小説
恋人、あるいは家族の肖像



 昼下がり、もはやいつものように顔を出したくちなわにママは笑顔で迎えた。

「いらっしゃい、刑事さん。先日はどうも」
「いえ、ご無事でなによりでした。その後なにかありませんか?」
「大丈夫よ、これでも図太い神経してるから」
「そうですか。なにかあればいつでも仰ってくださいね」
「やだ、刑事さんたら精神科の先生みたいなこと言って。お仕事の範疇超えてるわよ」

 くすくす笑うママに嘘ではなく暗い陰がないことを見て取ると、くちなわは静かに安堵の息を吐く。
 事情聴取のときもママはけろりとしていたが、それは強がりではないようだ。
 ひとが目の前で死んだことに欠片の動揺もないところは引っかかるものがあるが、この「街」で暮らしている以上、厭でも「慣れ」てしまうのだろう。まして、ママは何人かこどもを預かってきたという。そのなかの幾人が真っ当な道を往けたというのか。ママの庇護から離れてそのまま……という末路があったかもしれない。

「刑事さん、注文は?」

 くちなわが物思いに沈んでいると、ママが控えめにメニューを差し出してきた。

「ああ、すみません。どうしましょうか」
「今日のおすすめはボンゴレロッソよ」
「やっぱりトマト推しですか」
「いいアサリが入ったのよう」

 くちなわが笑えばママもけらけら笑う。
「ではそれで」と注文を決めたところで、連絡メダルが点滅した。仕事用ではない、私用のものだ。

「失礼」

 一言添えてくちなわは席を立ち、店の外に出る。

「はい、アーサーです」
「私だ」
「その手の詐欺が流行っているので名乗っていただけますか」
「ふん、いつまでも刑事ごっこに浸りおって。馬鹿孫の祖父のネロだ」
「おや、おじい様でしたか」

 くちなわは分かってはいたことだが内心で舌打ちをする。
 祖父からの連絡などろくなものではない。毎度まいど面倒な話をするために呼びつけてくるのだ。

「それで、ご用件は」

 面倒だと思いつつも話を進めなければならず、できるだけ淡々と問いかければ案の定「話があるから実家に顔を出すように」という答えが返ってきた。

「話、ですか。はい、分かりました。来週辺りには伺えると思います」
「もっと早くはならんのか」
「仕事がありますので」
「その仕事とて……」
「一定の年齢になるまでは口出ししない、そういう約束だったはずですが?」
「ふん、かわいくない奴め」

 連絡メダルから通信が途絶えた。
 くちなわは盛大なため息を吐いてメダルをしまうと、店に戻る。

「あら、げっそりした顔しちゃってるわね」
「ええ、まあ、少し」
「ふふふ、もうすぐ出来上がるわよー」
「ありがたいですね。あなたの作るものを食べると活力が湧いてきますから」
「それはよかった」
「ほんとう、朝晩もあなたの手料理が食べたいくらいですよ」
「……よっぽど参ってるのね、刑事さん」

 くちなわはきょとん、として「これはいつも思っていることですが?」と首を傾げる。

「極東では『毎朝食事を作ってくれ』ってプロポーズの常套句があるらしいから、無闇に言わないほうがいいわよ」

 ママが少し恨みがましそうに言えば、くちなわは動じた様子もなく「面白いですね」と返す。

「ですが、私は今まで食にこだわりを持ったことがなく、こんなことを言うのはあなたに対してだけですよ。ですからご心配なく」
「ご心配しかないわよ! 毎回まいかい心臓に悪い刑事さんねっ」

 叫ぶように言いながら豪快に皿へボンゴレロッソを盛り、みじん切りにしたパセリを飾ったママはいつもより乱暴な仕草で皿をくちなわの前に置く。
 そんな様子をくちなわは「かわいい」と思った。男に抱くにはすこしばかりずれた感想かもしれないが、それでも赤くなった顔や落ち着かない表情がとてもかわいく見えるのだ。それこそ、祖父絡みの厄介ごとに対する疲労がどこかへ消えてしまうくらい。
その感情はどこからくるのだろうか。くちなわにはまだ分からない。分からないが、悪いものではないと思った。

「いただきますね」
「……どうぞ、召し上がれ」

 ため息混じりに促され、くちなわはボンゴレロッソをくちにする。パセリと薫り高いトマトの風味が絶妙な、とても美味しいパスタだった。



 ダーティベアがVAMPIREに顔を出せば、先ほどまで客がいたのかママが皿を洗っている最中だった。その顔は少し疲労が覗えて、ダーティベアは少しばかり驚く。日夜きびきび働き、誘拐に遭ってもけろりとしているママが疲労を見せるなど余程のことだ。

「ママ、なにかあったのか」
「あら、くまちゃん……キャットちゃんならもうすぐ帰ってくるわよ」
「いや、フォックスを迎えに行かせたし、それはいいんだが……」
「いいのよ、気にしないでちょうだい。なんやかんやツケが回ってきただけなんだわ」
「ツケ?」
「ひとを好いように翻弄してきたツケよ」

 ママらしからぬ物言いにダーティベアは白熊のフェイスパックタオルの裏で眉を跳ね上げる。心持ちフェイスパックタオルも怪訝な顔をしているように見えた。

「ママがそんな悪女みたいな真似してたところなんざ見たことねえが」
「昔はやんちゃしてたのよ」
「昔って……」
「年齢に関するから詳しくは言わないわよ」
「了解だ」

 ぎっと鋭い眼差しを向けられ、ダーティベアは両手を挙げる。

「ところで誰が着てたんだ?」
「刑事さん」

 ダーティベアはすっ転びそうになった。

「ぎりっぎりじゃねえか!」
「ぎりっぎりだったわね。よかったじゃないすれ違うこともなかったんでしょう」

 ママは投げやりに言って洗い終わった皿を拭く。これは本気で疲れているな、と思い、ダーティベアはため息を吐いた。

「今日は帰るわ」
「あら、八つ当たり相手になってくれないの」
「それは蝙蝠にでもやってやれ。もうすぐ来るだろ」
「あれは何言ってもけろっとしててつまらないのよ」
「とりあえず俺で八つ当たりは勘弁してくれ」
「仕方ないわねえ」

 ようやくころころいつもの調子で笑い出したママに手を振って、ダーティベアは店を出た。

(それにしても、ほんとうに幾つなんだろうな)

 湧いた疑問は前方から「熊のおじちゃん!」という呼び声とともに駆けてきたキャットによって消えた。

「よう、キャット。留守番ご苦労。フォックス、今日昼飯お前作ってくれ。ママが不調だ。八つ当たりされる」
「なんで俺がって……ママがかよ。了解」

 不満そうな顔も一瞬、フォックスは素直に頷いた。

「いいアサリがあったらボンゴレロッソにでもするかー」
「パスタ好きです!」
「いっぱい食ってでかくなれよ」

 そうして三人は並んで市場のあるほうへと向かった。

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あきゅろす。
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