小説
バケツの行方



 キャットは公園でフォックスと遊んでいた。ダーティベアの姿はない。フォックスとふたり伴うと何かしら目立つので、キャットと公園に赴く際はいつもどちらか片方がVAMPIREで待っているのが常だった。

「おーい、キャット。そろそろ昼飯行くぞー」

 キャットはフォックスに声をかけらて空を仰ぐ。もうお日様は頭上にやってきていた。

「はーい」

 キャットは素直に返事をして砂塗れの手をはたくと水道に向かって駆け出す。蛇口を捻れば勢いよく水が出て、キャットは慌てて蛇口を軽く閉めて、それからようやく手を洗い始める。爪の間まできれいに洗って蛇口を捻り水を止めるとポケットから猫のワンポイントが入ったハンカチを取り出し、それで丁寧に手を拭う。

「狐のおじちゃん、できました!」
「おーう、じゃあ行くか」
「はいです!」

 キャットは差し出されたフォックスの手に自分の手を重ね、ぴょこぴょこ跳ねるように歩き出す。
 そうして暫く慣れた路を歩いていれば、VAMPIREの看板が見えてきた。

「先に行ってますね。狐のおじちゃんなに食べますか?」
「そうだな、俺はチーズバーガーとジンジャエールかな」
「はい、分かりました!」

 一足早くママに注文を告げるため、キャットはフォックスの手を離して駆け出す。
 キャットにはまだ少し重たい扉をえいや、と開けて元気よく挨拶をすれば、見慣れたカウンター席にはダーティベアの姿ではなく、見知らぬ銀髪の男が座っていた。

「キャットちゃん、こんにちは。今日も元気ね」
「はい、です……えっと」
「あら、キャットちゃんバケツはどうしたの?」

 ママが首を傾げながら問いかけるのに、キャットはきょとん、とする。キャットの遊び道具にバケツはない。バケツは玩具入れに使っているからだ。それをママも知っているはずなのに、とまで考えてキャットははっとする。

「公園に忘れちゃったみたいです。とってきますね」

 どうにか銀髪の男に視線をやらないようにしながら、キャットは早口で捲くし立てるとドアを最小限に開いて再び外へ出る。
 飛び出してきたキャットに驚くフォックスの姿は、閉まったドアにより見えないはずだ。



「あの子はいったい?」
「ふふ、この辺りだと夜の商売をしているひとも多いでしょう。それで時々預かってる子のひとりよ」

 くちなわに問いかけられてママは微笑む。

「預かって、ですか……?」
「こんな店だから教育にって思うかもしれないけど、育児放棄されるよりよっぽど夢見がいいわ。だから見逃してちょうだい、刑事さん」

 ぱちん、とウインクするママにくちなわは苦笑いして「そういう言い方をされると見逃さざるを得ませんね」と言った。

「ふふふ、ありがとう、刑事さん。あ、サラダもできあがったわ。どうぞ、召し上がって」
「ええ、ではいただきます」

 くちなわはカウンターテーブルに置かれたサラダを手前に引き寄せ、フォークを構えた。

「美味しいですね」

 しゃきしゃきしたじゃがいもの感触を楽しみながら、くちなわは微笑み賛辞した。ベーグルももっちりとしていて、ブルーベリーとクリームチーズの相性ばっちりだ。VAMPIREで注文したものでくちなわがはずれを引いたことはない。これはきっと、どれを注文してもそうだろう。

「ふふ、たくさん召し上がって売り上げに貢献してちょうだい」
「それでは食べる暇がないとは言っていられませんね」

 くちなわとママはにこにこ笑い合った。



「どうした、キャット」

 押し留めるように抱きついてきたキャットを受け止めながら、フォックスは驚いた顔をする。

「中、入っちゃだめです」
「……なんかいたのか?」
「銀髪の男の人がカウンターにいました。それで、ママがバケツを忘れたの? って」
「銀髪……くちなわか!」

 フォックスは舌打ちするのと同時、ママの機転に感謝する。そしてそれを察したキャットの頭を撫で繰り回し、自分の足にしがみつく体を抱き上げる。

「とりあえず隠れ家行くぞ。くちなわが長居してた場合に備えてキャットは店に行っておけ」
「はい、バケツも忘れません」
「よし」

 フォックスは頷き、その場からいつかのダーティベアのように走り出した。



(キャット、よくやった)

 ママの合図に気付いたキャットを脳裏で褒め称えながら、ダーティベアは残り半分ほどになった珈琲を啜る。とっくに冷めているが、ここで新たに注文するため声を出せば間違いなくくちなわは気付くだろう。ダーティベアは一般客を装わなければならない。たとえそれが無理でも少しばかり後ろ暗い客のひとりに徹する必要がある。ママと話すくちなわの様子なら店内で小者をどうこうとはしないだろう。
 そう、確信せざるを得ないほど、くちなわとママの仲は良好に見えた。ママがたじろぐのも納得のやりとりに、ダーティベアは先ほどから何度もテーブルをひっくり返したくなっている。

(くちなわ、お前そのひとはな、俺たちが小さい頃からこの店経営してる年齢不詳の明らかに……いや、これ以上考えると怖いな)

 一瞬、ママに睨まれたような気もするが気のせいだ。そう自分に言い聞かせ、ダーティベアは冷め切った珈琲をまた啜る。
 恐らくくちなわは昼休みに顔を出しただけであって、食べる速度はゆっくりしていない。
 ダーティベアの読みは当たり、暫くするとダーティベアたちにとっては幸い、くちなわにとっては惜しくも、彼が店を出るまでダーティベアがくちなわに見つかることはなかった。

「緊張した……」
「お疲れ様。でも大丈夫だったでしょう?」
「ああ? ニアミスしてんじゃねえか」

 ママはくすくす笑う。

「それでも『大丈夫』には違いないじゃない――」

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あきゅろす。
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