小説
ダーティベアの不安



 相棒の不調を感じ取りながら、フォックスはそれでも無言を貫いていた。ダーティベアという男は話さないと決めたら貝のように口が堅く、いくら問いかけても無駄だからだ。なので、フォックスはダーティベアが自分から話し出すのを待っている。もっとも、不調がそのまま依頼の結果に関わっていないからこんな悠長なことを言えるのだが。

「なあ、フォックス」
「なんだよ」
「大人っていつになったらなるんだ?」

 無事に依頼も達成した帰り道、フォックスは車を運転しながら胡乱な目をダーティベアに送る。

「そんなもん知らねえよ」
「俺たちは大人か?」
「いい歳してガキ扱いされたいのか?」
「いや」

 ダーティベアは中折れ帽を深く引き下げるとゆらゆらと首を振る。

「キャットにいつ話せばいいのか分からない」

「ああ」とフォックスは思った。
 フォックスの中でも蟠りがないわけではない話だ。しかし、ダーティベアほどではない。あのときの依頼でフォックスは実際現場にいたわけではなく、いつものように逃走経路のみを用意していた。

「キャットはまだこどもだろ」
「まだ、まだな。だが、いずれ大人になる。それはいつだ? 俺たちはガキも大人もねえような育ち方をしてきたが、キャットは違うだろ。色々なこと経験して、段階踏んで大人になるだろ。だが、俺にとっちゃいつまでもふにゃふにゃやわらかいままのガキなんだよ。そう思っている間に時期を逸しそうで……話すことができなくなりそうで、俺は怖い」

 怖い、とダーティベアが恐怖を口にしたことに、フォックスは驚くと同時に動揺する。
 ダーティベアは「こども」の頃から不遜な態度だった。挫けることなく、血反吐吐いても顔を上げるような人間だった。それが顔を見せないように俯き、声を沈ませている。

「……振り返ればこどもだったって分かるように、いつ大人になった、なんてぱっと分かるようなもんじゃねえだろ」

 かろうじて紡いだ言葉に、ダーティベアはくすり、と笑った。ずるずると姿勢悪く背もたれに寄りかかり、ぼんやりとだがその顔を上げたダーティベアはどこか虚空を眺めている。

「そうだな……そうなんだろうな。でも、俺は見極めなくちゃならねえ。
 俺が間に合っていれば、キャットはこんな薄暗い場所にいなくて済んだんだ。こんなもしものとき、人質にされてもおかしくないような場所に……」

 キャットはダーティベアの弱点だ。
 積極的に蝙蝠から情報を買っているおかげで、キャットを狙う輩は始末してきたが、この先もキャットは狙われるだろう。

「そのために名前売ってるんだろ」
「『ダーティベアの養い子』なら迂闊に手は出せないからな。身の程知らずは事前に始末できる。だが、もし俺たちが予期せぬ方面から狙われたら?」
「予期せぬってどこだよ。大物に喧嘩売っちゃいないだろ。くちなわか? あいつは養い子ってだけで罪ないこどもにまで手錠かけるようなやつじゃないだろ。
 ダーティベア、なにが不安なんだ」

 不安。
 フォックスの指摘したとおり、ダーティベアは不安だった。
 見た夢のせいか、形のない漠然とした不安がダーティベアを襲っていた。

「……らしくねえよな」
「ああ、起こってもいないことに怯えてるお前なんぞらしくないな。
 あの話に関してだって、キャットの成人か一人立ちを待ったって遅くねえよ。むしろ、区切りがいいだろ。まさか、お前。その前にキャットが、なんて縁起でもないこと考えてるわけじゃねえだろ?」
「……そうなる前に今度こそ守るさ」

 今度こそ、と力強く繰り返したダーティベアに、フォックスはそれでいい、というようにうなずき、運転に集中した。
 いつの間にか降りだした雨が、車窓を強く叩いた。



 外からの明かりが乏しくなり始めた室内で、ふくろうは書類を読んでいた。その傍らで黒狼は器用にりんごを剥いている。

「ねえ、黒狼。最近、下からの情報が芳しくないんだけど」
「そうなの? ふくろう」
「うん。これは少し締め上げてなにがあったのか吐かせるべきだと思うんだ」
「締め上げるなんて物騒だね」
「懇々とお話してもいいけど、時間は惜しいだろう?」
「そうだね、俺たちには一分一秒も惜しいね」

 黒狼は真面目な顔でうなずく。
 ふたりに残された時間には短い限りがある。その時間はできるだけ効率的に使わなくてはいけない。

「だから、ね?」
「分かったよ、ふくろう。なにがあったのか訊いて来る」
「ごめんね、黒狼。きみの手を煩わせて」
「いいんだよ、ふくろう。ふくろうはゆっくり休んでいて」
「ありがとう」

 微笑むふくろうに、黒狼は剥いたばかりのりんごを差し出した。
 ふたりの耳に吸血鬼アルクエルドの店が行方を晦ませたと入るのは、もう間もなくのこと――

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