小説
手☆ぶら!
・軍人と相棒と副官


 報告書を持ってアダンテの副官ヒャーリスはアダンテの部屋を目指していた。
 ドアの前に辿り着いて深呼吸、ヒャーリスはノックを丁寧に四回叩く。

「入れ」

 厳しい声がして、ヒャーリスは背筋をぴん、と伸ばしながらドアノブに手をかける。
 ドアを開けて一秒、ヒャーリスはその場に崩れ落ちる。

「なんで、また、胸隠してるんですかああああっ」

 風呂上りだったらしいアダンテは上になにも着ておらず、筋骨たくましい体を一部以外晒していた。唯一隠されているのは胸だ。アダンテは手ブラで胸を隠していた。
 ヒャーリスが三十路もとっくに超えただろうアダンテの手ブラという、まったく嬉しくない姿を見るのは初めてではない。初めてではないからヒャーリスは涙目になる。
 このアダンテという男、傭兵上がりの叩き上げで、ヒャーリスのようなエリート組ではない兵士にとっては憧れの的である。そんな男が手ブラで胸を隠す姿を見て、幻想が砕けてもおかしくない。
 さらにそれだけではない。

「おい、風邪をひくだろう」

 アダンテの部屋にいたひとりの人物、メイルは泣き崩れるヒャーリスに頓着せず、そんなヒャーリスを見てきょとん、とするアダンテの肩に自分が着ていた上着をかけてやった。そのごく自然な仕草もまた、ヒャーリスを嘆かせている要因だ。

「なんなんですか、上官ですけど、なんなんですかっ、なんで手ブラで胸隠すんですか、なんでひとがきたら上着着せるんですか、別に俺は上官殿の胸なんて興味ないですからっ」
「男は狼だ。まして軍なんていう女っ気のないところじゃ血迷う奴が出るかもしれないだろう」

 メイルが当然のように言うのにヒャーリスはとうとう泣いた。泣きながら報告書をアダンテに差し出し、脱兎の如く部屋から出て行った。

「……ヒャーリスはなぜいつも泣くんだ?」
「それはお前が気にすることじゃないさ、アダンテ」

 首を傾げるアダンテに、メイルは肩を上下させた。



 ヒャーリスはとぼとぼと廊下を歩いていた。

「はあ、今日もくじけてしまった……」

 ヒャーリスはヒャーリスなりにアダンテとメイルの奇行を受け止めようとしていた。だが、実際に目にすると憧れだとか夢だとかに罅が入り、色々やってられなくなるのだ。
 ヒャーリスはため息を吐く。
 瞬間、ヒャーリスは腰に挿していたナイフを背後に向かって投擲する。
 ナイフはいつの間にかヒャーリスの後ろに立っていた男の首をかすめ、壁に突き刺さった。

「またお前か、イクジス」

 イクジスと呼ばれた男はナイフを投げつけられたことに欠片も動じず、ヒャーリスに箱を差し出す。

「上官殿に」
「却下だ」
「今回は自信作です」
「却下だ」
「せめて中を見てください」
「見なくても分かるわ、また男用ブラだろうがっ」

 然り。このイクジスという男、アダンテが手ブラで胸を隠すという癖を知ってからというものの、男性用ブラジャーをアダンテに贈りつけるという奇行に走っている。初めはただの贈り物だと思って仲介を請け負ったヒャーリスだが、アダンテの手により目の前で開けられた箱の中身を見て絶句した。そしてそれを無表情で着用して「小さいな」と呟いたアダンテに卒倒した。
 どこから聞いたのかサイズが合わなかったことを知ったイクジスはそれからも新たな男性用ブラジャーを箱に詰め、ヒャーリスに仲介を頼むのだが当然ヒャーリスは断っている。筋骨逞しいアダンテのブラジャー姿はトラウマだ。
 だが、イクジスは諦めなかった。ヒャーリスが何度断っていまのようにふらりと現れては男性用ブラジャーを差し出してくる。

「今回は清楚な白でレースが縁を飾る可憐な……」
「聞きたくないわっ」
「なにとぞ上官殿にはよろしく」
「押し付けるなって、ああもう!」

 イクジスは箱を押し付けるだけ押し付けるとその場から煙のように消えてしまった。イクジスは凄腕の隠密兵士なのだ。ならば直接アダンテの部屋に男性用ブラジャーを置いていけばいいと思うが、それではストーカーのようでいけない、というのがイクジスの言だ。知ったことではない。
 ヒャーリスは押し付けられた箱を両手に深いふかいため息を吐いて、男性用ブラジャーを処分するべく歩き出した。
 しかし、運命の神がいるとしたらよほどヒャーリスで遊びたいらしい。
 曲がり角でヒャーリスはひととぶつかった。その拍子に箱を落としてしまう。

「おっと、悪い」
「いやこちらこそ」
「なにか落ちたな、ほんとうにわる……」

 ぶつかった相手の声が固まったことに怪訝な顔をしてから、ヒャーリスははっとする。そしてゆっくり下に視線をやると、開いた箱からはみ出るのはどう見ても……。

「ちがっ、俺のじゃないんだっ」

 思いきりどもりながらヒャーリスは弁明するが、相手の視線は男性用ブラジャーに釘付けで、その顔は思い切り引きつっている。

「いや、うん。俺はなにも見てないから」
「違うんだ、これは押し付けられてっ」
「うんうん、何も見てないから。あ、俺用があるんだった。じゃあなっ」

 相手は引きつった顔のまま手を振り、その場から駆け出していった。

「ほんとうに違うんだああああああ!!」

 ヒャーリスの悲鳴は誰にも届かない――

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あきゅろす。
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