小説
あなたの日常に這い寄るヤクザ〈カフェ〉
定休日、静馬は自宅でぐっすりと眠っていた。だが、聞こえてきたがちゃ、という音にその意識を覚醒させる。
「ああ?」
何だ一体と思って音の発生源へと視線を向ければ、そこは丁度玄関のあるほうで、静馬は嫌な予感を覚えながら布団から起き出す。
ぼりぼり腹を掻きながら玄関へ向かうのと、施錠していたはずのドアが開くのは同時だった。
「……起きちゃったのか」
てへ、とばかりに頭を軽く小突くのは四季だった。その手はしっかりドアノブを掴んでいて、ドアを開けたのは自分です、と主張している。
「おい、鍵どうしたよ」
「マスター、こんなお粗末な鍵じゃいつ泥棒に入られるか分かったもんじゃねえぞ」
「質問の答えになってるようでなってねえ。とりあえず殴らせろ犯罪者」
「勘弁だぞっと」
静馬が拳を振りかざせば、四季はとん、と後ろに避ける。ドアノブを掴んでいるのでドアが大きく開いた。
「さみいんだよ、ドア閉めろ」
「ああ、お邪魔するぞ」
「てめえは入るな。ドアだけ閉めろ」
「そんなつれないこと言って……四季泣かないもん」
「四十路がもんとか言うんじゃねえ、気持ち悪い」
「マスターの馬鹿、アラサー。四十路なんてあっという間なんだからなっ」
「経験者は語るってか。で、お前なにしにきたのよ」
相手をしなければ寒いなかいつまでも言い合いが続くことを悟った静馬がいやいや促せば、四季はぱあっと顔を輝かせた。無性に殴りたいが静馬はいい大人なので我慢した。
「ちょいと仕事を頼みたいんだぞ」
「今日定休日、俺休み」
「貸切のつもりで頼む」
「休みの日に俺ひとりの体貸し出すのに貸切分だけで済ますつもりか」
「もちろん色はつけるぞ」
静馬は考える。
実は先日、珍しく雑誌を買って時計が欲しくなったのだ。しかし、その時計の高いこと。テッセンの売り上げひと月分ときたものだ。けれど、ここで四季が奮発してくれるのならば購入も夢ではない。
「っていうか、お前に買わせりゃいいのか」
「ん? なにか欲しいものがあるのか? マスターにだったらいくらでも貢ぐぞ」
「あとが怖いから貢がれる気はないが、代価としてならまあ、受けてやらんこともない」
四季がガッツポーズをとる。
「ってことは請けてくれるんだな」
「ああ、まあ。俺にできることなら」
「なに、いつもみたいに珈琲淹れてもらいたいだけだ」
「……どこで」
「本家で」
「やっぱり断っていいか」
「ここまできてそれは男らしくないぞ、マスター」
やれやれと肩を上下する四季に今度こそ二度目の拳を振り上げるが、それは四季の空いた片手で受け止められた。
「いつもだったら殴られるのも吝かじゃないんだが、今日はひとと会うんでな」
「気色悪い、マゾかお前」
「マスターの愛の拳だったらいつでも受け止める覚悟があるだけだぞ」
「愛なんてこもってねえよ……」
静馬はうんざりとため息を吐いて、それでも「着替えてくる」と玄関から部屋へと戻っていく。四季が「下で車用意しておくぞー」と声をかけた。
訪れるのは二度目となる久巳組本家に、静馬は仏頂面になる。身体検査は四季が「いい」という一言で行われなかったが、脱いだ靴を丁寧に揃えられて静馬は気恥ずかしい。他人に世話をしてもらうことに慣れていないのだ。
「道具は匂坂のところに置いてあるのと同じのを用意してある。豆は一番いいの頼んだ」
「そこまでするようなひとが来るのか」
「高槻会の若頭だ」
若頭といわれてもぴんとこないが、高槻会といわれればさすがの静馬も顔色を変える。
「おい、なんで俺なんだよ。もっといいバリスタとかいるだろ」
「俺が知る一番美味い珈琲を淹れるのはマスターだけだぞ」
「時々若い衆に習わせたくなる」と四季はくすくす笑い、組長自ら台所へと静馬を案内する。
途中ですれ違った若者たちや厳つい強面の男たちは一斉に四季に頭を下げて、その光景に静馬は四季がほんとうにヤクザなんだなあ、と今更な実感を覚えた。
「で、その若頭とやらは何時に来るんだ?」
「あと一時間くらいだぞ」
「ふうん、じゃあ試飲できるな」
恐らく金にものをいわせて買ったであろう豆、静馬の胸が弾まないわけがない。
「そのときは俺にもくれ」
「どうせお前あとから飲むじゃねえか」
「分かってねえな、マスター」
四季は静馬の頬に触れるぎりぎりの位置を撫でて、莞爾として笑う。
「好きな奴と飲み食いするものほど美味いものはねえだろ?」
四季の手が落ちるのをなんとなく見送って、静馬は口を閉ざす。
何故自分なのだろうか、というのは散々考えた。しかし、答えは出ない。四季に訊いたって納得はしないだろう。
静馬はごく平凡なカフェ兼バーのマスターだ。ヤクザの組長に目をかけられるような存在ではない。それなのに、四季は静馬が好きだという。
「お前、おかしいよ」
「マスターにイカレてる自覚はあるぞ」
「俺はお前が好きじゃない」
「嫌いでもないだろ」
反射的に四季を殴りたくなったが、それでは肯定しているようで静馬は拳を握り締めるだけにする。
嫌いではない。確かに。
いないと調子が狂うくらいには、静馬の日常に四季は食い込んでいる。
「鬱陶しい奴」
悔し紛れに言えば、四季は「ほめ言葉をありがとう」と真顔で返してきた。
「さあさ、お客さんが来る前にティーブレイクと洒落込もうじゃないか。いや、この場合はカフェブレイクか?」
「知らねえよ」
言いながら静馬は道具の確認を始める。確かに夾士郎のマンションに置かれているものと同じだ。
「相手さん、好みとか分かるか?」
「確か、最近は濃い目のを飲むようになったとか言ってたぞ。豆もそれに合わせて買ってきた」
「了解」
準備を始める静馬を四季は邪魔にならないように戸口に寄りかかって眺め、静馬は淡々と手元の作業に没頭する。
ここはテッセンではないのに、ヤクザの本家だというのに、不思議なほどいつもどおりの空気が流れて、ほどなく漂ってきた珈琲の香りがそれを加速させた。
まるで、此処にも自分の居場所があるかのような錯覚に静馬は首を振る。
そんな静馬を四季はゆったり囲い込むような気持ちで眺め続けていた。
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