小説
蛇と狐



 くちなわが現場に到着すると、通り魔と思しき男は既に取り押さえられていた。しかし、取り押さえているのは警察の人間ではない。恐らく一般人だ。見事な赤毛の優男だが、力が強いのか男はもがいているものの一向に抜け出せる気配がない。

「失礼」

 人混みを掻き分けて近寄れば、取り押さえる手をそのままに顔を上げて緑色の瞳と視線が合う。その目が一瞬揺れたように見えるのは気のせいか。

「通り魔はこちらの男ですね?」
「ああ。刃物ぶん回してるところを押さえた」
「危険なことを……いや、ご協力感謝します」

 くちなわは部下に指示を出し、男に手錠をかける。それからようやく赤毛の男は立ち上がった。

「事情聴取を願いたいのですが、お時間のほうよろしいでしょうか?」
「あー……こどもを迎えに行く途中なんだけど」
「そうですか、では仕方ないですね」
「あっさりしてるがいいのか?」
「任意同行ですから」
「なるほど。じゃあ、行かせてもらうぜ、刑事さん」

 去っていく赤毛の男の背中をくちなわはじっと見る。

「先輩、どうかしたんですか?」

 いつまでも立っているくちなわに部下が声をかけるが、くちなわは曖昧に首を振る。

「いえ――なんでもありません」

 するり、袖口から蛇がのぞいた。



 今日の仕事はダーティベアだけで向かっていた。フォックスの補助がいらない仕事は珍しくない。その間、フォックスは次の仕事の情報を調べるか、キャットの面倒を見るかなのだが、今回は前者だった。キャットをいつも通りママに預けて後ろ暗い連中の多い道を歩き回り、ようやく街に戻ってきたと思えば刃物を振り回す男と遭遇という不運に見舞われる。
 挙句の果てには駆けつけた警察がくちなわとくれば、フォックスは自身が本日の星座占い最下位であることを確信するしかない。フォックスは自分の誕生日など知らないのだけど。

(怪しまれてはいないはず……いや、くちなわのことだ)

 この街には後ろ暗い連中が多い。フォックスもその一人として見られてもおかしくない。情報収集のため特徴のない格好をしていたのもくちなわの目には怪しく映ったかもしれない。
 だが、考えたところで仕方ない。
 フォックスは悪態をつきたいのを堪えながらVAMPIREへと足を向けた。



 ママがVAMPIREに戻ると、キャットがテーブルを布巾で拭いていた。

「あ、ママ! おかえりなさい」
「ただいま、キャットちゃん。クロちゃんは?」
「クロさんならアンブルーさんとルシャさんを起こしに行きました」
「小さい子置いて仕方ないわねえ」

 言いながらもママは大した危機感を抱いている様子がない。まるで、店のなかで何事かの荒事が起きるなどありえないとでもいうように。
 だが、幼いキャットにはまだそこまでの機微を読むことはできず、小首を傾げて「なんにもありませんでしたよ?」と報告するのみだ。

「それならよかったわ。お手伝いありがとうね」
「僕でできることはなんでもやらせてください」
「うふふ、ほんとうにキャットちゃん善い子ね。どうやったらこんな子に育つのかしら。反面教師?」

 布巾を握り締めて見上げてくるキャットの頭を撫でながら、ママはふと自分がくぐってきたばかりのドアを見遣る。

「キャットちゃん、そろそろ狐ちゃんが帰ってくるからご飯作りましょうか」
「はい!」
「先にお花飾っちゃうから、準備だけお願いできる? 今日はミルクリゾットにしましょう」

 キャットは頷いて残りのテーブルを手早く拭き終えると、手を洗いに小走りにカウンター奥へと引っ込んだ。ママはそれを微笑ましく見遣り、買ってきたばかりの花を抱えなおしながら自分もカウンターの奥へと向かい、ゴミ箱の前でバラの茎を適当な長さに手折っていく。

「ママ、人参使いますか?」
「使うわよー。キャットちゃん平気だったわよね?」
「はい、人参さん好きです」
「でもピーマンは苦手なのよね」
「も、もう大丈夫、です……」

 自信がなさそうに言うキャットだが、嫌いな食べ物でも残したことはない。苦くて苦手なピーマンだって時間をかけて涙目になりながら食べるのだ。
「だって、狐のおじちゃんやママがせっかく作ってくれたんです」という「残してもいい」と言われたときの返しにはダーティベアですら目頭を押さえたものだ。
 本当にどうやったらこんな子に育つのだろうか、と自身の子育て経験からしても未知の成長を遂げたキャットに首を傾げながら、ママは花瓶にバラを活けた。

「キャットちゃん、きのことさやえんどうだけ切っておいてちょうだい」
「他のもできますよ?」
「人参は硬くて危ないし、玉葱は目に染みちゃうでしょ。狐ちゃんが帰ってきたときびっくりしちゃうわ」
「……はい」

 ちなみにベーコンは最後だ。
 キャットのはにかんだ返事にママが微笑みながら花瓶を飾りにカウンターを出たところで、ドアが開いた。

「よう」
「あら、おかえりなさい、狐ちゃん。丁度話していたところよ」
「狐のおじちゃんお帰りなさい!」
「ただいま」

 フォックスは笑いながら店の中に入ると、若干疲れた様子でカウンター席につく。

「なにかあったの?」
「通り魔とくちなわに遭った」
「あら、まあ……」
「怪我はしてませんか?」
「大丈夫だよ、キャット。お前も怪我しないようにな」

 包丁を扱うキャットに注意を促すフォックスに従い、キャットは心配そうに上げていた顔を包丁とまな板に戻した。

「バレていないでしょうね」
「俺は顔割れていないはずだから大丈夫だとは思う……」
「でも、後ろ暗い連中の一人とは睨まれていそう、なのね」
「実際その通りだからな」

 肩を竦めるフォックスに曖昧な顔をして、ママはカウンター奥へ戻る。キャットと少し離れて切るのは玉葱だ。

「ミルクリゾットすぐできるから、食べたら早く帰ったほうがよさそうね」
「ああ。食い終わる頃にはくちなわも撤収してるだろ」
「すぐ作ります!」
「慌てて手、怪我するなよ」
「はい!」

 張り切った返事にフォックスとママは苦笑いした。

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