小説
かどわかし騒動



 荷物が重くなるから、と手伝いを申し出たキャットとともにママは街を歩いていた。
 賑やかな街はその分薄暗い影を濃くもしていて、路一本外れればあっという間に物騒な世界だ。
 逸れないよう手をつないでいたふたりだが、それは唐突にやってきた。

「キャットちゃん、こっちにきてちょうだい」
「へ? はい」

 唐突に並んでいる位置を変えたママに首を傾げながら従ったキャットの前で、ママは路地裏へと突然消えた。いや、消えたのではない。薄暗くて見えないが何者かに引っ張り込まれたのだ。

「ママ!」

 キャットは叫び追いかけようとするが、ママの鋭い「来ちゃダメッ」という声に足がぴたりと止まる。
 ママはそれでいいというように微笑み、その姿を暗いくらい影のなかに沈めていった。



「ボスが浚われた?」

 店へと駆け戻り、客がいないことを確認してから先ほどの出来事を捲くし立てたキャットに、クロは僅かに目を見開いた。

「どうしましょう、ママが、ママが……っ」
「キャット、とりあえず落ち着いて。ボスなら心配ない」
「でもっ」

 クロはかりかりとこめかみを掻くと、店の隅のテーブルへと視線をやる。

「おい、蝙蝠」
「なんでっか」
「ボスは誰にやられた?」
「んー、恐らく新参の仕業やねえ」

 もっと詳しく調べるんやったら時間と金もらわんと、と蝙蝠はころころ笑う。クロはそれに不快な顔をすることもなく「そうか」と頷いた。

「クロさん、ママは……」
「キャット、こういう場合の一般市民の正しい行動がわかりますか?」
「へ?」

 突然の問いかけにキャットは虚をつかれた顔をするが、すぐにうんうん考え出し、ちらり、とクロを覗いながら口を開く。

「警察に、通報、ですか?」
「その通りですよ」
「でも……」
「大丈夫、キャット。ボスに後ろ暗いところはないですから」

 それでは却ってママの危機になりはしないかと案じたキャットに、クロは初めて表情を笑みに崩した。
 ママには警察に嗅ぎ回られて困るところなどない断言するクロの口調の強さに押され、キャットは頷いた。

「幸いにもママはくちなわと顔見知りだ。それに、キャット、お前とも。その場に居合わせた人間として警察署に駆け込む、できますね?」
「はい、です!」

 キャットは自分が出せる限界の速度で店を飛び出した。



「なんでやろな」

 キャットのいなくなった店内で蝙蝠が呟く。

「なにがだ」

 何事もなかったようにグラスを磨くクロに、蝙蝠は繰り返し「なんでやろな」と言う。

「ママやったら助けなんていらんやろ。ルシャが攫われたときにいの一番に助けにいって無傷で帰ってきたママやで? 今回はキャットがいたから大人しく捕まったんやろうけど、助けなんていらんのとちゃう?」
「キャットが不安がる。それはボスの望むところではない。それに……」
「ピンチに白馬の王子様が助けに来てくれるんは満更でもない」
「……その通りだ」

 くちなわは恐らく迅速に行動してくれるだろう。ただでさえ犯罪者に厳しいくちなわだ。顔見知りを誘拐とくれば間違いなくその手腕は徹底される。ついでに他の犯罪者も逮捕されるような範囲で動くかもしれない。

「いややわー、ママも趣味が悪い」
「そうか? 一般的に見れば優良物件だろう」
「……せやな。ママもようやく好い男に巡り合えたて喜ぶべきなんやろか。
 でもいややわー、ママはみんなのママでいてほしかったで、ほんま」

 嘯く蝙蝠にそれ以上相手をせず、クロは磨き終えたグラスをしまった。
 店長不在の店内はしかし、不在理由からは考えられないほどにいつも通りであった。



 キャットは走っていた。店から警察署は遠い。あちら側の街の中央にあるのだから当然だ。
 息を切らせて走っているキャットはすいすいと人混みを縫っているが、それも次第に乱雑な動きになり始め、とうとうひととぶつかった。

「おっと」
「ご、ごめなさ、です」

 ひゅうひゅう息を吐きながら顔を上げたキャットは、その息すらも止めた。
 そこにいたのは一度だけ見たくちなわの姿だった。しかし、服装は神父が着るようなカソックで刑事らしからぬ装いだ。

「くちなわ、さん?」
「兄をご存知なのですか? 申し訳ありませんが、私はアーサー、くちなわの双子の弟でエドワードと申します」

 申し訳なさそうに言う彼はくちなわではなかった。キャットは瞬間的に涙がこみ上げそうになる。エドワードがくちなわであればすぐにでもママのことをを話せたのに、と。
 そんなキャットの表情になにを見出したのか、エドワードは膝を折り、キャットと視線を合わせる。

「なにか、あったのですか?」
「……ふぇ……ま、ママが、しらな、ひとに……つれてかれちゃったですっ」

 目を見開くエドワードの顔が歪んで見える。キャットの薄氷の瞳からは耐え切れなかったぼろぼろと涙が零れていた。

「お母様が……わかりました。すぐに兄に連絡します」

 とんでもない勘違いが発生しているが、頭がぐちゃぐちゃになってしまったキャットに訂正する余裕はなく、エドワードにされるがまま抱き上げられてその場から素早く駆け出されていく。

「教会にでしたら連絡用メダルがあります。警察署に行くよりも早いですよ」

 だからそんなに泣かないで。
 ちゅ、とつむじに慈愛のキスを贈られるが、キャットはママが心配で心配でエドワードの腕のなかで中々泣き止むことができなかった。

[*前へ][小説一覧][次へ#]

あきゅろす。
無料HPエムペ!