小説
尽きぬ興味とをんな心



 くちなわはダーティベアが潜んでいると目星をつけた街へ頻繁に訪れている。というのも、いるはずなのに手がかり一つ掴めないこの街の異様さの原因を少しでもつきとめるためだ。
 それともう一つ、お気に入りの店を見つけたというのもある。
 仕事上、きちんとした食事を摂れないことも珍しくないくちなわにとってとてもありがたいことに、野菜から自家製の手作り料理を振舞ってくれる店だ。料理屋というわけではなく、本来はバーで昼にカフェとして開いている店なので扱っているのは基本的に軽食だが、それでもなにかと忙しいくちなわにとってはちょうどいい。

「あら刑事さん、いらっしゃい」

 今日も訪れたくちなわを出迎えたのは店の主で、上機嫌な笑顔で椅子に促される。そのさっと動かされた手も洗練されたように見えて、くちなわは黄身色をした目を細めた。

「今日もいい天気ね」
「ええ、そうですね。少し日差しがきついですが」
「あら、いやだわ。日焼けしちゃうじゃない。まあ、その分お野菜が美味しく育つんだけど……」
「夏はお嫌いですか?」
「嫌いっていうわけじゃないわ。陽光の攻撃がいやなのよ」
「確かにあなたの肌は日焼けすると痛々しいことになりそうですね」

 真白い店の主の肌を見遣り、くちなわはひとつ頷く。
 それからようやくメニューを開き、今日はペンネアラビアータを注文する。この店、VAMPIREはトマト料理が多い。なんでも店の主も店員も皆トマトが好きだという。

「新鮮野菜ならなんでも好きだけど、トマトはとりわけ好きよ」

 いつぞや聞いた台詞を思い出しながら、くちなわはメニューを元の位置に戻す。
 料理が出来上がるまでの間、くちなわは動き回る店の主をじっと見つめる。楽しそうに調理する姿は見ていて微笑ましい。

「そういえば刑事さん、最近仕事が捗ってるみたいね」

 不意にトマトを潰している店の主から振られた話にくちなわはきょとん、とする。確かに仕事は捗っているといえば捗っている。街の中では素通りしてしまう犯罪者も、街の外に出た瞬間ならば見つけることが可能だからだ。

「なぜ、それを?」
「見かけなくなった顔がいくつかあるもの」

 これでも街の古株なのよー、と明るい調子で店の主はいう。

「刑事さんより年上なのは確実ね」
「そう、見えませんね」
「あら、そう? 若く見られるならうれしいわ」
「ええ、若々しくて美しい方だと思いますよ」

 くちなわは敢て年齢を訊かない。女性に年齢を訊ねるのはマナー違反だからだ。

「……刑事さんって私のことほんとうに女性扱いしてくれるわよね」

 店の主が苦笑い混じりに言う。
 そう、くちなわは店の主を女性扱いしている。

「精神的に女性であるならそう対応するのが礼儀かと」
「ふ、ふふ! そんな礼儀唱えるのは刑事さんくらいよ」
「……お嫌でしたか?」

 店の主は沸かした熱湯にペンネをいれながら首を振る。

「男扱いされたって気にしないけど、というか当然だけど、やっぱりオンナとして見られるのはうれしいものよ」

 しみじみと言う店の主はどこか寂しげで、くちなわは眉間に皺を寄せる。
 店の主のような存在は、性別の壁で傷ついたことが何度もあるのだろう。
 たかが性別、されど性別。くちなわにとってはなんの問題にもならないことが、世間では差別的に区別される。
 くちなわは守りたいと思う。
 刑事となって人々の笑顔を守りたいと思ったときのように、あるいはそれ以上に店の主のことも守りたいと思う。

「あら、刑事さん。眉よせちゃってどうしたの」

 店の主は一瞬漂わせた哀愁などなかったように笑顔で振り向く。その影一つない顔がくちなわには遣る瀬無い。
 なぜこんな風に思うのか。
 くちなわは緩く首を振り「なんでもありません」と掠れ声で言う。

「そう? あ、もうすぐできるわ」
「ええ、いい匂いですね」
「多分美味しくできてるわ」
「あなたの腕は信用していますよ」
「あらうれしいわね。サービスしたくなっちゃうわ」
「どんなですか?」
「そうねえ……」

 ペンネとソースを合えながら店の主は視線を宙にやる。

「私と一日デートとかどうかしら」

 くすくすわらいながらペンネアラビアータを皿に盛る店の主は冗談のつもりなのだろう。事実「なんてね」と語尾に付け足している。
 だが、くちなわは「それは素敵ですね」と乗り気な様子を見せた。カウンターテーブルに皿が音をたてて置かれる。

「……聞き間違いかしら」
「あなたと出かけられるというのは、とても魅力的な話ですよ」
「冗談はやめてちょうだいよ。私を誑かしたって犯罪者の居所なんて吐けないわよ」
「こんなところで仕事を持ち込むほど無粋ではありませんよ。純粋にあなたに興味があるんです」

 そう、興味。
 もっとこの店の主のことを知りたい。パーソナルスペースに近づきたい。そう、くちなわは無意識に願う。
 店の主は難しい顔をするとぱっと後ろを向いてしまう。

「刑事さん、あんまり期待させないでちょうだい。舞い上がって空でも飛んじゃいそうよ」
「そうしたら私が引き戻しますよ」
「……もう! 早くそれ食べてお仕事に行ってちょうだい!」

 店の主は上ずった声でぴしゃりと言い、そのまま屈み込んでしまった。くちなわがひょい、と覗き込めば、後姿からでも耳が赤いのが覗えた。

(存外初心……いや、男慣れしていないんですね)

 くちなわは口元に微笑を刷きながら「かわいいですね」と小さく落とし、ペンネアラビアータをフォークで突いた。
 店の主がごく小さい呟きを拾ってますます赤くなっていることには気付かないまま――

[*前へ][小説一覧][次へ#]

あきゅろす。
無料HPエムペ!