小説
美由のいらん気遣い(中)



 三日後、美由からメールが届いた。
 件名は無題。これは珍しいことではないが、本文を読んだあやめは怪訝な顔をする。
「延期してください」
 たったこれだけである。主語もなければ句点もない。簡潔な一言メール自体はよくあるのだが、美由は読点や句点はしっかり使うほうだ。そして、この内容。あやめは嫌な予感がして仕方ない。
 幸いにも大学生の夏休みは長い。あやめは躊躇うことなく美由の暮らすマンションへと向かった。
 あやめ同様、進学に合わせて一人暮らしを始めた美由は実家にも個人にも伝手がありまくり、立地も建物そのものも良いところに住んでいる。あやめは何度も出入りしたことがあるし、泊まったこともある。途中の道で雨に降られ、びしょ濡れの状態で辿り着くも運悪く美由が不在だったためにエントランスで立ち尽くす羽目になって以来、合鍵も渡されている。「いいのか?」と訊ねれば「先輩に持って行かれて怒るようなものはありません」と返された。一瞬、かわいくない言い方に聞こえるが、その実とてもかわいいことを言っているのだとあやめは表情を保つのが大変だった。困ることはあるかもしれないが、それを怒る気はないのだ。当たり前にそっくり差し出す姿勢、あやめは美由から搾取する気などないが、許されているのだと思えば嬉しいという感情が浮かぶ。同じくらい、そんなことはしなくていい、と心苦しくもあるのだが。
 敢えて連絡をしないままやってきた美由の自宅、インターホンも鳴らさずにカードを差し込んで上がればしん、と静かなものだった。リビングにひとの気配はなく、あやめは寝室へと向かう。
 成人男性が転がったとしても軋む音ひとつ立てないベッドの上に、美由はいた。
 あやめがやってきたことにも気付かない様子で、目ごと額を覆うように濡れタオルを起き、落ち着いているとはいえない呼吸を繰り返している。ナイトテーブルにはOS-1のペットボトルが三本ほど並び、うち一本は半分以上なくなっていた。
 明らかな体調不良である。
 延期にしろという予定調整だけではなく、こういった体調の変化も教えろと思いながら、あやめはベッドに近づいた。
 濡れタオルをひっくり返してやろうとどければ、意識はあったのか美由の目がぼんやりと開く。

「よぉ」
「……来たんですか。急なことで申し訳ありません」
「別に構わねえよ。それより、風邪か?」

 美由は首を振る。
 確かに、ナイトテーブルには薬の類がない。

「感染るようなものではありませんし、深刻なものでもないのでどうぞお気になさらず」
「お気になさらずって無茶ぶりだろ……飯は食ったのか? ってか、食えるか?」
「…………食べられなくはないですよ」
「……粥でも作っておくわ」

 積極的に食べる気にはなれないといった様子に苦笑して、あやめは濡れタオルを美由の額に戻して寝室を出て行く。その気力もないのか、引き止める声や遠慮の言葉はなかった。
 広々としたキッチンで勝手知ったるとばかりに鍋や米の用意を始めたあやめは、ふとゴミ箱のそばにまとめられた袋に気付く。美由は燃えるゴミ、燃えないゴミを専用の箱にゴミ袋を広げて使うが、それ以外は小袋にまとめてしまう。これもそうなのだろう。しかし、あやめはなにか引っかかるものを感じて、その袋を解いた。
 空になった精力剤の瓶が幾つか。

「ッ馬鹿かてめぇは!!」

 寝室に取って返して怒鳴ったあやめに、濡れタオルを外した美由は鬱陶しそうな顔をして、またタオルを乗せる。聞く耳を持つ様子はない。

「お前なにやってんのぉッ? あんなもん持ってなかったよなぁ? ってことはここ三日で揃えたんだよなぁっ? 複数に分けたにしても飲み過ぎだし、その様ってことはお前一気に飲んだんだろ、なにしてんだよ、おいぃ!!」
「……兄のおすすめすら効かないとは驚きましたよ。それで、つい意地になったというか、自棄になったというか……」
「それでオーバードーズとかなにやってんの元学年首席だろいつもの頭の良さはどこにおいてきた!! ってか弟になに勧めてんだよ!!」
「処方薬でやらかさなかっただけの理性はありますよ。全面的な非を認めますから寝かせてください」

 ひらひらと手を振る美由を問い詰めたい気持ちは強いが、原因はなんであれ相手は体調不良なのだ。あやめはぎりぎりと歯を食いしばりながら寝室を出て行く。
 リビングのソファにどっかりと座り、取り出したのは携帯電話。かける先は現在、海の向こうにいる優だ。時差など知ったことではない。

「もしもし、どうしたんだい」

 優はとくに待たせることも、聞き取りにくい声を出すこともなく応じた。

「お宅の弟さん何考えてるんですかねぇ? お前にすすめられたっつぅ精力剤飲んだせいで熱出してぶっ倒れてんだけどぉ」
「随分と悪しざまな言い方をするねえ。まるで、わたしが悪者のようじゃないか。なんだい、あなたは不妊の原因を妻ばかり疑って自身の精子は頑なに検査しないタイプかい?」
「今の話でなんでそんな喩え話に飛躍した。いや、そんなもんはどうでもいいんだよ」
「少子化が問題になっている国で生まれ育ちながらどうでもいいはないんじゃないかい。国力とはつまり国民の……」
「うるせぇ、黙れ」
「おやおや、短気だねえ。わたしが黙ったら訊きたいことも訊けないだろうに。普段からそういう物言いをしていると、ベッドで『黙って喘いでろ』とか矛盾したことを言うようになるよ」

 どうしてこいつはこんなにひとをイラッとさせるのだろう、とあやめは心底不思議な気持ちになった。

「まあ、わたしはあなたのことを気に入ってはいないが嫌いじゃないし、相手をしてあげようじゃない。
 わたしがあの子に精力剤をすすめたのは、あの子の体を考慮した結果だよ。あの子の場合は心因性だからねえ……トラウマならまだしも、欠片も興味が無いせいでそちらに意識が働かないという厄介具合。カウンセリングの仕様もない。ああ、処方薬は一錠試して効かなかったらしいよ? これで自棄を起こされても困るだろう。だから、最悪にはならないだろう物を勧めただけだよ。もしかしたら、あなたが見つけたのは熱出したあの子じゃなくて、冷たくなったあの子だった可能性があるかもしれないねえ?」

 のほほんとした声音で言われるえげつない内容。あやめの顔が引き攣る。

「阻止してくれたのは感謝するが……そもそも、なんだってそんなもんを……」
「え? あなたがあの子とセックスしたいって言ったんじゃないのかい?」

 美由に対しても思ったが、優はそれ以上にオブラートに包んだ言い回しを覚えるべきだ。分かっていて言っているのだろうが、言った本人の品位がどうのよりも、言われたほうへの打撃が強過ぎる。

「あんな怪我をした子だからね、あなたなら半年くらいは我慢するかなと思っていたけれど、まさかの……尊敬するよ」
「しみじみと言うのをやめろ。あいつは興味なさそうだったし、ひとに触られんの嫌いだし、ろくな経験がねぇんだから躊躇や遠慮があって当然だろぉが」
「あの子にとって赤の他人に触られるのは夏コミ三日目の会場内で素肌と素肌が触れ合うくらいの不快感だろうけど、あなたはその限りではないだろうに。それに、あの子は大人とこどもの体格差で押し倒されたことも、中出しレイプされたことも気にしちゃいないよ」
「お前はむしろ弟のこととして気にするべきなんじゃねぇの? 言い回しとかを重点的に」
「本人気にしていないことを周りが神経尖らせて配慮したって、それは余計なお世話というやつだよ」
「あ、そぉ……」

 以前、美由も似たようなことを言っていたなぁ、と思い出すあやめはそろそろ優との会話に疲れてきていた。それでも、肝心なことを訊いていない、と気を取り直す。

「で、あいつがいきなり気にし出した理由は……」
「それはあの子に訊いておくれ。態々、わたしが話すべきではないよ」

 にべもない。
 確かに相手をすると言っただけで、相談に乗るとも答えるとも言ってはいなかったけれど。

「まあ、泣き言はいつでも聞くよ。泣きついていいと言ったのはわたしだからね。ふふ!」

 結局、あやめは優からろくな話を聞けず、精神力をがりがりと削るだけに終わった。

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