小説
葛藤と依頼



 ママは悩んでいた。
 そろそろ潮時だという思いと、この「街」で築いた繋がりとの間で揺れていた。
「昔」のようにただ遊んでいただけならばなんの未練もなく「街」を去ることができたが、些細な気まぐれがここまで「情」というものを生むとは思わなかった。

「……目をつけられた相手が悪いのよね」

 コレクター。目的のためならば手段を選ばない犯罪組織。彼らはいま不老を追い、吸血鬼にたどり着いてしまった。
「街」の吸血鬼それ即ちアルクエルド。
 何十年と血を吸わず、新鮮野菜の生気のみで生きているママはとてもではないが昔のようには動けない。健在なのは暗示と広範囲の感知能力、あとは一般人よりも秀でた身体能力くらいだ。クロ、アンブルー、ルシャはさらに能力が劣る。血を吸わない吸血鬼などそんなものだ。
 それでも「街」で暮らそうと決めたときからママは血を吸わない。一時期吸血鬼騒動を流行らせ面倒な目にあったからだ。血を吸ったからといってなにも全員がぜんいん吸血鬼化するわけではない。ママの傀儡になるわけでもない。ママの意思次第でそれらは選べる。それでも腹が満たされるまで血を吸えば貧血で倒れる人々も現れ、共通点に首筋の傷痕が残るわけで……。

「私だけを狙うならいいのに」

 けれど、もしも吸血鬼がアルクエルドだと辿り着いてしまったなら――

「……刑事さん」

 恋しいひとの顔が浮かぶ。

「くまちゃん、狐ちゃん、キャットちゃん」

 愛しいこどもたちの顔が浮かぶ。

「……長く、居過ぎたわ」

 簡単に離れることなどできないくらい、ママは「街」で生き過ぎていた。



 買い物道中、キャットが楽しそうに新しい友達のことを話すのを、ダーティベアは生暖かい目をしながら聞いていた。

(すずめといい、うさぎといい、なんで女ばっかり寄って来るんだ)

 キャットの年頃ならばおかしいことではないが、同性の友人が皆無で異性の友達に囲まれるというのはどうなのだろうか。同性が大抵スリや物乞いなどで日々を凌いでいるこどもが多いというのもあるだろう。そして女のこどもは「街」では極端に少ない。売られる確立が高いからだ。そうなれば残るのは男のこどもと同じように過酷に生きていくしかない。キャットのようなこどもこそ「街」では異質なのだ。キャットもそれを察しているから遊ぶとき最近は比較的安全な街の公園を使っている。ひとりならばまだしも、すずめやうさぎといった友達がいるのだ、安全は確保しておいたほうがいい。

「それでね、今度はすずめちゃんのところに遊びに行くんです」
「ああ、教会だったか?」
「はい」
「迷子にならないようにな」
「大丈夫です、地図持って行きます」

 キャットは用意周到だ。それを上々とダーティベアはうなずき、キャットの頭を撫でる。引き取った当初はもっとずっと小さかったのに今ではダーティベアの腹の辺りまで背が伸びた。

(いつか、キャットに話さなくちゃな)

 キャットがダーティベアの許にいる理由、その原因。全ては片付いたことだけれど、まだ不明瞭な部分もあるそれを、キャットに話さなくてはいけない。
 キャットはいつになったら受け止められるだろう。ほんとうはもう話してもいいのかもしれない。自分がまだこども扱いをしたいだけなのかもしれない。
 ダーティベアはため息を吐く。

(ごめんなキャット、カトレア……俺は誰よりも強い熊のおじちゃんなんかじゃないんだ)

 無言で自分の頭をなで続けるダーティベアをキャットが薄氷色の瞳でじっと見上げる。その視線から逃れるように、ダーティベアは中折れ帽を深く被りなおした。
 隠れた視界の代わりにダーティベアの耳にある声が蘇る。

「ダーティベア、俺の全ての財産と引き換えての依頼だ」

 小さなちいさなこどもを抱いた男の声も姿も、今尚鮮明に覚えている。
 あれを、あの異質な依頼を、請けるべきではなかったのかは、いまでもダーティベアには分からない。

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