小説
廻(前)
・微ホラー
・爺と若者


 立花夕が時代に取り残された、いいや、自ら停滞したような和洋合わさった旧い家に引き取られたのは、齢七つの頃だった。
 家族を交通事故で失い、身よりもない夕が旧家に引き取られるなんて、昼ドラくらいでしか扱われない凡そ現実離れした現実だ。
 夕を引き取ると申し出たのは、大きな家にたったひとりで暮らす年嵩の男らしい。
 施設の養母が話すのを、深い興味も覚えずに聞きながら、夕はこの家までやってきた。
 本当ならば、施設まで引き取る人間が迎えにくるものだが、男は忙しいらしく時間がとれないらしいことを云っていたそうだ。
 そんな人間が子供を引き取って大丈夫だろうか。
 夕は口にこそ出さなかったが、自分を引き取った男へなるべく期待を抱かずにいた。
 門の前に立つと養母も緊張したのか、インターホンに手を伸ばす手がぎこちなかった。

「……はい」
「つつじ園の坂下と申しますが……」
「ああ、お入りください」

 インターホンから聞こえた男の声は、特別しわがれても、力強くもなかった。ただ、妙にひとの頭に言葉を浸透させる声だと夕は思った。
 格子戸を引いた先は静かな庭が広がり、玄関まで飛び石が続いていた。
 広い庭は特別作られた感じはしないものの、一定の空気を保って息を潜めているような印象を夕に与えた。
 飛び石を中ほどまで進み、ふと振り返れば門の脇に立派な石榴の木が枝葉を伸ばして、まだ小さな実を抱えていた。

「夕くん?」
「ごめんなさい」

 立ち止まる夕の腕を養母が引き、夕はすぐに前を向いて歩き出す。

 玄関は開いていた。
 ぽっかりと口を開いて、薄暗い中の様子をぼんやりと見せている。

「ごめんくださあい」

 養母が中に向かって声をかければ、程なくひたひたと足音がした。
 横に逸れた廊下から現れた男は、中年とも老人ともいえる、年齢を相手に明らかにしない容貌をしていた。色が抜けた髪と端整な顔に刻まれた皺が、彼を若くないと表すばかりだ。

「ご足労、すみませんな」
「いいえ、とんでもございません」

 男はひとが好さそうに笑い、ひたり、と夕を見据えた。


 大人のやりとりを終えて、養母は「幸せになるのよ」と夕を抱きしめて、この家を後にした。
 正座する夕の前には、養父となる男が気だるげに夕を見ている。

「名前は」

 書類を見て知っているだろうに、男は訊いてくる。いいや、ひょっとしたら知らないのかもしれない。この男なら有り得ると、夕は漠然と感じた。

「立花夕です」
「立花、ね。私の名前は知っているかね」
「とがのうさん」

 下の名前は知らない。養母が男の話をする時は「とがのうさん」と呼んでいたからだ。

「名前は知らないみたいだな。まあ、別に構わないんだが。一応名乗っておくか。
 十叶十。十、叶えると書いて『とがのう』で、十と書いて『つなし』だ」

 夕は十が例えた通りの漢字を頭に思い浮かべ、その奇妙な字面に顔を顰めた。しっかり想像しないと、記号に思えてばらけてしまうのだ。

「私はお前を引き取ったが、お前を十叶の子にするつもりはない」

 夕はじっと十の顔を見る。
 じっと見つめてくる夕に、十はくつり、と嗤った。

「お前は立花のままでいなさい」
「はい」

 了解を言葉にしたのが意外だったのか、十はひょい、と片方の眉を上げて、愉快そうにくつくつと嗤った。

 そうして、夕は十に引き取られた。
 今から十年ほど前の話である。



 三時過ぎ、夕飯の買出しに行くので十に何が食べたいか、と尋ねたら、彼は「石榴が食べたい」と妙に光る目をしながら答えた。

「まだ割れてません」

 よその石榴は知らないが、庭の石榴に生った実が割れるにはもう少しかかりそうだ。
 十はつまらなそうに口を尖らせ、そのまま煙管を燻らせた。
 草色の着物の上に、柳鼠の羽織を肩にかけた姿は薄暗い部屋のなか、余計に陰影を濃くしている。対する夕も、白いシャツに黒のトラウザーズという、陰影もなにもない格好なのだが。

「他に、食べたいものはありませんか」
「魚のフライ」

 若いのか、いい歳なのか、分からない注文だ。間違いなくいい歳であるのだが。
 なにしろ、十年前から十の容姿は代わりがない。
 あまり、写真に写りたがらない十だが、それでも十年前から一枚もないわけではない。当時の写真といまの十を見比べて、見えないところで老いていた、と実感させるところなど、特に見当たらないのだ。
 妖怪だろうかと小さな頃は思ったものだが、十は人間である。
 反吐が出るほど、人間の塊である。
 そう、十を評したのは、罵ったのは、一体何処の誰だっただろうか。
 懐かしいような、そうでもないような記憶を振り払い、夕は「魚のフライですね」と繰り返し、頷いた。

「じゃあ、行って来ます」

 ひらひらと振られた十の手は、張りはないものの、まだ肉は削ぎ切れてはおらず、やはり年齢が不明だった。

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