小説
十四刀



「では、杯事を――」

 仲人の唄う高砂に合わせ、雄蝶雌蝶が静々と現れる。三歳の女の子はまだきょときょとと危なっかしい気配があるものの、きちんと五歳の男の子について歩く姿が愛らしい。男の子のほうも既に礼儀作法を文字通り叩きこまれているために幼いながらも背筋を伸ばす姿は立派だ。
 しかし、それ以上に目を引くのはやはり夫婦となるふたりの男女。
 常よりも一層凛とした佇まないで端座する八雲の隣、綿帽子から覗く花の顔の美しいこと。
 源柳斎の成人を待って八雲は正式に月柳流の宗家として立ち、許嫁との祝言を迎えた。
 八雲はもちろん、花嫁となる女性のことも源柳斎は知っている。きっと、高砂の通り良き夫婦として歳を重ねていくのだろうと思えば、源柳斎の口元には穏やかな笑みが浮かんだ。
 だが、その笑みは滞り無く進んだ式が酒の入った宴に変わった頃、挨拶の合間にさり気なく八雲が渡してきた紙に書かれた内容によって怪訝なものになる。

 ――明朝、夜明けに太刀を持って裏山は山茶花目指して来られたし。

 ひと目に触れぬように確認したあと、源柳斎は八雲へ視線を向けるが見えるのは笑う彼の横顔のみ。親族や門人へ挨拶して回る八雲に次第を問う隙はない。

(なにを考えている……?)

 源柳斎の視線に気づいていたのだろう、一瞬振り向いた八雲は写真に残る父、銀之丞そっくりの顔に早朝の湖面よりも尚凪いだ静謐を浮かべていた。
 結局、八雲と私的に会話を交わす暇はないまま夜も深くなり、源柳斎は褥の上で難しい顔をする。
 八雲が宗家となるからには、と司馬家の母屋より辞そうとしていた源柳斎だが、それは八雲から直接引き止められた。離れでの寝起きも苦ではないし、先代である夕吹より私有地である裏山の中にある庵を自由にしていいと言われているのでそちらを使うことも考えていたのだが、八雲は「ここはお前の家なのだから」と言って聞かなかった。しかし、今日ばかりは母屋に戻るのは気が引けて、結局庵へやってきた。予想していたのか、自身も疲れているだろうに蝶丸があれこれと世話をしてくれたので源柳斎はただ布団を捲って後は眠るだけでいい。
 八雲の思惟を考えて眠れないまま夜明けを迎えることも頭を過ったが、元々源柳斎の夜は早く、朝は鶏起こしだ。難しい顔のまま長い睫毛が伏せられるのは早かった。
 そして、深い夜闇に蒼が混じる頃、源柳斎は白い山茶花が盛りを見せる開けた平地に立っていた。
 景色に溶け込むように佇む源柳斎は、耳障りな嘴細烏の鳴き声と共に視線を一点へ向ける。

「朝早くからすまないな」

 顔を出した太陽が一条の光を差したのと同時、夜明けとは思えぬほどに明瞭な声を発しながら八雲が現れた。

「詫びるべきは私ではなく、花嫁御寮だろう」

 所謂初夜の目覚めが一人きりとは、平安時代ではないのだからすさまじと謗るひともいないだろうに如何なものか。
 八雲は苦笑しながら歩を進め、一丈ほど手前で立ち止まる。

「斬り合おう」

 ごっそりと表情の削げた顔。氷刃を思わせる鋭き声。一瞬前の八雲など、親しき従兄弟などどこにもいない。源柳斎の前にいるのは月柳流の剣士だった。

「宗家……」
「――八雲、だ。お前はダンボールを捨ててから暫くして、私と鋼を合わせること避けていたな。私も成人して次期宗家としての重みが目に見えるようになってきたから……」

 嘆息ひとつ、自身を見る八雲の目に源柳斎は柄に手をやった。
 八雲の言う通り、源柳斎は宗家として立つ八雲と昔のように鋒を向け合うことを避けていた。自惚れでもなんでもなく、源柳斎は自身の業前、その冴えを自覚している。直系の血筋であり、外されて久しいとは言え次期宗家の候補として数えられていた源柳斎と次期宗家である八雲がひとの目のあるなかで仕合えば、その内容次第では月柳流が荒れかねない。
 宗家は八雲、自身にその器量はないと断じる源柳斎にとって、どうしても避けたいことだ。

「分かってはいる、いるが……源柳斎。そんな気遣いはいらないんだよ。私が襲名をお前の成人まで引き伸ばしたことを、お前が不要と思っていたように」

 音もなく、まるでそこだけ時間が遅くなったかと錯覚するような速過ぎる抜刀。朝日に刀身が照る。

「もはや我が身は月柳流のいち剣士ではいられず。然れど、今この瞬間は誰の目もなく、何の意趣もなく、斬って斬り斬れる月柳流剣士としてただ斬る」

 源柳斎は柄にやった手をそっと滑らせる。
 顕になった二刀、抜けば最早言葉は不要。
 美しい朝焼けのなかに閃く銀閃、ああ、きっと今日は雨が降る。



「蝶丸」
「はい、あに様。なんでございましょう」
「あとで出かける」
「……お出かけ、にございますか?」

 朝食の席についたときより、どこか常とは違う雰囲気だった源柳斎の言葉に蝶丸はまばたきをする。
 何も告げずに山へ行くことはしばしばある源柳斎だが、外出のときは必ず言葉を残していくので今回もそうなのは分かるが、それにしても唐突だ。なにせ、昨日は宗家である八雲の祝言が終えたばかりである。

「どちらへお出でになられるのかお訊きしててもよろしいでしょうか」
「……友へ会いに行くのだ」
「友……」

 源柳斎が頷く。

「……外は雨が降り出しそうにございますが」
「分かっている」

 強い決意を宿す源柳斎の目に、蝶丸はただ「かしこまりました」と頭を下げる。

 そして、篠突く雨が降るなか、源柳斎は往った。

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