小説
十刀



 ダンボールの中身はなんとインド系の超絶美形ということで、花岡学園の生徒は新たな生徒会役員として源柳斎を万歳三唱で迎え入れた。
 花岡学園における生徒会役員の仕事は多く、担う年齢を思えば重要過ぎる事柄もぽいと投げて寄越されるなか、源柳斎は会計という特に神経を使う肩書である。過去の資料や功績、実態などを詳しく見極めて部費を計算したときは適当である、と副会長や会長からお墨付きを貰っても、納得出来ない部員たちが徒党を組んできたりして気が抜けない。テニスラケットやバッドなどを持って囲まれたときは抜け出すのが容易だったが、まだ寒いのにパーカーも羽織らぬ水着姿で迫られたり、実力を見せると言って針と糸を両手に制服を改造されそうになったときは困った。
 ダンボールを脱いでからどことなく遠巻きにされている源柳斎だが、近づいてこられるときはその熱意が半端ない。人間とは斯くも情熱を秘めているものなのかと慄くほどだ。
 下駄箱に入っていた手紙の呼び出しに応じた結果、源柳斎は人嫌いの副会長が「これでも使って気分転換してきたら」と各地の施設で優待券代わりとなるらしい折り紙製のメダルをくれるほどの憔悴を見せた。
 見目一つで目まぐるしく変わる人々の視線、だからこそ自分という存在を強く固持しなくてはならないのだと源柳斎は思う。だが、いつまでも今日の自分であり続ければ、それはただの停滞である。常に前進、昨日を乗り越え、今日に手をかけ、明日を目指す。全ては到るために。
 そんな日々のなか、桜ひらひら舞い散る季節に彼は現れた。

「ご機嫌麗しゅう!」

 妖艶なる美貌から発せられるのは艶のある低音。絶妙な露出を見せる衣装の上から白衣を着た養護教諭は「キャロライン・フィオーレ・松本」と名乗った。愛称はキャロルちゃんらしい。
 体育祭にてキャロルは思わぬ不思議を垣間見せた。
 源柳斎は幼い頃からその身を鍛えている。野山を駆けることも珍しくなく、歩法は妙なる武術家のそれである。にもかかわらず、キャロルは源柳斎の動きにぴったりと影のように沿ってみせた。一瞬前まではたおやかな肢体に存在しなかった気配を纏わせて。
 それは何か、と源柳斎が訊ねれば、キャロルは知りたければ保健室へ、と笑う。
 考えても分からぬ不思議の絡繰を解きたくて、後日、源柳斎は保健室へと足を向けた。
 健常者である自分が保健室に赴くことに抵抗を覚えないでもなかったが、キャロルの不思議な抑揚で紡がれる言葉には暗闇に灯る光が如き誘引力があった。

「やあやあ、よく来たね。卿ならば必ず来ると思っていたよ。保健医としてはこの上ない幸せだが怪我人も病人もいないのでね、些か退屈していたところだ。喉は渇かないかね? そろそろ暑くなって来る頃だ、酸梅湯でも飲まないか?」
「いえ、私は……」
「ははは、卿はせっかちさんなようだ。まあ、掛けたまえ」

 饒舌に源柳斎を歓迎したキャロルは源柳斎を椅子に座らせると、瓶に入った煮詰めた飴色の液体をマグカップに注ぐと、さらに水を加えて源柳斎に差し出した。仄かな酸味を含んだ香りには馴染みがない。恐る恐る口をつければ匂い通りの酸味と甘さがどこか煙ったい風味とともに喉を潤した。

「さて、卿の目的は我輩の肉体だったかな?」

 ひょい、とへの字の眉を上げるキャロルに、マグカップを置いた源柳斎は重々しく頷く。

「体育祭のとき、キャロルちゃんは……失礼だが常の動きからは想像もできない身体能力を有していたように思う。そして、その動きは……」
「卿にぴったりと重なった」

 源柳斎は首肯する。
 こうして見る限り、キャロルの仕草や動きは優美ではあるものの源柳斎のような武芸者のそれではない。にも関わらず、あのときのキャロルはぴったりと影のように源柳斎と動きを同じくした。そして、直前の一片した雰囲気。いや、纏う空気は常人から感じるには一種異様なものである。

「我輩はもとより卿には興味があったのだよ。何故だか分かるかね?」
「いや……」
「卿は進化と文化の発展を盲目に目指す猥雑な時代を生きる未だ十代の若者に過ぎない。にも関わらず、卿のそれは一流だった」
「それ?」
「そう、その練り上げられた『気』だよ。形だけの瞑想や集中では決して届き得ないそれが我輩はとても気になり……その到達点に興味を持った」
「……気」

 深い瞑想はもはや源柳斎の日課だが「気」などというものを意識したことはない。源柳斎が「気」といわれてもっとも身近に感じるのは気配だが、それはキャロルが指しているものとは違うように思われる。キャロルもそれを分かっているのだろう、逆への字の唇を吊り上げるとてきとうな紙を広げた上に陶器の小さな湯のみを置いた。

「ご覧」

 ポイントで整えた爪先を揃えるように伸ばした手が、ごく軽く湯のみを叩く。
 ぱん。
 真っ二つ。割れた湯のみは左右に分かれて転がった。

「『気』を熟知し、練り上げれば力はこれほどまでに変わるのだよ。体育祭でのあれは卿の『気』を読み取り、同調させてもらったが故……さすがに疲れるがね」
「……仕組みは……理解はしていませんが、分かりました。しかし、それでキャロルちゃんはどうしたいのだ」

 ただ源柳斎の疑問に答えるためだけにこの妙技を見せたわけではあるまい。
 鋭い眼差しを向けられて尚、キャロルは笑みを絶やさない。

「我輩は見たいのだよ、識りたいのだよ、卿がどこまで往くのか辿りつくのか……左様、我輩は前途有望な若者が『到る』ための手助けがしたい、ただそれだけなのだよ」

 ――到る。その言葉に源柳斎の瞳が冴えた。

「全ては卿次第、選ぶのは――卿だ」

 キャロルの切れ長の目が怪しく光り、唇は淫靡に歪む。

「……『気』とは、斬ることができるのだろうか」
「ふむ? 卿は『斬る』ということを重要視しているのかね?」
「左様。我が月柳流の最終理念は刀へ到ること……刀は斬るのだ。斬ることが本懐なのだ。全てを斬って拓くことができれば、頂も見えよう」
「なるほど、なるほど……?」
「だが、私は未だに足掻くばかりの身……昨日を乗り越えることも儘ならぬ」

「乗り越える、か」と呟いたキャロルは源柳斎を見て、紫黒の紅を引いた唇を逆への字を歪める。

「我輩は卿が『到る』ための手助けがしたい」

 見たい、識りたい。行き着く先を。
 謳うキャロルの手をとった源柳斎は、ある日、キャロルに呼び出されて思わぬものと相対することになる。
 キャロルが手招くままに続いたのは、保健室にいつの間にかできていた扉。その奥は屋外へと続いていた。
 構造上、そんなわけはないと思っても、源柳斎の目の前に広がるのは瑞々しい草に覆われた大地と青い空。それに美しい紅梅だった。

「これは……」
「ふっふっふ、我輩ちょっと頑張ったのだよ。気による具現化、これは現実ではないが現象として存在している。まあ、我輩も保てるのは精々日に十分といったところ……その十分を、どうか無駄にはしないでくれたまえ」

 ひらり、と紅梅の枝へ腰を下ろしたキャロルがポイントで整えた爪をものともせずに指を鳴らせば、別の紅梅の影からあるものが出てきた。

「なっ」

 ダンボール。
 源柳斎の肌を思わせる色、頭部である部分には丸が二つと長方形が一つ。記憶にあるものとの差異は額にあたる部分に貼られた札のようなものだろうか。
 嘗ての源柳斎、否、げんりゅうさいがそこにいた。

「積み重なる過去、後ろになにもなくなりさえすれば、自ずと進むしかないのだよ。弱きの象徴、過去の己を斬ってみせるがイイ!!」

 いつの間にか源柳斎の手にも、げんりゅうさいの手にも鋼があった。
 キャロルは言った。制限時間は十分と。源柳斎は十分以内にげんりゅうさいを斬らねばならない。
 だが、それはとても難しいことのように感じる。向かってくるげんりゅうさいの歩法、描く銀閃。そのどれもが源柳斎に苦辛を齎す。

「あのダンボールは過去の卿ではあるが、現在の卿でもある。卿が無意識に制御している全てを解放している故……本気の全力を出さねば到底斬ることなどできないのだよ」

 げんりゅうさいの鋒が頬に届き、紅梅の花びらに血が紛れ込む。
 斬ることができない。
 それは、月柳流剣士にとってあってはならぬことだ。
 斬るのだ。
 斬れば斬れるのだ。
 斬るから斬れるのだ。
 斬らねば斬れない。

「――故に、斬る!」

 げんりゅうさいの腹へと滑らせた一閃は、間違いなく必殺だった。

「……ばかな」

 表面に薄っすらと線を走らせているものの、それだけだ。げんりゅうさい、未だ健在。
 斬れば斬れる。
 斬ったにも関わらず斬れていない。
 何故かと考えて源柳斎はげんりゅうさいが何であるかを思い出す。
 げんりゅうさいはダンボールだ。
 世界中が梱包材として信頼を置き、貴重品を包むのに使う。
 ダンボールを使って工作をしたことがある人間ならば、なかなかカッターが通らぬことを知っているだろう。ダンボールを確実に斬るには繊維に沿って押し切るか、突き刺して押し切っていくかしかない。一閃、斬り裂いたとしてもダンボールの深淵へは決して届かない!
 だが、刺したとしても悠長に押し斬っていくだけの時間をげんりゅうさいが許すわけがない。確実に、迅速に、それは今ある源柳斎の業前を以ってしても――

(ふっふっふ、あのダンボールは我輩しっかりきっぱり隅から隅まで手抜かりなく気で覆っている故ちょっとやそっとじゃ斬ることはできないのだよ。さあて、卿はどうする……?)

 キャロルは艶然と微笑んだ。

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