小説
廻(中)
夕が玄関を出て暫く、もはや骨董品ともいえる黒電話が鳴った。
劈くような呼び出し音は、聴いた端から辟易する。
十は大儀そうに立ち上がると、自らの部屋を出て、玄関へと繋がる廊下を歩く。突き当たりに置かれた黒電話はしつこく騒いでいる。
「精算は済んだのか」
「『もしもし』くらい云ったらどうだ。ああ、済んだよ」
不機嫌な声が受話器越しに伝わり、十はくつくつと嗤う。
「じゃあ、明日にでも行くとしよう」
「別に現金書留だって、振込みだって、全く構わないんだがな」
「なに、欲しいものがあるかもしれない」
「お前が欲しがっても、お前のものはうちには一つもない」
ぴしゃり、と断じられても、十の愉快そうな顔は崩れない。
「年上に対する敬意はどこにいった。そんな調子で商売になるのか」
「外道に敬意を表するほど、人間落ちぶれちゃいない。商売? 商売なんざしていない。うちの店はただの業だよ」
長々と話すつもりはないのだろう。挨拶もなく、叩きつけるように通話は切れた。
つー、つー、と鳴る受話器を眺め、十は口の端を歪める。
放るように受話器を置いて、はた、と目を瞬いた十は電話を切った。きった。
身を翻えした十が三歩も歩かぬ内に、再び黒電話が鳴る。
じりりりり、じりりりり……。
振り返り、十は心底馬鹿馬鹿しそうに黒電話を眺め、そこから伸びるコードを辿る。
コンセントは抜けている。
十は電話を切った。十は電話線を切った。
黒電話は鳴っている。
じりりりり、じりりりり……。
黒電話は泣き喚いている。
十はすたすたと歩み寄ると、なんの躊躇もなく受話器を取り上げた。
「もしもし」
無言。
「冗長なのは嫌いだ」
ざ、ざ、とノイズが走る。
「…………あげる」
ぽつん、と白紙に墨を一滴落とすような調子で、たった一言だけ告げて、通話は切れた。
あとにはコンセントの抜けた電話らしく、つー、ともいわない黒電話が大人しくしている。
十は受話器を置いた。
夕が帰ると、なぜか電話のコンセントが抜けていた。
珍しいことでもないし、なにかしらあったのだろう、と深い興味も表さず、しかし差し直さなければいけない小さな手間に苛立ちを覚えながら、夕はコンセントをしっかりと差し直そうとして、電話線が切れていることに気付いた。
「……まったく仕方のない」
ひとつ頷き、夕はそのまま廊下を歩き、ぼんやりと障子から光りの漏れる十の部屋の前で立ち止まる。
「ただいま帰りました」
一声かけて、夕はそっと障子を開く。
畳の上に寝そべる十は、行儀悪く足をぶらぶらさせながら本を読んでいた。肌蹴た着物から脹脛が覗いても、中年老年のそれでは嬉しさよりも、顔が引きつるほどの鬱陶しさが募るばかりだ。
「あんた、いい歳してなんて格好ですか」
「年寄りを差別するな。私が常に背筋伸ばして、座椅子にも凭れることがないと思ったら大間違いだ」
「ああ、言い方が悪かったですね。老若男女問わず行儀が悪いですよ」
「人前で取り繕えれば、どう振舞うべきかを弁えていれば、私生活など頓着すべきことではないな」
夕は十の尻を引っ叩いた。
「いったあ! なんだ、老人虐待か、十七歳の思春期の熱暴走でそんな恐ろしい行動に出たのか!」
「安心してください。俺はかっとなってやったわけでも、反省しているわけでもありませんから」
夕飯作ってきます。
冷たい目で十を一瞥した夕は障子を閉めようとして、十に止められる。
「明日、出かける」
「どちらへ」
「拾絲」
「ひろいと?」
にたにたと十は嗤う。
「死人の置き土産展覧会だ」
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