小説
甘露〈カフェ未来〉



 高槻会若頭の座がいよいよ目前に迫り忙しい中、四季の携帯電話に連絡が入った。敢て登録していない番号に携帯電話は初期設定の着信音を奏で、四季を催促する。
 四季は携帯電話をとりだすとディスプレイに表示される番号に目を円くさせながらも急いで通話ボタンを押す。

「っもしもし?」
「よう」

 ぶっきらぼうな口調、間違いなく静馬である。
 四季は疲れも忘れて小躍りしたい気分になった。
 四季からは連絡する(というか直接会いに行く)ことはあるが、静馬からなど滅多にない。これはもう記念日として祝日認定すべきだ。本人が目の前にいれば、馬鹿を見る目で見てくるであろうことは間違いない。

「お前今度いつ来るよ」
「マスターのためなら今すぐにでもっていうか、今くらいしか暫く空いてねえぞ」
「ああ、なんかごたついてるらしいな」
「なんだ、知ってるのか?」
「古雅さんに聞いた」

 あのカマ野郎、俺がいないうちに……と思いながら四季は「そうか」とうなずく。

「それでどうしたんだ?」
「いや、いい茶葉が手に入ったんで、飲みに来ないかと思ってな」
「茶葉?」
「玉露」

 祖父の伝手で個人でどうにか落札された茶葉が僅かに手に入ったのだという。
 本当に極上の茶葉というのは市場に出回らない。なので日頃舌の肥えた四季でも満足できる品だと静馬は断言した。

「そりゃうれしいが、なんで俺なんだ?」
「これの良さが分かって日本茶好きそうなのがお前くらいだった」

 店ではエスプレッソばかり頼んでいる四季だが、なにかの折に日本茶も好きな旨を話したことを静馬は覚えていたらしい。
 四季は喜んでテッセンに向かうと意気込んだ。

「んじゃ茶菓子よろしく」
「練りきりでいいか」
「お前の食いたいもんでいいよ」

「じゃあな」と言って静馬からの通話が切れる。
 四季はふんふん鼻歌を歌いながら子分の一人に声をかける。

「いますぐ赤坂の茶道家御用達の店で練りきり買いに行くぞ」



 テッセンを訪れるのは久々である。なんやかんやひと月は顔を出していないかもしれない。
 四季はどこか懐かしいドアベルの音に顔を緩ませながらカウンター奥にいる静馬に声をかける。

「よう、マスター」
「おう」

 丁度茶器の準備をしていた静馬は片手を上げて挨拶をした。四季だけではなく静馬も機嫌がいい。よほどいい茶葉が手に入ったのだろう。

「いやあ、この茶器使えるのも嬉しいわ」

 取り出されたのは小ぶりの急須と玉露椀だ。四季は品のいい深緑の急須にさっと頭のなかで相当の品だと見当をつける。

「玉露だぜ、玉露。そりゃもう金網ついた急須なんて使えねえよ」

 そういって見せられた急須の内側は、注ぎ口部分が陶器で網のように作られている。最近の急須はこういった手の込んだ仕事はされず、金網がついているものだが静馬はよほど茶葉が可愛いらしく茶器もおとっときのものを出したらしい。

「マスターが日本茶にそこまで愛着あるとは知らなかったぞ」
「あー、珈琲もいいがやっぱ日本茶は別だろ。
 ほら、見ろよこの茶葉」

 今度見せられたのは小さな桐の茶筒。中には深いふかい緑色をした針のような茶葉が入っている。
 美しい色合いにふわりと香る匂い。確かに極上品だ。

「一煎目もいいけど、やっぱり二煎目が最高なんだよなあ。使った茶葉はあとでふりかけにして食べるんだ。ああ、そうだ茶菓子は?」
「これだぞ」
「……気合いれたな」
「そりゃマスターがこんなに浮かれるほどだからな、変な品は持ってこれねえぞ」
「今だけお前のこと好きになれそうだわ」

 包装紙の店名を見て一瞬固まった静馬だが、すぐに菓子皿を用意する。

「じゃ、淹れるか」

 静馬は急須に湯を入れて暫く待つと、今度は湯のみにその湯を注ぎ、温まった急須に茶葉を入れて蓋をする。それから一分少々してから湯のみに入れた湯を急須へ移してまた少し待った。
 蓋に軽く手を置いていた静馬はいまが頃合と見計らうと湯のみにゆっくりと茶を注ぎ始める。

「はいよ」
「おう」

 菓子皿の乗った小さな盆に湯のみを置いてそのまま渡された四季は盆を受け取り、カウンターテーブルの上に置く。普段は香ばしいエスプレッソの香りが漂っているはずだが、今日はしん、と品のいい茶の匂いが四季の肺を満たした。
 小さな湯のみのなかには独特の黄色味がかった玉露が注がれていて、四季は目を細めながら湯のみを両手で包んだ。温度も丁度いい。

「じゃ、いただきます」
「おう、そうしろ」

 口に含んだ瞬間、四季は目を見開く。
 ふくよかな香りに、驚くのはどこか抹茶を思わせる風味。それもそのはず、玉露が出来上がるまでの工程は抹茶と途中まで同じである。

「あー、美味い」
「だろう!」

「ああ、もう最高」と自身も飲んだ静馬は上機嫌そのもので四季が持ってきた練りきりをくろもじで切り分けて食べる。そしてまた湯のみに口をつけて「ふはあ」と息を吐く。

「美味い茶に菓子……なんだこれ、極楽か」
「淹れてくれたのがマスターっつうのもあって、俺にとっちゃ天国だぞ」

 玉露は並々注いで飲むものではないので、ふたりの湯のみは間もなく空になる。
 いよいよ二煎目を淹れた静馬はそれだけで四季には来た甲斐があるような笑みを大盤振る舞いして湯飲みを傾けた。

「あー、甘露かんろ」
「まったくだ」

 場合によっては物騒なことを目前に控えている四季だが、この瞬間ばかりは心泰平に茶を楽しむ。
 静馬と出会って数年、もっとも穏やかな時間であった。

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あきゅろす。
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