小説
異文化コミュニケーション〈祭外伝〉



 葵は元々族潰しだった。いや、正確にいうなら喧嘩に明け暮れているついでに族が潰れていっただけだ。
 どういうわけだか葵は昔から喧嘩が好きで、隙あらば喧嘩を吹っかけて周っていたのだが、ある日とうとう地域で天辺張っているbelovedのひとりと遣り合った。結果は互角。葵は今まで感じたことのない高揚感を覚える。遣り合った相手はbelovedの中では中堅どころだったらしく、調子に乗って当時の総長に喧嘩を売ったら見事にぼこぼこにされた。

「お前、なんで喧嘩したがるの」

 地面になついて唸る葵に総長は問いかけた。

「えー、なんでだろ……反応が返ってくるから?」
「反応?」
「喧嘩してる最中は無視されないじゃん」

 そのときは言わなかったが、葵は育児放棄されて育った。かろうじて食事などは用意されるが、暖かい言葉なんてかけられたことがない。無視、無視、無視。その場にいないかのような空気が満ちていた。
 そんな日々を送っていたものだからひととの付き合い方などまるで不器用で、なにかの弾みで同級生と喧嘩になった葵は殴った分だけ殴り返される拳に間違った感動を覚える。自分は此処にいて、相手の目にうつっている。そのことが堪らなくうれしかった。それからは喧嘩に夢中だった。
 総長はそんな葵に「ふうん」と気のない相槌を打った。

「でも、総長さんとはもうやりたくないなー」
「なんで」
「だって、一方的なんだもん。俺じゃなくてもいいみたいな、俺、サンドバックじゃないんだよう」
「悪いな、喧嘩売ってくる奴多すぎて一々一人ひとり認識してられねえんだ」

 ぽんぽん、と頭を撫でる手はやさしいくせに、総長はひどいことを平気で言う。
 葵は漠然と寂しいなあ、と思った。

「なあ、お前名前は?」
「中西院葵」
「なかざい? どんな字だよ」
「なかにしいん」
「ふうん」

 やはり興味薄そうに総長は相槌を打つ。
 そして、なにを思ったか地面に突っ伏す葵を転がして仰向けにさせると、その顔を覗き込みながら「お前うちにこないか?」と言った。

「は?」
「belovedに入らないかって訊いてるんだけど」

「いまなら特攻隊長の座が空いてるぜ」と総長は笑う。

「俺、族潰しなんて呼ばれてるんだけど」
「負けたじゃねえか」
「敗者は勝者に従えって?」
「いや? ただのお誘いだ。うちに入れば喧嘩し放題で、ついでに仲間もできるぜ」

 葵は「なかま」と拙く繰り返す。

「喧嘩ばっかりが交流じゃねえだろ」

 その言葉が決め手となった。



「それでもまあ、喧嘩好きは変わらなくてな。代替わりする頃にゃあいつより強い奴はいなかった」

 正人が話す葵のbelovedに入った経緯を聞いて、敦美は「俺が聞いちゃってもいいんすか」とカウンター席で騒いでいる葵をちらり、と気遣うように見やった。

「知られてない話でもないし、問題ない」
「そうっすか……あの、正人さんはいつbelovedに?」
「コミュニケーション能力が著しく欠如したあいつの世話役が俺だった」

 つまりは葵より先にbelovedにいたのだ。

「あの、こういっちゃなんですが、葵さんが総長になって悔しいとかなかったんすか?」
「お前も突っ込んだこと訊くな。別に悔しかなかったさ。強い奴が天辺張るっつうのは俺たちの不文律だ。誰より喧嘩の回数こなしてるあいつが強くなるのは当たり前だったしな」
「そういうもんすか」
「そういうもんだ」

 うなずきながら正人はモヒートを飲む。ミントのさわやかな香りが敦美の鼻にも届いた。

「葵さんって因幡さんには喧嘩売らなかったんすか?」
「売ろうとしたが当時の総長の『俺より強いぞ』って台詞でやめた。ああ、そう考えるとあのふたりに喧嘩売らないのは当然か」

 以前、なぜ喧嘩を売らないのか分からない、と言っていた正人は答えを得て納得顔になる。あのふたりとは当然白と隼のことである。

「まあ、いま話したので分かったと思うがあいつの根っこは寂しがり屋で、甘えることに貪欲だ」
「甘える、ですか?」
「お前と仕合いたがるのも、キスだのしたがるのもその表れだ。あいつなりにどこまでしてもいいのか探っているんだろうよ」

「だから、譲れない部分はきっちり線引きしてやれ。お互いのためだ」と言って、正人は空になったグラス片手にカウンターのほうへ行った。
 正人の背中を見送った敦美は「線引き」と繰り返し、少し俯く。
 自分はどこまで葵を許容できるのだろうか。
 甘えるということをある意味学習していない葵の甘え方は常識外れなところがある。男にキスをするところとか、場所を選ばないところとか。

(いやじゃないんだけどな)

 けれど、もしもその相手が自分でなかったら? と不意に過ぎった考えに、敦美は葵のほうへ顔を向ける。
 なにやら正人にじゃれている葵は、いつもどおりのにやーっとした顔をしていて実に楽しそうだ。
 あんなに楽しそうなのに、寂しいのだと正人は言っていた。寂しがり屋は甘えることに貪欲だ、と。

(期待させて突き放すことのほうが酷いよな……)

 線引き。
 どこまで葵を受け入れられるかの重要事項がどうなっているのか敦美自身まだ分からないが、ただ漠然と葵をがっかりさせたくはないな、と思う。

「敦美ちゃん、敦美ちゃん、ジョッキ空だよーう」

 不意にくるり、と振り返った葵が目ざとく敦美の持っていた空のビールジョッキを指差しながらてけてけ歩み寄ってくる。

「次なに飲む? 俺もらってきてあげるー」
「えっと、じゃあ黒ビールと半々のやつで」
「はいなー」

 葵はなぜかうれしそうに敦美のジョッキを受け取ると、足取り軽くカウンターのほうへ向かい、拓馬に注文をしている。
 すぐに渡されたジョッキを受け取って戻ってきた葵は唇をとんとん、と指で示し「パシリ代」と言って笑った。
 敦美はその笑顔を曇らせたくないな、と思いながら、苦笑いしつつ葵にキスをする。
 周囲の「またかよ」というため息が居心地悪かったけれど、キス自体は相変わらずいやではなかった。
 それが何故かの答えはまだ出てこない。

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あきゅろす。
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