも警戒を滲ませた目で男を見て、壮年の男は誰何する。男はにこり、と愛想のいい笑みを見せた。

「相葉潔志と申します……――道場破りに参りました」

 潔志を凝視する壮年の男は言葉を発さない。聞こえなかっただろうかと潔志はまばたきを一つ、口を開いた。

「連絡先が分からなかったので先触れもなしに申し訳ありませんが、道場破りに参りました。一番強いひとを斬らせてください」

 斬らせろ、という言葉に壮年の男の目が凝った。まるで鞘から刃を抜くが如く雰囲気を変えた壮年の男は「少々お待ちを」と言って奥へと引っ込む。
 大人しく待っている潔志はちょい、と背伸びをして道場の中を窺った。年齢もばらばらな幾人かが潔志を見つめ返す。潔志の口元がひくひくと蠢いた。包を抱える腕に力が篭もる。

「いい、なあ……」

 口の中に湧き出る唾液を飲み込み、目を爛々と輝かせる潔志から数人が視線を背けたが、潔志は構わずじろじろと見つめ続ける。
 そうしている内にひとの気配が近づいて、先ほどの壮年の男とともに少し顔色の悪い男が現れた。

「初めまして、相葉さんと仰いましたか? 月柳流が宗家、司馬八雲と申します」
「初めまして、相葉潔志です。宗家ということは、あなたが俺と真剣勝負をしてくれるんでしょうか?」

 八雲は顔色の悪さとは正反対に力強い目つきで潔志を見遣る。その目は最後に潔志が抱える刀袋に落とされた。

「真剣勝負とは、文字通りの意味のようですね」
「はい、竹刀でも木刀でもなく」
「ひとつ、お訊きしたいのですが」
「なんでしょう」

 八雲がす、と目を眇める。

「この道場を訪う以前にも、各地の道場でこのような申し込みをなさいましたか?」

 潔志はこっくりと頷く。

「はい、真剣勝負に応じてくれるところは多くありませんが、全部斬りました」
「……そうか、あなたが……」

 八雲は広げた自身の片手に視線を落としてから、控えている壮年の男を振り返った。

「源柳斎を呼んできてくれ」
「宗家?」
「若い門人、経験の浅い者は全て引かせろ。当てられるぞ」

 低い八雲の声に息をつまらせた壮年の男は、それでも礼を忘れずに足早でその場を離れた。再び自身に向き直った八雲に潔志は不思議そうな顔をする。

「あなたが相手ではないんですか?」
「……今の私ではあなたの相手をするのは、少し骨が折れます。ですが、あなたの相手をするのは月柳流最高の剣士です」

 誇らしげに断言する八雲に、潔志はふにゃり、と顔を緩める。嬉しくてうれしくて、愉しみでたのしみで仕方ないと顔いっぱいに言っている。
 潔志は腕の中の刀袋に視線を落とし、まるで語りかけるかのように呟いた。

「早く斬りたいな」

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あきゅろす。
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