小説
強く儚く生きるもの



 くちなわの血を飲んで以来、ママの感知能力は広がった。そのおかげか、そこかしこでコレクターの気配を感じ取りママは少々うんざりしている。

「全員殺してしまえば楽なのに」
「ボス、久しぶりに血を飲んでから物騒になりましたね」

「とうとう本性を現しましたか」というクロの頭をトレイで叩き、ママは喉をさする。久しぶりに血を飲んだせいで乾きに対して敏感になっている。もはやトマトなどの新鮮野菜の生気では気がまぎれない。

「刑事さんもやってくれるわ……」
「くちなわなんて呼ばれてるくらいですから、執着心や束縛が強いなんて明白でしょうに」
「でも好きになってしまったのよ」
「じゃあ、仕方ないですね」
「いやに冷たいじゃない」
「そうでもないですよ」

 皿を洗いながらクロはけろり、と言う。それを忌々しげに見るママの機嫌は明らかによろしくない。例えるならばアルコール中毒患者が退院して平穏に暮らしていたところにビンテージもののコニャックを飲まされたようなものだ。忘れて久しい甘美な味わいと芳醇な香りに抗うのは難しい。それは自分を律してきたママにとって屈辱だ。そんな屈辱を味わわせた相手が恋人だなんてますます最悪だ。

「一生恨むわ」
「ボスの一生なんてあと何年です」
「七代先まで恨むわ」
「よっ、長生き」

 平坦な声ではやし立てられ、ママの眉間に皺が寄る。しかし、そんな表情さえも悩ましく美しいのだから、魔性というのは性質が悪い。

「しかし、人間相手に本気の恋なんて物好きですね」
「恋は落ちるものよ。好き好んで選べるわけじゃないわ」
「俺たちからすればあっという間に終わってしまう関係でも?」
「だから七代先までって言ったでしょ」
「ああ、てきとうなところで離れてこども作らせて、あなたは子孫を見守るって? くちなわ相手にそれは無理でしょう。離れることもできやしませんよ」
「なんのために神様は刑事さんに双子の弟をつくったと思う?」

 ママはうっそりと笑う。強者の傲慢さがむき出しになった笑みだ。くちなわに出会う前からは想像もできない表情に、クロは「やはりこれが本性か」と冷めた思考に浸る。

「吸血鬼が神様を語るなんてお笑いですね」
「神様は私を愛してらっしゃるわ」

 かわいいこどもたちに楽しい職場、恋しい恋人に本性を知られてもとめどない愛情。ママの人生は紛れもなく幸せそのものだ。それこそ神様が祝福しているかのように。

「しかし、神はひとに寿命を与えたもうた」
「いいのよ、一生愛するから。刑事さんでないならどんなに似ていても別人。だったらせめて面影を追い続けるだけで幸せよ」
「矛盾していませんか?」

 皿を洗い終えて手を拭きながらクロが始めて表情を呆れに崩す。
 別人と割り切りながら、面影を追いかける。そこにいったいどんな意味があるというのだろう。

「いっそ俺たちと同じようにしてしまったらいかがです?」

 同じ吸血鬼に。
 クロの提案にママは淫靡な笑みを唇に刷きながら「それは駄目」と甘ったるい声を出す。

「刑事さんを吸血鬼にしたら、あのひと私の眷属になっちゃうじゃない。私は刑事さんと対等でいたいの。主従関係なんて結ばないわ、絶対にね」

 アルクエルドは発生した原種の吸血鬼だ。対等であるには同じく原種の吸血鬼以外にない。牙を突き立てることで吸血鬼化させたのでは眷属となり、普段はどうであれ、根本的にはアルクエルドに逆らえなくなる。そんなことをママは望まない。

「そうですか。それで、コレクターの件はどうするんです? 俺たちが狩ってきましょうか?」
「だめよ、吸血鬼が複数いるなんてバレるような真似できないわ」
「では?」
「刑事さんに捕まえてもらいましょ」
「ああ、ボスの感知能力で居場所を突き止め、それを刑事さんに密告、と」
「ふふ、刑事さんの株も上がるし、いいこと尽くめじゃない?」
「名案だと思いますよ」

 うなずくクロに満足そうにして、ママは腰掛けていたスツールをくるり、と回転させる。店の外は壁や戸に阻まれ見えないが、ママには視ることができる。

「ふふ、店が見えなくてうろうろしちゃってる」

 以前、見かけた際に暗示をかけておいたコレクターの一人がVAMPIREを探している様を視て、ママはくすくす笑う。

「店が見つかりません、なんて上に報告するんですかね」
「さすがにそんな無能を晒さないでしょう。してくれたら上も見つけられるんだけど、ね」

 さすがにコレクターの幹部クラスの気配は「街」にない。いや、いたのかもしれないが、ママの感知能力が低い間に撤収したのだろう。いるのは情報収集に始終する鬱陶しい蝿ばかりだ。何食わぬ顔をしているが「街」のなか、新しい顔であることはママには明白だ。

「新しい顔といえばキャットちゃんに新しいお友達できたみたいね」
「ああ、言っていましたね。かわいい女の子だとか」
「すずめちゃんもかわいいし、キャットちゃんたらあの歳でハーレムだわ。外も中もいい子だから納得だけど」
「俺は末恐ろしいですよ。天然ジゴロにでもなりそうで」
「容姿は父親に似るでしょうから寄ってくる女は多そうね」
「そういえば、ボスは話さないんですか?」
「なにを?」

 くるり、とスツールを元の向きに戻してママは首を傾げる。

「キャットの実の父親が――フォックスだってことですよ」

 一瞬、店内に沈黙が下りる。

「……話さないわ。話したところで『私』が話すメリットのないことだもの。あの子たちにいらない猜疑心を植えつけることないわ。
 蝙蝠辺りも知ってるでしょうけど、買い手のいない情報でしょうしね」
「あるとすれば、フォックスが彼女の行方を追ったときくらいですね」
「その日はいまのままなら来ないでしょう。来たって可哀相なだけだわ。
 初恋の君は流行り病に罹り、一夜で孕んだ子を従兄弟に託してすでに死んでいる、なんて」

 ママはため息をつき、カウンターテーブルをつーっと指でなぞる。

「人間って儚いわね」

「だから愛しいわ」と続けて、それきりママは黙り込んだ。

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あきゅろす。
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