小説
縁日で出会ったきみ
・サラリーマンと人魚の話


 近所で祭をやっていたことに気付いたのは、珍しく定時で帰れた夜のことだった。
 聞こえてくる祭囃子に疲れた体も少しうきうきし始め、飯を作るのも面倒だから屋台でなにか買っていこうとお囃子の聞こえてくるほうへと歩き出す。
 途中で浴衣姿のかわいい女の子が兵児帯をひらひらさせながら小走りに同じ方向へ向かっているのを見るのは眼福だったが、途中で彼氏らしき男に抱きついているのを見て全力で嫉妬した。彼女なんてここ数年できていない。サラリーマンなんて会社で出会いがなければ他ではないものだ。

「あ、いい匂いがしてきた」

 お好み焼きか、それとも焼きそばか、ソースの香ばしい匂いに俺は嫉妬も忘れて気分を浮上させる。
 祭会場につくとあっという間にひとがごった返しているが、満員電車よりうんとマシだ。
 俺は人混みをかきわけながら、さてなにを食べようかと考える。
 晩飯の予定だったが見てしまうとあれこれ食べてみたくなる。
 チョコバナナにフランクフルト、牛串なんてのもあって大変美味そうだ。

「でもやっぱ焼きそばが定番かなー」

 独り言をもらした俺は、ふと目に付いたものに足を止める。
 金魚すくいだ。
 これ以上内くらい祭定番の金魚すくいである。

「すいません、一回」

 気付けば俺は屋台のおっちゃんに三百円を支払い、ポイを受け取っていた。
 お椀片手に水槽の一角を陣取り、俺は水面を睨みつける。
 鮮やかな赤い金魚たちに混ざり、黒い出目金が優雅に泳いでいる。
 出目金はかわいいが、やはり金魚といえば赤い奴だろう。俺という男はとことん定番が好きだった。
 そっとポイを斜めにいれて、俺は一匹の金魚に狙いをすませる。
 丁度いいところまで追い詰め、俺はいまだ! という瞬間にポイをさっとお椀に向けて水面から引き抜いた。
 ぽちゃり。
 金魚はお椀に入る前に破れたポイから逃げ出した。そしてひらひらと尾びれを揺らして泳ぎ回る。

「……おじさん、もう一回」

 負の連鎖の始まりだった。

 一匹の金魚相手に激闘すること七回、計二千百円を消費して俺はあの金魚をすくうことができた。

「しぶとかった奴め」

 透明なビニールには一匹の金魚が泳いでいる。俺は上機嫌になってビニールをそっと突き、帰路へと向かう。元々の目的である晩飯のことはすっかり忘れていた。



 二日連続定時帰りは敵わず、それでも終電には十分な余裕をもって帰れた翌日、俺は予期せぬものを見ることになる。
 自宅のアパートの風呂場に見知らぬ男が入っていたのである。無論、全裸で。

「だ、誰だ、お前っ」
「誰って、昨日からあんたの同居人になった金魚ですよ」

 俺は人生でもっとも間抜けであろう顔をさらした。ちなみにそんな俺とは対照的に不審者の顔はやたらめったら整っていた。赤という派手な髪色もなぜかしっくりとくる。俺は再び全力で嫉妬する。イケメンなんて滅べ。

「いやー、バケツなんて狭っ苦しいところに俺を住ませようなんて罰当たりにもほどがありますよ」
「不審者がなにいってやがるっていうか、なんでそんなこと知ってるんだよっ」
「だーかーらー、俺がその金魚だからって言ってるでしょう」
「金魚が人間になるもんか」
「それは、俺がある名のある川の主の血を引くサラブレッド金魚だからですよ。正確には人魚ですけど」
「人魚云々はさておき養殖場育ちの間違いだろう」
「いや、ほんとうに血筋はそうなんですって」

 なんなら金魚に戻りましょうか?
 不審者はそういうと瞬きの間に掻き消えた。ぽちゃん、という音に俺が浴槽を覗き込めば冷えきった残り湯の中に金魚が悠々と泳いでいた。

「な、な……」
「信じてくれました?」

 腰を抜かした俺の前に再び不審者が現れる。浴槽のふちに頬杖つく姿はとても麗しい。いや、男に麗しいという言葉はおかしいかもしれないが、ほんとうにそれ以外形容のしようがないのだ。しかもいまは水に浸かった所為かつうっと白い喉元なんかに水が流れたりして……正直色っぽい。

「いま俺のこと色っぽいと思ったでしょう」
「はあっ? そそそそ、そんなん思ってねーし! 勘違いすんなしっ」
「いいんですよ、素直になって。俺ときたら所謂人魚。つまりは食べて良し、煎じて良し、鑑賞に至っては国宝級ですから」

 あっさりと言う自称、いや、目の前で金魚になったり人間になったりしてる辺り本物なのか? いや、とにかく人魚は自身がその一言でどれほど身の危険になるか分かっているのだろうか。

「俺の心配してくれてます?」
「人魚って心まで読めんの……」
「あなた、顔に出やすいんですよ。俺をポイで追い掛け回したときも真剣そのもので絶対に俺をものにしてやるって顔してて、うっかり飼われてもいいかなとか思っちゃいました」
「おま、わざとすくわれたっていうのかよ!」
「あ、注目するのそこなんですか」
「っていうか、人魚って不老不死とか……」
「なれますよ。ただし、身を削ごうだとかそんな気配感じたら大海嘯なり引き起こしますけど」

 ふふっと笑う人魚の顔は美しいが、俺は背筋をぞっとさせた。

「そ、そんな人魚がなんで俺のところに……」
「さっきも言ったでしょう? あんまり真剣に追いかけられたからその気になっちゃったんですよ」

 ずい、と顔を寄せられて、俺は思い切り仰け反る。が、人魚はそれ以上、正しくは浴槽の外へは出ようとしない。

「お前、そっから出られないの?」
「ある程度水に浸かってないとしんどいんですよ。ですからさっさと新しい住処探してください」

 人型で泳ぎまわれるプール付き物件希望です、とのたまう人魚に俺は思わず金魚用に買ってきた乾燥赤虫のボトルを投げつけた。

「一般サラリーマンにそんな物件買えるか!」
「俺を放流するとは考えないんですね、感激です。なら漁師にでもなってくださいよ。他人の知らない穴場でしたらいくらでも教えますから」
「おま、それ裏切りとかになんねーの?」
「あなた何かと俺の心配してくれますね。大丈夫ですよ、所詮俺たちの生きる世界は弱肉強食ですから。むしろ養殖場のほうが屈辱なくらいですよ」

 けっと吐き捨てる人魚はやはり養殖場出身らしい。
 俺はもうなにがなんだか分からず脱力してしまい、ぐったりと項垂れた。

「ねえ、飼い主さん」
「……なに」
「あなたのお名前なんですか」
「…………三谷景一」
「ふうん」

 ふうんってなんだ。俺の名前になにか文句でもあるのか。
 項垂れていた顔を持ち上げ軽く睨む俺に人魚はにっこり笑い、また口を開いた。

「ねえ、景一さん」
「なんだよ」
「俺のお名前なんですか?」

 俺は一瞬呆けた。

「お前、名前ないの?」
「人魚は人間と違ってそんな識別記号一々つけないんですよ。
 ねえ、景一さん、俺のお名前は?」

 甘ったるくねだる声に、俺は考えて……――



「おい、金! 帰ったぞ!」

 運よく定時帰りを果たしてアパートへ帰れば、例によって例の如く風呂場から「おかえりなさい」と声がする。俺は荷物を置いて風呂場へ向かえば、そこには呆れるほど美形の男、人魚が一匹浴槽に使っていた。

「風呂掃除するからバケツに入ってろ」
「はいはい。狭いんですよねー、そのバケツ」

 俺はバケツを用意しながら「仕方ないだろう」と言う。他に金を移す入れ物などないのだから。

「その金って名前も安直ですよね」

 じと目で見てくる金に俺も言い返す。

「仕方ないだろ、俺は定番が好きなんだから」
「人魚と同居なんて非定番な暮らしをしていていまさらですねー」

 俺は「うるせえ」とだけ言って浴槽にバケツをぶち込んだ。金はあっという間に金魚に姿を変えるとバケツの中に入り込み、俺はバケツを引き上げてから浴槽の栓を抜く。

「なあ、金」

 金魚の状態では喋れないと知りながら、俺は金に話しかける。

「もう少ししたら転職準備整うからな」

 ちゃぷん、とバケツから水が跳ねる音がするのを背中に俺は排水溝に水が流れていくのをじっと見つめ続ける。

「漁師になって一発当てたら、プール付きの物件探しに行こうぜ」

 不動産屋に行くときは虫かごに水入れてつれまわすことになるけど勘弁な。
 俺は早口でそれだけ言い切って、水の抜け切った浴槽に洗剤をぶちまけて風呂掃除を始める。今更だが、金は洗剤で洗ったり、人が入った後の残り湯の浴槽で平気なんだろうか。思いつけば心配になり、俺は早く転職しなくては、と意思を固くする。
 そんな俺の背中でまたぴちゃん、と水の跳ねる音がした。

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あきゅろす。
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