小説
それは舌が蕩けるような(後)



「そーいえば、うちに学園の卒業生入ってきたんだけど、お前のこと褒めてたよ。人気みたいねー?」
「ありがたいことに、慕ってくれる生徒は多いようだ。先輩にも覚えていてもらえるとは、光栄だな」
「俺にとっても自慢のかわいー後輩ですよ?」
「先輩には一年しか世話になってない。その一年だって、一方的に構い倒されたようなものだ」
「購買の即売り切れ人気プリンを定期的に貢いだ俺に、なんてこと言うんだ」

 潤はさっと視線を逸らす。
 事実であり、感謝してはいるのだが、それ以外で振り回された記憶が強すぎて、純粋に認めるのは憚られる。

「いいけどねー。
 可愛げのないところが可愛いし」

 思わず料理を吹き出しそうになって、潤は弓久を睨む。
 初等部一年の頃は「かわいーかわいー」と云われ続けたが、潤が不良数名を単身で伸せるほど体が出来上がると回数の減った言葉だ。
 それをこんなところで云われるのは、不意打ちに等しい。

「こんな野郎相手になに言ってんだ」
「お前は幾つになってもかわいーよ」
「いや、年齢もだが、容姿がそもそも……」
「ああ、かわいーだけじゃなくて、エロくなったよね」

 水をぶっ掛けてやろうか、この男。
 きつく睨み据える潤に、弓久はへらり、と笑う。
 学園一の不良ですら本気で潤が睨めば多少は居心地悪そうにするのだが、弓久には全く通用しない。

「だってさー、さっきの話の卒業生ときたら、どーもお前狙ってたみたいなんだもん」
「はあ?」
「やんなっちゃうよね」
「……そーだな」
(まあ、俺がきっちり教育してあげたんですけどね!)

 不機嫌な様子を見せた潤だが、タイミングよくきた新たな料理に、すぐさま機嫌が浮上する。

「うまーい」
「お前、ほんと食べてるときのギャップあるよね」
「美味しいもの食べてるときは仕方ない」

 真顔で言ってのける潤に、弓久は苦笑いする。

(なにはともあれ、今日も満足そうだーね)

 ほっと安心した健気な弓久にも気づかず、潤は最後まで料理を満足そうに食べ続けた。



「俺、暫く立て込むから、次はいつになるか分かんない」

 会計を済ませ、結局今回も出させてもらえなかった、と少し不貞腐れながら歩く潤に、弓久は思い出したように言った。

「あっそう」
「淡白ねー」
「そう言うしかないだろうが。大体、社会人のあんたが俺を気にすることないだろ」

 ぱちり、と弓久が目を瞬かせる。
 黙りこむ弓久を怪訝に見やれば、口を尖らせて「遺憾です」と主張。

「はあ?」
「まことに遺憾です」
「なにが」
「お前はね、もーちょっと先輩心を汲むべきです。あー、もう、いまのはピクっときた。報復に美味い店に一人で行って、何処の店とは言わずに如何に美味かったかだけを詳細にメールに認め、電話で報告する」
「やめろ!」

「お前は鬼か」と叫ぶ潤に「つーん」と口で言って、弓久はそっぽ向く。

「ああ、もう悪かった」
「知らん」
「あんたはこどもか」
「お前ハブって、お前の友人まとめて誘って行く」
「悪かったから!」
「知らん」

 ついには両手を合わせる潤だが、弓久は一向に機嫌を直さない。
 本人にとっては洒落にならない嫌がらせを企む弓久に心底困り果て、潤は頭を抱える。

「どうしたら許してくれるんだ……」

 情けない声を出す潤に、ようやく向き直った弓久はつん、と口を尖らせたまま言った。なんとも腹立たしい表情だが、それに反応するよりも言葉の内容に潤は目を向く。

「ちゅーして」
「はい?」
「ちゅー」

 立ち止まったふたりを、通りすがった車のライトが照らす。

「……本気か?」
「してくれないの」

 むいっと突き出た唇をぽかっと開けたムカつく面のくせに、弓久の目は淡々と潤を見つめている。
 見詰め合って、一方は睨みつけて数十秒が経つ。
 潤は口を開いて、閉じて……。

「チュウ」

 弓久は目を見開いた。
 先ほどとは違って、ただぱかっと開けられた口がなんとも間抜けで、滅多に見れない表情に潤は「くっ」と失笑しかけて堪える。
 我に返った弓久は「あー」と意味のない音を漏らし、亜麻色に染めた髪をくしゃくしゃと混ぜる。

「おまえ、ほんっきでかわいいね」
「うるさい。繊細な思春期の男子に、あんなことさせたお前がいうな」
「ちゅう、ちゅうね。うん、かわいーよ」

 ネズミの鳴き真似上手いね。

 なぜかぐったりしている弓久に、そんなに脱力するならさせなきゃいいのに、と思ったが、また不機嫌になられても困るので潤は黙る。

「かわいーから、他の奴の前でしちゃ駄目だよう」
「誰がするか、恥ずかしい」

 再び歩みを再開した弓久を追って、潤も歩き始める。
 それを振り返り、弓久はふっとやさしく笑った。

「潤、なるべく早く美味い店に連れてきてやるから、手ぇ、繋いでよ」

 ひとの弱みに付け込みやがって、と嫌な顔をした潤だが、さっきのいまのだし、弓久にはまだまだあちこちの店へ連れてきてもらいたいので、ひらり、と伸ばされた手のひらに、潤は自分の手を重ねた。
 自分から言っておきながら目を見開く弓久に鼻を鳴らし、潤は引っ張るように先を歩く。

「そんなに美味しいもの好きい?」
「あんたと食べるものが特に好きだ」

 絶対に美味しいから、なんて言外の言葉を拾うのは簡単だが、弓久はあえてそのまま受け取ることにする。

「今月中には連れてってあげる」
「今月って、もう二週間切ってるぞ。忙しいんだろ、社会人」
「いいのいいの、社会人の本気を見さらせー!」

 きゃらきゃら笑い、潤を追い抜いて、今度は弓久が潤を引っ張る。それにむっとして、潤は足を早めて並ぶ。それを弓久が抜いて、を繰り返し、いつの間にかお互いゆっくり並んで歩き出す。
 男ふたりが手を繋いで歩いている様子に、通行人が時々驚いた顔や好奇の視線を向けるが、潤は美味しいもののこと、弓久は繋いだ手に夢中でちっとも気にならない。

 しっかり繋いだ手は、ふたりの歩くのに合わせて小さく揺れていた。


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あきゅろす。
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