小説
交差のこと



 俺が所属している組は三次団体だ。
 明日は二次団体の本部長が来ると兄貴が言っていた。お茶酌みはなんと俺。勘弁してほしい。緊張のしすぎで湯のみをひっくり返したらどうなることか。
 そんなことをちい先生にこぼしたら、ちい先生は「いつもの米くんでいればいいんだよ」という。

「それが難しいんだよ」
「相手さんが偉いひとって思うから緊張しちゃうんじゃない?」
「実際偉いひとなんだけど」

 確か、本人が辞退しなければ若頭に就いていたようなひとだったはず。はず、なんてあやふやな知識で俺本当に駄目だ。明日が俺の命日かもしれない。

「なにを馬鹿なこと言ってるの」
「ばかだもん」
「だもん、なんて可愛い言い方したって明日は来るんだよ」
「うわあああ、ちい先生どうしよう」
「どうしようもないから、できるだけ普段どおりに振舞うしかないってば。そのひとは長居するのかい?」
「ううん、忙しいひとだからのんびりはしないと思う」

 うん、本部長は実質何でも屋みたいなもんだから、普段から忙殺されてるはずだ。だから、のんびりゆったりなんてしてる暇はないと思う。

「だったらしょっちゅうお茶を淹れるわけじゃないでしょう」
「……うん」

 そう、回数が少なければ失敗の可能性だって低い。

「そもそも失敗前提で話すことがおかしいよ。米くんは初めてお茶酌みしたときトラウマでもつくったの?」
「ううん、大丈夫だった」
「なら今回も大丈夫さ」

 なんたって米くんは器用だもの。
 そういうちい先生はちょっとだけ拗ねた顔をする。多分、ちい先生がルービックキューブの一面を揃える間に俺が全面揃えてしまったときのことを思い出しているのだろう。あのときの唖然としたちい先生の顔は忘れられない。そのあとすぐに「すごいすごい」とはしゃいでいたのだけど、自分のルービックキューブが中々できないとなるとしょんぼりしていた。
 以来、時々俺はちい先生から挑戦を受けるけど、今のところ俺の勝率は百パーセントだ。大人気ない? ちい先生に手抜きするほうが失礼だ。それに知恵の輪だったらちい先生圧勝だし……。

「それにしても米くん」
「なに、ちい先生」
「ほいほいヤクザを名乗っていいのかい」
「……ちい先生だからいいの!」
「信頼してくれるなあ」

 ちい先生は困ったように笑い「でも他の人に言ったら通報されちゃうよ」とだけ忠告してくれた。そうなのだ。いまのご時勢、ヤクザと名乗れば恐喝で手が後ろに回りかねないのだ。だから俺は真剣に頷く。

「その調子だよ」
「へ?」
「そうやって真面目にしてれば失敗なんてしないさ」

 言われて思い出す明日のこと。
 そっか。この調子でいいのか。単純な俺は頷き、ちい先生にお礼をいう。いつだってさり気なく導いてくれるちい先生のありがたさったら!
 俺の感激に気付かず、ちい先生は長閑な様子で空を見上げる。

「どんなひとが来るんだろうねえ」
「俺は会ったことないし、兄貴も肩書き以上のことを教えてくれなかったんだ」
「そっか。横暴なひとじゃないといいね」

 それは無理かもしれない。だってヤクザは横暴なもんだ。たまに「善良な市民」のほうが横暴なときがあるけれど。ヤクザはヤクザというだけで爪弾きもいいところ。それでもヤクザで在り続けるのは馬鹿なんだろうとは言わないで欲しい。だって、ヤクザになるしかなかった人間は確かにいるんだ。例えば俺みたいな奴とか。
 少しだけ俯いた俺の膝にちい先生がぽん、と手を置く。

「厳しいひとが来ないといいね」
「うん」

 頷いた俺は知らない。
 真面目に一所懸命お茶を運んだ先にいる本部長がオネエだなんて、全く以って知らないのだ。

「お茶を零さないのが奇跡だったよ……」
「おやまあ」

 ひと仕事終えた俺に兄貴はいつもより多い昼食代をくれたので、俺はごっそりとパン屋で買い物をしてちい先生と食べた。
 俺の疲労はあんぱんの甘さも分からないほどだったけど、ちい先生がちまちま胡桃あんぱんを食べてるのを見ているうちに、あんぱんの甘さが分かるようになった。
 小難しい哲学を捻るくせに、ちい先生は癒し系だったらしい。

 きっと多分、俺にだけの。

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あきゅろす。
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