小説
迫り来る彼
・不良と生徒会長の話


 喧嘩に明け暮れた挙句疲れて芝生の上で寝転がっている穂波は、近づいてきた足音に視線を向けた。

「またあんたか」

 視線の先、止まった革靴の上を見やった穂波は、もはや見慣れてしまった智一の顔にため息を吐く。対する智一もため息を吐いて、その場にしゃがみ込んで穂波の顔をのぞきこむ。

「お前はまた喧嘩か」
「悪いかよ」
「一般的には悪いだろうな。風紀が乱れる」
「生徒会長様が風紀委員長みたいなこと言ってら」
「生徒会の人間が生徒の模範にならずしてどうする」

 ご尤も過ぎる正論に穂波は口を閉ざし、ふい、と智一から顔を背けた。口で敵わないことはよく分かっている。
 だが、顔を背けても智一は立ち去らない。どころか殴られて腫れた穂波の頬をそっと撫でる。

「保健室に行かないのか」
「あの保険医サドだから嫌だ。消毒液ぶっかけてきやがる」
「じゃあ俺が手当てしてやるから立て」

 穂波は胡乱な顔で智一を見上げる。

「目の前で怪我をしている生徒を放置できるわけがないだろう?」
「手当てするったってどこでだよ」
「生徒会室、俺の部屋、お前の部屋、どこでもいいぞ」
「却下。生徒会室は一般生徒達入り禁止だろ。お前の部屋に俺みたいな不良生徒が入るとこ見られたらあんたの立場がなくなるぜ。俺の部屋でも同じだ」
「なんだ、俺の心配をしてくれるのか?」

 くすくす笑う智一に否定するのも面倒くさく、穂波は目を閉じた。

「こら、寝るな」
「いい加減、失せろ」
「お前の手当てをするまで失せる気はないさ」

 無視すると腕をとられた。そのままぐい、と引き上げられ、無理やり上体を起こされられる。あちこち軋んで痛み、反抗するのを穂波は諦めた。



「それで、間をとって風紀にきたん?」

 突然やってきた生徒会長と不良に風紀委員長である松見は驚いた様子もなくのほほんと理由を聞いて、机に頬杖をついた。

「ここだったら救急セットも置いてるしな」
「せやな。そこの不良くんみたいなん確保がてら治療するのによう使うわ」

 けらけら笑い、松見は渋い顔をしている副委員長の野中に「持ってきてやり」と指示を出す。野中は「うちは保健室じゃないんですけどね」と舌打ちして救急箱をとりにいく。

「にしても珍しいなあ、自分そんな親切な性格とちゃうやろ」

 智一に向かって言う松見に穂波も内心で頷く。智一は不親切でも冷酷でもないが、率先してお節介を焼きたがる性格ではないと思う。

「惚れた相手が怪我してりゃ親切心のひとつも湧くだろう」

 穂波は吹き出した。
 なにか、とんでもないことを聞いたような気がする。

「ああ、やっぱりかあ。自分、よく窓越しに穂波のこと見とったもんな」
「なんだ、気付いていたのか」
「見回りでちょっとな」

 かんらかんらと笑う松見を穂波は信じられないものを見るような目で見る。それからゆっくりと智一に視線をやるのだが、智一は爆弾発言をしたとは思えないほど態度を変えずに「うん?」と小首を傾げる。

「いやいやいやいや、俺を好きとかねえだろ」
「それでは俺がなんのために毎回喧嘩を終えたお前に会いにいってると思ったんだ」
「き、気まぐれ?」
「回数の多い気まぐれだな」

 くっくっ、と智一が喉で笑ったところで野中が救急箱を持って戻ってきた。

「どうぞ」
「……どうも」

 受け取ろうとした救急箱は、そのまま智一が受け取った。

「おい」
「自分じゃやりにくいだろう」

 穂波はぐっと歯を食い縛り、その瞬間痛んだ頬に顔を顰める。智一は「いわんこっちゃない」と肩を竦め、消毒液や脱脂綿を手際よく取り出していく。

「なんや見せ付けられてる気分やなあ」

 頬杖つきながら眺めてくる松見に野中が「だったら追い出しましょうよ」と提案するが、松見は「まあ、手当てが終わるまで我慢してやろうや。いま動かすんがじゃんくさい」と言って手をひらひら振る。野中は不満そうだったが、それは渦中の穂波も同じだった。
 擦り傷を丁寧に消毒して絆創膏を貼っていく手はまさしく慰撫に違いない。

「頬、肌弱いほうか?」
「知らね」
「じゃあ、湿布はやめておこう。氷で冷やすからちょっと待ってろ」
「はあ?」
「生徒会室にも俺の部屋にも連れて行かれる気はないんだろう? だったら俺が行って氷を持ってくるほうが早い」

 言うが早いか立ち上がった智一はさっさと風紀委員室を出て行ってしまう。

「あーあ、完璧に流されとるやん、自分」

 松見がおかしそうに言うのに腹がたって睨みつければ、松見は「おおこわ」と大げさ身体を竦ませた。

「でも、自分流されたほうが楽やで」
「お断りだ」
「それをあいつは断るやろな。昔からこうと決めたら実行するんは変わらん。
 あっちは生徒会長、自分は不良。あっちから構いつける理由はいくらでもあるわ。
 野中、賭けでもせえへん? 俺はあいつが勝つんに賭けるわ」
「風紀委員が賭け事なんてしませんよ」

 本人目の前に好き勝手言い始めるふたりにとうとう穂波は立ち上がり、風紀委員室を出て行こうとする。元々待っている必要などないのだ。

「逃げても無駄やで」
「知るかっ」

 ぴしゃりと言いつけて風紀委員室を出た穂波はそのまま教室に行ったのだが、穂波の机には智一が氷の入った袋とタオルを両手に座っていた。

「……なんで」
「お前なら絶対にこっちに来ると思ったからな」

 ――逃げても無駄やで。

 松見の言葉が蘇り硬直する穂波に近づき、智一はそっと囁く。

「さ、手当ての続きだ」

 穂波はごくり、と喉を鳴らす。

「……なんで俺なんだ」
「喧嘩してるお前を見ていたら欲しくなった。
 知ってるか、お前は殴り合いの最中笑っているんだ。その顔に惚れた。だから、俺が最中に駆けつけたことはないだろう?」

 そうだ、いつだって智一は喧嘩が終わった頃を見計らうように現れる。
 穂波はストーカー被害者よろしく、背筋が粟立つのを感じた。
 無意識に後退した穂波に智一はくくっと笑い、氷で冷えた手を伸ばして穂波の腕を捉えた。

「さ、手当てをしよう。喧嘩の最中のお前は好きだが、いつまでも他人につけられた傷を見ているのは面白くない」

 なんてことのないように腕を引く智一に呆然と引き摺られながら、穂波はとんでもない相手に目をつけられたことを悟る。
 喧嘩上等、どんな相手であろうと相手をしてきた穂波が始めて敵前逃亡をしたくなった瞬間だった。

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