小説
十六刀



 初太郎から連絡を受けて、源柳斎は休日の昼間に再び電車を乗り継いだ。源柳斎自身は特に思うところもないが、他者が聞けば間違いなく不便な立地に住んでいると言えるだろう。夜中に騒ごうがご近所さんが迷惑しないほど「ご近所さん」という存在が離れた場所にいるような土地だ。
 招かれたのは古びたアパート。気を抜けば歩くごとにカンカンと音がしそうな階段は所々錆びていて心もとないが、源柳斎は一切音を立てずに指定された番号の書かれる部屋のインターホンを押した。ピンポンとありふれた音がする。
 足音がして、ドアが立て付けの悪そうな音とともに開かれた。

「……いらっしゃい」
「邪魔をする」

 十代の頃よりも短くなった髪をひよひよと揺らしながら、初太郎は少しばかり困ったように笑う。
 狭い廊下の少し先には日に焼けた畳が敷かれた部屋があり、小さな折りたたみテーブルとカラーボックス、窓の下に直接置かれたベッドマットレスが部屋の大部分を占めていた。

「今日は着物じゃねぇんだな」
「そちらのほうが慣れているが、洋装もする」
「袴姿で現れるもんだからすげぇ驚いた。そのくせ、傘は普通なんだもんな。唐傘とかのが違和感ねぇのに」

 初太郎は笑いながらペットボトルに入った麦茶を注ぎ、テーブルの上に置く。端座する源柳斎の前で胡座をかいた初太郎は「それで……」と言葉尻を迷わせながら源柳斎を窺った。

「話って、なに」
「幾つかあるが……まずは詫びたい。ダンボールロボげんりゅうさいは偽りだった。私はただの人間だ。騙してすまない」

 頭を下げる源柳斎に初太郎はきゅ、と唇を噛んだ。
 はっきり言ってダンボール被っている奴をロボだと信じるほうが大概どうかしているのだが、ふたりの間に流れる空気は緊迫している。

「……本当のお前って、なんなんだよ」

 ぼそりと呟いた初太郎に、源柳斎は頭を上げて考えるように目を伏せてから口を開いた。

「そうだな、まずは名前だが『司馬源柳斎』だ。げんりゅうさいは『みなもと』に『やなぎ』でさいは『いつき』。それで源柳斎だ」
「すげぇ古風だな」

 祖父は夕吹、父は銀之丞。従兄弟は八雲だ。筆頭門人は篠景で、その息子すら蝶丸である。一周回って先取りレトロの部類かもしれない。

「司馬家は古くから続く剣術流派で、祖父はその宗家だった」

 初太郎がはっと目を見開く。

「私の父はその嫡子で、ゆくゆくは司馬家……月柳流と言うのだが、流派を率いるはずだったのだが、それは成らなかった。私が生まれたからだ」
「源柳斎が生まれたから?」
「見て分かると思うが、私には外つ国の血が流れている。母はインドの女性で、私を産んですぐに亡くなった。祖父は……月柳流の門人は私を捨てろと父に迫ったそうだ」

 ざっと顔色を変えた初太郎の脳裏に過ったのは、腹違いの兄、あやめの顔だろうか。彼もまた、外国の血が混ざっている。

「父は頷かなかった。私を捨て、母を忘れ、月柳流宗家に相応しい嫁を娶って子を成すことを良しとせず、祖父に願ったのだ。結果、父も亡くなった」
「え……」
「陰腹を切ったのだ」

 かげばら、と聞いたことのない土地の名前を繰り返すような初太郎に、源柳斎は軽い説明をした。初太郎はますます青ざめ、口元を手で覆う。

「そんなのおかしいだろ……ヤクザの指詰めより酷いじゃん」
「……月柳流の人間にとっては、指を、手を、腕を失くすほうが辛いかもしれないな」
「いま、なんて?」
「なんでもない」

 聞こえなかった呟ききを聞き返す初太郎に、源柳斎は首を振る。
 鋼を握ることが儘ならない生、想像するだけでぞっとする。だが、同時にそれでも、と思うのだ。それでも月柳流の人間は頂に向かってひた走るだろう。片手がだめになればもう片方の手で、両手がだめになれば、口に咥えてでも。刃こぼれしようが刀だ。ただ、鈍らであることがひたすらに辛く、耐え難い。

「父の命懸けの嘆願により、私は司馬家で生きることを許された。月柳流の剣士として日々己を磨くが、次期宗家としての期待が篤かった父の命を奪った原因であり、日本人離れした容姿である私が認められることは中々なかった。ある日、とうとう堪えかねた私はダンボールを被ることで我が身を隠したのだ。ダンボールの内にあれば、この肌も顔も隠すことができた。情けないことは重々承知だったが、脱ぐことはできず、いつしかロボのようになれればと思っていた」
「それで、ダンボールロボって……」
「その通りだ。私は弱き己と向き合うことをやめたのだ。そんな私が認められるわけなどあるわけない。次期宗家は従兄弟に決まり、私は花岡学園へと入れられた。宗家の孫がこの体たらく、門人たちに早々晒せるものではない。だが、私は気づいたのだ」

 まっすぐに初太郎を見つめれば、初太郎の喉仏が上下するのが見えた。惑うように揺れているのに、目が離せないというように初太郎も源柳斎を見つめ返す。

「認められないのであれば、認められるまで足掻くべきだ。
 どんな場所であろうと、立つことは可能だ。目指すことが可能だ。我は此処に在りと声を張り上げ、振り向かせた先にある己の姿が誇れるものであるならば、初太郎……過去を斬ることができる」

 落ちる沈黙。
 初太郎はぬるくなったコップを掴むと、最初はゆっくりと一口。次第にぐびぐびと音をたてて麦茶を飲み、全て干したコップをテーブルに置く。

「俺はさ、ずっと、ずっとずっと当たり前に白雪を継ぐんだって思ってた。そう言われてきた。だって、俺の父さんは祖父ちゃんの一人息子で、母さんはその妻で、正統な血筋ってやつなんだぜ? 兄さんがいても、どこの国の出身かも分からない娼婦が産んだこどもで、そんなのが白雪の跡を継げるわけがないって……でも、結果はこの通りだよ。父さんは今、酒で肝臓壊してる。母さんも時々ちょっとおかしくて……なんでこんなことにってよく言ってた。酒が入ったり、おかしくなるとどうしてお前が白雪を継いでいないんだって……俺はそんなふたりを見てるのが嫌で一人暮らし始めた。
 兄さんさえいなければって何度も思ったよ。でも……兄さんがいても、俺には血筋っていうアドバンテージがあるんだから、俺がしっかりしてさえいればよかっただけで……はは、俺たちって結構似たところあったんだな。でも、源柳斎は…………っなんで、なんで俺こんなとこにいるんだろう……!」

 掴み損ねたものは全て自分ではない人間が拾ってしまい、手の中にはなにもない。得られるはずだったものを得る機会はなくなった。

「それでも、これから新たに得るものがあるのだ」
「っこんな俺が、どうやって!!」
「不満があるならば、己と己が立つ場所を変えればいい。容易でなくとも、容易ではないだけのことだ。不可能なわけではない」
「人生イージーモードだったのにこんなざまだぜ? それなのに……」

 情けなく笑う初太郎に両腕を伸ばし、源柳斎は自分よりも遥かに華奢な両肩をがっちりと掴む。鋼を握り続けた手は凄まじく力強い。

「初太郎、かつて私の言葉はお前に届かなかった。だが、届かないのならば届くように耳元で声を張り上げればいい。お前が道を逸れそうになれば私は襟首を引っ掴んで正道へと放り投げよう。座り込み、動けなくなるようならば後ろから刃突きつけてでも追い立てる。あのとき躊躇した全てを、私は惜しまない――友とは、そうあるべきだったのだと思うから」

 絶交を叫ばれた身ではあるが、源柳斎の親友であったのは初太郎だけだ。歪で空虚な結びつきだった親友という言葉を、今度こそ結び切りたい。
 初太郎は目に涙を滲ませた。

「俺、お前に酷いこと言った……! 源柳斎は俺を助けてくれたのに……俺、俺は……」

 ぐす、と初太郎が鼻をすする。

「俺、できるかな。こんな情けないの、もう終わりにできるかな」
「初太郎がそうしたいと言うのであれば、私は尽力する」

 涙をぼろぼろ流し、鼻水も垂れた顔で初太郎はへたり、と子犬のように笑った。

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あきゅろす。
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