小説
ツーカーとおぼこ娘



 元気にフォックスの手伝いをするキャットを見てダーティベアはやれやれと肩を竦める。先日までひいていた風邪はすっかり回復したようで、保護者としてはひと安心だ。

「おい熊野郎、病み上がりがこんだけ動き回ってるのにひとり悠々と新聞読んでるんじゃねえ。皿の一枚でも拭け」

 食後の珈琲を楽しんでいたダーティベアは嫌そうな顔でフォックスを見る。その顔にはすっかり復活した白熊のフェイスパックタオルがあるのだが、どうしてだか表情は分かりやすい。

「狐のおじちゃん、ぼくやりますよ?」
「いい子だなあ、キャット。でもダーティベアもたまには働かせないとな」
「でも熊のおじちゃんも狐のおじちゃんもお仕事大変でしょう? ぼくまだできること少ないから、できることは全部やりたいです」

 健気なキャットの台詞に無言でフォックスはダーティベアを睨みつけ、ダーティベアはやはり無言でカップを置くと立ち上がってフォックスに並んだ。

「おい」
「おらよ」

 ぽい、と布巾を手渡せばダーティベアは無言で洗い終わった皿を拭き始める。キャットはただ困惑気味にふたりの保護者を見上げていた。

「キャット、手伝いいつもありがとうな」
「ううん、ぼくができることするのは当たり前です。それに、最近は簡単なお料理できるようになってるんですよ!」
「あー、ママが色々教えてくれてたな」
「はい! トマトスープはお店で出しても大丈夫って言ってくれました!」

 えっへん、と胸を張るキャットに笑い、フォックスは手拭で手を拭いてからキャットの頭を撫でてやる。

「じゃあ、今晩早く帰れたらキャットにスープ作ってもらうか」

 キャットの目が輝く。
 近頃でもなく昔からキャットの趣味は「お手伝い」である。それが最大限発揮できる機会に恵まれて喜ばないわけがない。

「今晩無理でも明日の朝があるからな。俺たちの帰りが遅かったらちゃんと寝るんだぞ」

 皿を拭き終えたダーティベアも先ほどまで座っていた椅子に戻りながら言う。放任気味の保護者だが押さえるところは押さえるのがダーティベアだ。
 舞い上がっていたキャットはきりっと真面目な顔をして「了解です!」と頷く。手伝いができるのはうれしいが、保護者の言いつけのほうが重要である。

(ほんとう、なんでこんな子に育ったんだ)

 フォックスは内心で数年抱いている疑問をまた沸き立たせる。こうまでいい子だと反抗期が怖い。まさか自分たちの思春期時代のような世間に対する激しい「反抗期」が訪れることはありえないと思うが、環境が環境である。なにが引き金になって非行に走るかわからない。

「キャット、そのまま育てよ」
「へ?」

 きょとんとするキャットをフォックスは願いを込めて抱きしめるが、直後にダーティベアから空のカップ片手に「おい」と呼びかけられて新聞紙を投げつけることになる。本当はお望みどおり熱々の珈琲をぶっ掛けてやりたかったが、掃除するのは自分なのでぐっと我慢した結果だった。



 ダーティベアとフォックスが留守のときの定例通り、キャットはVAMPIREにいた。営業中とはいえ早い時間。店の中にはまだ客の姿がない。
 ふんふん鼻歌混じりにテーブルを拭くキャットは楽しそうで、ママは「癒されるわあ」とカウンターテーブルに肘をつきながら目を細めている。だが、不意にドアの方へ視線をやると「キャットちゃん」とキャットを呼び寄せた。

「なんですか、ママ」
「お使いお願いできるかしら」
「はい! なに買ってくればいいですか?」

 ママはメモにきれいな字で必要なものを書くと、猫型のがま口財布と一緒にキャットに手渡す。

「そんなに重くないけど、あちこち周らなきゃいけないからクロちゃんと一緒に行く?」
「ひとりで大丈夫です!」
「そう。じゃあ、お願いね」

 くしゃくしゃと頭を撫でてもらったキャットは布巾をきちんとしまってからママに手を振り、店を出て行く。治安のよくない街だが、キャットは「あの」ダーティベアの養い子だ。手を出す輩はいない。いたとすれば相当なもぐりだし、周囲の人間はここぞとばかりにダーティベアに恩を売るためキャットを助けるだろう。
 そうしてママがキャットを送り出してしばらく、店のドアが開いた。

「いらっしゃい――刑事さん」

 くちなわは微笑して「先日はごちそうさまでした」と会釈する。

「今日は時間、大丈夫ですよね?」
「ええ、戸口の札は営業中のはずよ。いまメニューを持ってくるから好きな席にどうぞ」
「ではこちらで」

 くちなわは迷うことなくママが座っていたカウンター席の隣につき、カウンター奥から手渡されたメニューに目を通す。

「そうですねえ、珈琲とアボガドシュリンプのクロワッサンサンド、あとはプーティンで」
「了解よ」

 ママが準備を始めている間、くちなわはぐるり、と店内を見渡す。前回来たときに見かけた情報屋の姿はない。くちなわは情報屋まで積極的に淘汰する気はない。もちろん、足がついた情報屋が目の前にいるのであれば別だ。しかし、違法な情報収集をした証拠のない情報屋ならば時には自身も利用する。

「今日は蝙蝠がいないんですね」
「ああ、あいつ」

 あいつ、と気安いともつっけんどんともいえる言い方に、くちなわは器用に片眉を上げる。

「そうね、もう少ししたら来るんじゃないかしら」
「あっさり話してしまわれるのですね」
「別に匿ってるわけじゃないもの」
「なるほど」

 情が薄いわけではない。ただ区別がはっきりしているだけだろう、とくちなわはあたりをつける。

「はい、珈琲とクロワッサンお待ちどうさま。プーティンはもう少し待ってちょうだい」
「ありがとうございます」
「うちはパンから手作りなのよ」
「それは楽しみですね」

 くちなわは早速クロワッサンサンドに齧りつき、そのさくさくした歯ごたえに顔を綻ばせた。

「とても美味しいです」
「……そう」
「どうかなさいましたか?」
「いえ、とっても美味しそうに食べるのね」
「事実、美味しいですから。珈琲もいい豆を使っていますね。とてもいい香りだ。料理が上手なひとは心がやさしいひとだと思います。そうでなければいい加減な仕事をしてこんな味にはならない」

 ママは頬を染めて絶句するが、くちなわはさらに口を開く。

「前回も思いましたがあなたの作るもの、私はとても好きなようです」

 ママは思わずカウンターテーブルに両手をついて俯く。

「け、刑事さん、あなたのそれは通常運転なのかしら……」
「なにかおかしなことを言いましたか? ああ、そうですね。あなたを前にすると些か饒舌になっているかもしれません」

 とうとうママは耳まで赤く染めて、プーティンが温め終わったとオーブンが告げるまで黙り込んだ。

(あああ、キャットちゃん早く帰ってきてちょうだい! そうでなければクロちゃんたち早く起きてきて!!)

 ばくばくと煩い心臓に堪らず内心で救援を願ったママだったが、どちらもくちなわが悠々とプーティンを食べ終わり帰るまでやってくることはなかった。

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