小説
怪2
・ホラー
・店長とバイト
石榴の実が生った季節の話だ。
俺は相変わらず暇な留守番をしていたのだが、不意に出かけていた店長が帰ってきて「出かけるぞ」と言ったのに硬直することになる。
「ど、どこにですか?」
「ちょっと散歩だ」
店長の言う散歩はろくなもんじゃない。ほんとうにただの散歩のときもあれば、いつだったかは霊園に連れて行かれて泣くかと思った。しかも深夜。深夜の霊園は不気味で恐ろしくて、なのに店長は平然として石ころを積んだような墓に菊を供えたりして……。
「どちらまでですか?」
恐々とたずねれば、店長はなんてことのないように少し離れた隣町の名を告げた。なんだ、今回は普通の散歩なのか。
俺はほっとして携帯電話と財布を尻ポケットに突っ込み立ち上がる。
店長は相変わらず着流しに羽織をまとって俺を待っている。その手には何故か唐傘がある。だが、このときの俺は店長の気まぐれだろう、と気にもしていなかった。
特に会話もなく街を歩いてしばらく、店長の足が止まる。
「見てごらん、椎。石榴があんなになっているよ」
たたんだままの唐傘で上を示す店長に倣って顔をあげれば、確かに石榴が見える。木が生えているのはなんだか歴史を感じる倉のある大きめの日本家屋だ。
「俺、石榴って食べたことないんですよ」
「それは人生を損しているな」
「そんなに美味しいんですか?」
「経験が足りないのならそれだけ損ということだろう?」
美味い不味いの話ではないらしい。
俺は少し腑に落ちない気持ちになりながら、石榴を見上げ続ける店長の足が動くのを待った。
そんなときだ。
生ぬるい風が吹いた。
ざざっと石榴の枝がしなり、不気味な音をたてる。
俺は何故か全身に鳥肌をたつのを感じ、思わず店長のほうへ身を寄せようとした。
だが、体は動かなかった。
「え」
声は出る。
でも、体は動かない。動かないというより進まない。まるで誰かに首根っこ掴まれたように動かないのだ。
「て、店長っ」
「なんだ……お前、面白いことになっているな」
不機嫌そうに顔を向けた店長が、にやり、と笑う。
「体が、体が動かないんです」
「そりゃ掴まれてるからな」
「掴まれてるっ?」
いったい誰に、何に。
混乱する俺に「まあ、落ち着けよ」と到底無理なことを言った店長は唐傘を俺のほうへ向けた。
「な、なんですかっ」
「そっち、見てみろよ」
店長に言われるがまま、俺は首をなんとか唐傘が示すほうへ向ける。そしてぎょっとした。
そこは塀だった。塀に影が写っていた。
無数の腕が俺の襟首を掴む影が写っていた。
「ひっ」
「お前も大概変なのに気に入られるなあ」
「店長、店長、店長っ」
「うるさいよ」
俺の助けを求める声を切り捨てて、店長はなにを思ったのかぴょん、とその場から飛び上がり、石榴の枝を唐傘で叩いた。
途端、もがいていた俺の体は自由になり踏鞴を踏むことになる。
「椎、走れ」
息をつく間もなく店長に腕をとられ、俺はまろびかけながらその場から走り去ることになる。
どのくらい走っただろうか。大して走っていないのだが、さっきの出来事が出来事だ。俺の心臓はばくばくとうるさく、店長が立ち止まってしばらくしても呼吸は荒いままだった。
「て、店長……さっきのなんですか」
平然としている店長に問いかければ、店長はなんてことのないように「石榴だよ」と答えた。
「石榴って……さっきのですか?」
「ああ。あれは結構な年数を生きているね。それがお前を気に入って、影を捕まえたのさ」
腕に見えたのは石榴の枝だと店長は言う。
「じゃあ、店長が枝を払ってくれなかったら……」
「お前、今頃神隠しにでも遭っているんじゃないか?」
俺の全身が再び鳥肌をたてる。
「て、店長ありがとうございます!」
こんなことになったのも店長の散歩なんていう気まぐれが原因だけど、恐怖心に駆られた俺は純粋に店長に感謝した。
だが、店長は店長だった。
「まあ、これのついでだし」
「え?」
ついで、と言って店長が片手に持っていたものを俺に見せる。
真っ赤に熟れた中身を覗かせる石榴だった。
「う、うわああああっ」
「うるさいよ」
「店長、なんでそんなものっ」
「季節だから食べたかったんだよ。そこらの八百屋じゃ扱ってないから探すのに苦労した」
「じゃ、じゃあついでっていうのは、その石榴を叩き落すための……?」
「そうだ」
俺は内心で店長を盛大に罵った。
酷い、ばかっ、鬼っ、店長!
だが、俺は一通り憤ると、店長の手に唐傘がないことに気がつく。石榴を片手に俺の腕を引いたのだ。唐傘はどうしたのだろう。
「ああ、礼代わりに置いてきた」
「……ふつうに落し物扱いされません?」
「いいや、あれは石榴にやったんだ。今頃どこにもないよ」
俺はぞっとして、二度とあの石榴には近寄らないと心に誓う。
俺の固い決意を知ってか知らずか、どちらにしても興味を持たず、店長は石榴に齧り付く。
ぶしり、と跳ねた果汁はまるで鮮血のようだと俺は思った。
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