小説
7チャンス
「はいじゃー、きょーのお相手は俺こと白くんが務めさせていただきまっす」
「よろしくおねがーしゃす」
「はいはい肩の力抜いていこうぜ」
そういわれてもこの前隼に散々「外道」と吹き込まれている敦美である。警戒しないわけがなく、きっと白を睨みながら身構える。
「どこからでもどうぞ?」
白は構えることすらせずに手をくいっと曲げた。
一呼吸つき、敦美は白に向かって殴りかかる。だがそれはあっさりとかわされた。二撃目、三撃目も同様。苛立ちに舌打ちをしながら蹴りを放てばその足を掴まれ、大きく回転。敦美は勢いに振り回されるまま転んだ。
「はい立ってー」
少しも息を乱さない白に促され、敦美は唸りながら起き上がりまた白に立ち向かう。
「まずは学習しなさいな。闇雲に殴りかかっても俺には投げ飛ばしてくれっていってるようなもんだぜ? それも最小限の力で、だ。お前の力が強ければ強い分それをそっくりお返ししてやる。それが俺の基本スタイルだ。カウンター攻撃、正当防衛。お前の理想そのものだろ? おいおいどうした息上がってんぞ。ほら、じゃあ今度は俺から行くぜ?」
敦美は反射的に距離をとった。だが、その距離は瞬間的につめられ、目の前には鼈甲飴色をした白の眼光。振り払おうとする前に掴まれた両肩。それに体重が乗せられ、後ろに転倒するやいなや白の膝が敦美の腹にめり込んだ。
「ぐっぁ」
「肩のほうに大分体重かけたから内臓はいってないだろ。距離をつめたのは縮地法の要領な。これ覚えとくと便利だから後で教えてやるよ。覚えられるかは知らないけど」
上から退いて着物をばさばさと捌いた白に返事をすることもできず、敦美は自身の腹を抱きながら蹲る。胎児のような体勢に白が苦笑いすれば、見ていた隼が「いったん休憩しましょうか」と声をかけた。
「だってさ。立てるか?」
「……立ち、ます」
震える小鹿のようにぷるぷると立ち上がった敦美は、涙目で白を見遣る。身長は敦美より二十センチほど高いくせに、よくもまあ膝を腹に落とすなどという芸当をやってくれたものだ。しかし、あれで手加減をしたというのだから恐ろしい。
「織部さんと真辺さんってガチでやりあったことあるんすか?」
ふと疑問に思い、庭に面した廊下に座しながら問いかければ白と隼は顔を見合わせてからこっくり頷いた。
「二度目の出会いでな」
「まあ、このひとは手加減しまくってたけどな」
「へえ……なんか、見てみたいっす」
ぽつりと言えば、白が「現役みたいな動きはできねえなあ」と笑った。そういえばこのふたりの年齢はいくつなのだろう。隼を見ると三十路前後だと思うが、白の総白髪を見ると分からなくなってしまう。
「おふたりって幾つなんですか?」
「やだー、男に年齢訊くとかー」
「えっ、す、すみませんっ」
「いや、別にいいですけど」
女子ノリで言ったくせに急に真顔になるのだからわけがわからない。そういえば隼が「わけがわからない」が基本仕様だと言っていたな、と思い出す。まったくもってその通りだ。
「腹、そろそろどうだ?」
「鈍痛してます」
「ふうん。じゃあもうちょい休んでろ。
隼、やるぞ」
「はい」
白と隼は庭へと降り立つ。
「よく見てろよー」
「これで最盛期じゃないってのも忘れるな」
「は、はい!」
どうやらふたりが仕合うのを見せてくれるらいしと察して、敦美は身を乗り出した。
ふたりが適当な距離をとる。白は構えもしなかったが、隼は軽くとんとん、と足首を鳴らしている。
始まりは唐突だった。
いつの間にか隼に肉薄した白を隼がサマーソルトで迎え撃つ。白はそれを後転跳びで避け、ふたりの間にまた間合いができる。それを埋めるように隼が足刀を繰り出すが、白がバックステップで避けた瞬間にすばやく足を引っ込めた。
ふたりの応酬はまるで踊っているかのようだった。
顔つきだってどこか楽しそうだ。だが、時折聞こえる肉を穿つ音だけは生々しい。
どれほどやり合っていたか、終わりは始まりと同様に唐突だった。隼が上段回し蹴りをした瞬間に白がしゃがみ、しゃがんだと思った瞬間消えた。
「はっ?」
気付けば隼は後方に吹っ飛ばされていて、先ほどまでの位置には突き出した腕を戻す白が立っていた。
「あー、それ反則ですよ」
「俺のお得意だろうが」
「上下の動きに合わせた気配殺しなんて凶悪過ぎですって……」
「いいじゃねえか、パフォーマンスとしては最高だろ。
なあ、中野」
「い、いま何が起きたんすか……?」
敦美が呆然と問えば、隼が顎を擦りながら「俺の蹴りをしゃがんで避ける瞬間に気配殺して、起き上がるのと同時に掌底顎に叩き込んで軽く浮いたところで腹にも掌底食らわして吹っ飛ばされた」と丁寧に説明してくれた。
「気配殺しって……」
「俺は野生動物の背後をとれる」
無表情なのにどや顔に見えるのは気のせいだろうか。
敦美が言われた言葉と先ほど見た動きを脳内で反芻していると、その横を隼が靴を脱いで歩いていった。
「中野、お前紫蘇平気か?」
「好きっす」
「だってよ、隼ちゃん」
「了解です」
なんの話だろう、と敦美が首を傾げれば、白がくすくす笑いながら「今日のおやつは紫蘇の塩漬け巻いたおにぎりなんだよ」と教えてくれた。
食べたことのないものだけれど、きっととても美味しいのだろうと思い、敦美は大分痛みの納まった腹を撫で擦る。
きゅう、と鳴いた腹は素直だった。
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