小説
六刀



 月日は流れ、源柳斎は花岡学園の高等部へと進学することになった。
 未だ源柳斎にダンボールを脱ぐ気配はなく、帰省すれば白い目を向けられる。それは学園において如何に優秀な勉学の成績を残そうと変わらなかった。

「その形でこの実力という異常に何故気付かないのだろうな」

 己の斬撃をダンボールの角を削ぐことすら許さず避けてみせた源柳斎に、すっかり青年然とした八雲は嬉しそうにな笑みを浮かべる。
 四角張ったダンボールで全身を覆えば、いくら関節部分に工夫をしていようが動きの制限は免れない。特に、指などはよく刀を落とさないものだと感心するより他ないほどだ。

「学園ではろくに稽古もできないだろうに……いやまったく恐ろしい」

 感心しきりといった口調の八雲だが、踏み込みながらの絶え間ない連撃こそ恐ろしいと源柳斎は思う。まともに喰らえばダンボールごと中身が飛ぶだろう。

「私は今でもお前こそがと思うよ。なのに、皆はどうして分からないのだろうな。こうして鋼を交わせば分かるだろうに」

 心底不可解だとため息を吐く間にも八雲の鋼は複雑な銀閃を描き、とうとう一番上のダンボールを削いだ。首と顎が僅かに覗くが、どちらにも鋒が届いた様子はない。

「源柳斎、何故、あと五年早く生まれてこなかった。そうすれば私は……」

 独楽のように回転した八雲、その黒髪が一房宙を舞った。はらはらと踊る黒髪が落下を始めるより早く、口を閉ざした八雲が迫る。先ほどの比ではない連撃乱舞、避けても避けきれぬ、退いても追い迫る銀閃を流せば火花が散った。

「……ああ、成長している。むかし、交わした刃が折れたことがあったが、今回はそんな気配がまるでない。源柳斎、お前はどこまでいける? どこまでいくつもりなんだ。そも、いくつもりがあるのか?」

 首よ落ちろと言わんばかりの一閃を避けるが、八雲は振り切った体勢から片手に逆手で刃を持ち替え更に返し、また、両手で持ち替え大上段から振り下ろすという妙技を魅せる。

「……小太刀でもなしに」
「関係ないな、できるからやるんだ。他の流派の前でやれば顔を顰められるが、月柳流は剣道ではない」

 精神性への評価ばかりが注目され、儀礼化の進む武道と、あくまで「本来の用途」を果たすための技術を追求する武術ではあり方が違う。礼儀や型、言ってしまえば過程重視の武道からすれば結果を求め過ぎる武術は認め辛いのかもしれない。
 月柳流は剣術だ。月の冴え、柳の佇まいという謳い文句は典雅だけれど、時に驚くほどの泥臭さを見せる。そこまでか、そこまでするのか、と。

「おっと、そろそろ昼時だ。今日は次で決めようか」
「了解した」

 それぞれ構え、一拍後には踏み込む。
 月を描く二刀、その交差点へ向かい外から蝉が飛び込んできた。
 静止する源柳斎と八雲。同時に刃を引けば三分割された蝉がぼとぼとと床へ落ちる。
 互いの声と息遣いしか存在しなかったかのような静寂は、蝉の大合唱のなかにあったのだとようやく意識へ取り込んだ気配に源柳斎は思う。

「手拭いをお持ちしました……が、食事の前に水を浴びられたほうがよろしいかと存じます」
「蝶丸」
「はい、蝶丸です」

 道場の隅でずっと息を殺していた蝶丸がにこっと笑うが、すぐに心配そうな顔で源柳斎を見上げる。源柳斎は何故そのような顔をされるのかと首を傾げる。普段ならばダンボールが揺れたようにしか見えない仕草も、八雲が首元をすっきりさせたおかげで相手によく伝わる。

「蝶丸は熱中症だの脱水症状だのを心配しているんだよ。真夏にダンボール着て動き回ったんだ、当たり前だろう?」
「ああ……」
「なんだ、その無頓着な返事は」
「もう、慣れてしまった」

 慣れるべきではない、と口に出しはしなかったが、八雲の顔は困ったような苦笑いに歪んでいた。源柳斎は蝶丸から受け取った手拭いで顔を拭くのにかこつけて、八雲の表情から目を逸らした。

(向ける顔、か……)

 帰省の挨拶をした際、宗家に言われた言葉がよみがえる。
 自身を推した者に向ける顔はあるのか、と言われた。
 ダンボールを纏うことで八雲が宗家に選ばれたるは道理であると頷く者の声は大きくなり、元より多いとは言えない源柳斎を認める声は潰されていく。それでも負けじと声を上げようとする者に、源柳斎はどんな顔をしろというのか。
 たとえ、ダンボールがなかったとしても俯く源柳斎が彼らの顔を正面から見ることはできないだろう。ダンボールがあるから厭われるのではなく、厭われたからダンボールを被ったのだ。どこまでいっても己が認められるなど、と源柳斎は自嘲に口元を歪めかけ、いまは隠すダンボールがないことに気づいて引き結ぶ。

「……蝉を、埋めて参ります」
「ああ……寸前で止められなかった。ようやく土から出てきたのに逆戻り、か……可哀想なことをしたね」

 無残な死骸を集め、源柳斎は道場を出る。その背中に八雲の声が投げかけられた。

「源柳斎、お前は土から出たら戻ってはいけないよ」

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あきゅろす。
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