小説
四刀
「あにさま、前をかくにんするのには穴を開ければよろしいかと思います」
「しかし、そこから顔が見えまいか」
「なれば『しゃ』などをはりましょう」
「紗か……」
紗は向こう側が透ける織物だが、ガーゼなどならともかく紗のいらない端切れなどはほいほいあるものではない。司馬家で紗を探すとなれば宗家の亡き妻の箪笥から着物を引っ張りだすのが早いが、それは暴挙に他ならない。選択肢に数えられることことすらないだろう。
代わりになるものを探すため、源柳斎と蝶丸は母屋を歩きまわった。蝶丸ひとりならばともかく、源柳斎がいるのであれば基本的に入れぬ場所はない。
「……あれは何事か?」
「蝶丸と……恐らくは源柳斎様かと思われますが」
「ダンボールなどを被って何をしているのか」
「蝶丸の工作かなにかでは……」
ふたりの様子を見た大人たちは揃って首を傾げるが、そのときは誰もことの重大さに気づいていなかった。
宗家、夕吹がそれに気づいたのは夕飯時。
今日は源柳斎の好物である鮎茶漬けがあるというのに食事のための間に源柳斎は現れず、給仕のものに問いかければ困惑したように応えが返る。
「源柳斎様は今日より御一人でお食事をされると……」
夕吹は怪訝な顔をするが、食事が冷めるのでひとまずは追求をやめる。
しかし、疑問が残るので食後に源柳斎の部屋を訪い、仰天した。
そこにいたのはダンボール。
頭部は四角、丸が二つに長方形が一つ。顔のように繰り抜かれて内側に黒いメッシュ生地を貼られている。胴もまたダンボール、四肢もやはりダンボール。関節部分は蛇腹に加工するという工夫ぶりには本気を感じさせた。
漆黒に波打つ髪も、褐色肌に計算され尽くした彫刻のように深く彫り込まれた顔立ちも、伸びやかな体そのものがまったく見えない、分からない。
どれだけ仕事が早いのか、昼ごろまではただダンボール箱を被っていただけの源柳斎は全身をダンボール装甲で覆い、ダンボールロボげんりゅうさいへと進化……退化……変態していたのだ。
「何事か!」
「…………皆が厭う形を晒して歩く恥に思うところがございますれば」
現在の姿が恥ではないとでもいうのだろうか。
夕吹は正直、孫のかっ飛んだ思考回路が理解できない。
「なにを馬鹿なことを……頭にそのように物を被れば背が縮もうぞ」
遠回しにやめろと言っても源柳斎は聞き入れない。こんなに頑固な姿は初めて見る。
夕吹はくらくらと目眩がする思いだ。
「お前のいまの姿を見れば、周囲の者達はさらに囀るぞ」
「……今更にございます。私が私であれば認める者などおりませぬ」
「……っこの愚か者が!!」
自嘲の込められた源柳斎の言葉を聞いて、夕吹は怒鳴り声を上げた。
なんということを言うのか。
その言葉ひとつでどれほどの人間を裏切ることになるのか、この孫はまるで理解していない。
言わせたのは環境に原因があると夕吹とて認めよう。だが、許せるかと言われればそうではない。
司馬家は剣術流派の宗家なのだ。
理念を追い求め、鋼を握る剣士の筆頭であるべきにも関わらず、仕合ですらない場で諦めを覚えて膝をつくなど言語道断。
夕吹は源柳斎の妙なる業前を知っている。この年齢で既にこの境地。いずれは心なき囀りも斬り伏せ、理念へと辿り着く道も斬り拓けようと思っていた。
それが、これが、なんという様。なんたることか。
悔しいのか哀しいのか、目頭熱くなる思いで夕吹は源柳斎に背を向ける。
「即刻、その愚行をやめるなら良し。そうでなければ……相応の覚悟をせよ」
次期宗家に八雲の名を推す者は多い。その声は源柳斎のいまの姿を見れば更に増えるだろう。そうなれば、源柳斎の司馬家における立場は相当危ういものになる。それを、源柳斎は分かっているのだろうか。それとも、それさえ諦めてしまっているのだろうか。
ぎり、と拳の中に爪を立てて夕吹は源柳斎の部屋を後にする。
(どうか、目を覚ましてくれ)
銀之丞の忘れ形見、例え命を奪ったともいえる存在であろうと源柳斎は確かに孫だ。
されど、祖父の願いも虚しく源柳斎がダンボールを脱ぐことはこの先数年なかった。
「――次期宗家は八雲とする」
月柳流の門人集う場に、老いても響く声が宣言する。
「やはり」という空気が漂い、門人たちの視線は場違いなダンボールへ。まるで、箱を重ねたようにぴっしりと背筋を正すダンボール、源柳斎は黙してなにも語らない。しかし、真っ先に声を上げたのは他ならぬ夕吹の指名を受けた八雲だった。
「宗家、私では月柳流を背負うことは不相応にございますれば」
「何故、そのように思う」
「私は生まれた頃より丈夫な身とは言えませぬ。加えて、より剣技に優れた者がおりまする」
「そうか」
「宗家」
しみじみと頷いた夕吹に、選定がやり直されるかと八雲はぐっと身を乗り出す。
「ならん」
「宗家!」
「この決定を覆す気はない。皆、聞いたな? これより八雲は次期宗家である。そのつもりでいるように」
「はっ」
一斉に頭を下げる門人たち。
源柳斎はメッシュ生地越しに八雲のやるせない顔を見た。
(八雲殿ならば、宗家として立派に月柳流を率いられよう……私などとは違うのだ)
春から源柳斎は生まれ育った地を離れ、全寮制の私立学園へと通う。中学校は地元の公立に通う予定だったはずだが、夕吹にそのように命じられた源柳斎は月柳流から距離ができることを理解しながら入学試験のための勉学に励み、見事合格した。長期休暇以外では帰省できないだろう。
桜が咲ききらぬ頃、ダンボール姿で旅立つ源柳斎を涙流す蝶丸と苦い顔の八雲が見送った。
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