小説
をんなの魅力
こどもだからかキャットの風邪は大分よくはなりはしても完治までが長かった。その間にダーティベアたちには仕事が舞い込んできてしまい、留守を余儀なくされる。
「というわけでママ、悪いんだがキャットのこと頼めねえか?」
朝早くからVAMPIREを訪れたダーティベアの頼みに、ママは莞爾として笑った。
「そういうことならいいわよう。うちには使える店員が三人もいるからついていてあげられるわ」
「悪いな」
「いいのよう、キャットちゃん一人にするほうが可哀想だもの。普段我侭言わない子に我慢ばかりさせるのはよくないわよねえ」
「ああ、そうだな」
滅多に我侭など言わずに言ったとしてもささやかなことしか言わないキャットに甘え、我慢を強いるのはダーティベアとて望むところではない。
「お土産でも買ってきてあげなさいな」
「くちなわがいないならな」
いればそんな暇はない。しかし、ママは意味深に微笑み「いないわよ」と断定する。ダーティベアがひょい、と眉を上げながら無言で促せば、ママはくい、と親指で店の隅を指す。
そこには黒いパーカーを着てフードを深く被った陰気な男がトマトジュースを啜りながら座っていた。
「……蝙蝠から『買った』のか?」
蝙蝠は情報屋だ。その情報は非常に幅広く、そして深い。ダーティベアもフォックスが掴みきれなかった情報を買うことがあるが、今回のようなことでママが蝙蝠から情報を買う利益があるとは思えない。いくらママが人情家であってもだ。
そう思って問いかければ、ママは案の定首を振る。
「世間話のついでに聞いたのよ。面白い話のひとつもなけりゃ店貸さないって約束だもの」
蝙蝠が主に仕事場にしているのはなにを隠そう、このVAMPIREである。ママはテーブルを一つ貸す代わりに金銭ではなくささやかな情報を蝙蝠から貰っている。今回もそうらしいが、なんともタイミングがいい。
「ママのそういうところはありがたいな」
「あら、そーお?」
ころころ笑いながら、ママは「キャットちゃんが可哀想だから早く行って帰ってらっしゃいな」とダーティベアを促した。ダーティベアは再度「キャットを頼む」と言付けて、VAMPIREを後にした。
「ママ」
ダーティベアを見送ったあとにかかった声に、ママは無表情に振り返る。普段のかんらかんらとした表情がなくなるとそこには完璧な黄金率が浮かび上がるのだが、声をかけた蝙蝠は少しも圧倒された様子はなくくすくす笑う。
「なんで態々おれに聞いたなんて嘘つくん?」
奇妙に訛った口調は作られたものだ。フォックスが以前訊ねたところによれば「そのほうが胡散臭いでっしゃろ」と笑いながら応えがあった。事実、その胡散臭さのおかげで蝙蝠について深く探ろうとする者は少ない。そして、たどり着いたものなどいやしない。店を貸しているママは元より蝙蝠に興味を持っていなかった。
「偶然知った、なんてくまちゃんが信用するとは思えなかったんだもの」
「偶然で知れる情報とちゃうやんなあ。どこで拾ってきたん?」
「秘密よ」
「ママはええオンナやさかい、秘密も魅力のひとつやね」
ママは蝙蝠にひと睨みを送ってからふん、と鼻を鳴らして出かける用意をするため、店の奥にいるクロたちに声をかけた。
くちなわがVAMPIREの前を通ったのは偶然だった。
薄暗くなってきた街中であれば昼とは違った情報が得られるのではないかと歩き回っているうちに辿り着いたのだ。だから、機会を狙ったように開いたドアに少しばかり驚いた。
「あら、刑事さん」
「ああ、あなたでしたか。そういえば此方はあなたの店でしたね」
「ええ、そうよ」
「私服のようですがお出かけですか?」
「やだ、これって尋問?」
くちなわは苦笑いする。
「そう聞こえたら申し訳ありません」
「冗談よ。知り合いの子が風邪ひいちゃって、どうしても出かけないといけない用があるっていうからその間面倒見にいくの」
「そうですか。では店は今日はしまいで?」
「店員がいるから、休みじゃないわ。どうして?」
「いえ、朝食べたきりだったので、折角なら寄らせていただこうかと」
「あら、だったらもう少し早くきて頂ければよかったのに。もうつまみくらいしか出せないわ」
「そのようですね。残念です。ああ、引き止めてすみません。早く行ってあげてください」
くちなわは一歩身を引かせてママを促すが、ママは少し考える素振りを見せてから「よかったら」と切り出す。
「まかないならあるけど。今ならお客さんまだいないから……いえ、変なのがいるけど、あれは気にしないでちょうだい」
「……よろしいのですか?」
「ええ、ちょっと待っててちょうだい」
ママは店に戻り、少しもしないで再びドアから顔を覗かせる。
「クロちゃん……店員に言っておいたから、どうぞ」
「なんだかすみません」
「いいのよ、まかないって言ってもみんなあまり食べないほうだからいつも余っちゃって」
トマトは平気よね? と訊ねるママにくちなわは笑顔で頷いた。
「じゃあ、召し上がっていってね」
「ええ、ではそうさせていただきます。夜道、気をつけてくださいね」
ほんとうは送って差し上げたいところですが、とは繋げずくちなわはただ無事に、とママを気遣う。
「私みたいなのを狙うのなんて早々いないわよ」
「そうでしょうか? 私の目にはとても魅力的な方にうつりますよ」
「……刑事さんったら口が上手いのね。うっかりのぼせないうちに行かせてもらうわ」
ひらひらと後ろ手を振り、ママは暗くなった道に溶け込むように歩き出した。
くちなわはその背中が見えなくなるまで見つめ、片手で顔を隠す。
「らしくないことを言いましたね」
普段のくちなわであれば、仕事や家の都合以外でリップサービスなどしない。それがどうしてかママを前にするとするり、と自然に言葉が出てきてしまう。しかも、リップサービスなどではなく、本心としてだ。
くちなわは「まいりました」と呟き、VAMPIREのドアに手をかけた。
とりあえずは自覚し始めた空腹をどうにかするのが先である。
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