小説
薔薇と蛇
ママは店に飾る花を買いに花屋を訪れていた。
「いまは温室栽培が発達してるから色々あるのよねえ」
旬から外れた花も容易に手に入る。それがいいことか悪いことかはこの際脇に置き、ママは花屋独特の香りにすん、と鼻を鳴らす。
「ママ、今日はどうします?」
顔なじみの店主が気さくに話しかけてくるのにママは「そうねえ」と悩みながら真っ赤な薔薇を指差した。
「それ、五つちょうだい」
まだ咲き切っていない花は飾るのに丁度いい。店主は手際よく薔薇を五本選ぶとくるくる包装紙に包んだ。
代金を支払って花束を受け取ったママは陽気な外へと眩しげな顔をして歩きだす。花屋はひんやりしていたが、外は風こそ若干冷たいが気温は温かい。
「いやーね、日焼けしちゃう」
ぼやきながらママは小脇に挟んでいた帽子を取り出して被る。顔に日差しがかからないだけでも随分とほっとした。日焼けはオンナの大敵だ。
だが、天気がいいのは嫌いじゃない。じめじめした湿度の高い日よりも、からっと晴れたほうがずっといい。
花束を抱えなおして街を歩くママは、腕時計を確認する。それほど花選びに迷わなかったおかげで時間に余裕があった。
「いつもと違う道行ってみましょ」
探検たんけん、と歌うように呟いたママはいつもならば右へ曲がる道を左へと向かう。それだけでも景色は新鮮なものに変わり、ママの胸を弾ませた。
ママは新しいものが好きだ。古いものだって嫌いではないけれど、いずれは飽きてしまう。珍しいものではなくなってしまう。だから新しいものが好きだ。この街に来たのも前にいた場所に飽きてしまったから。と、言っても、ママは随分前にこの街を訪れたことがあった。その時は深い交遊などそれほど築いていなかったのでママを覚えているひとはいないだろう。
いたとしても――
「きゃっ」
考え事をしながら歩いていた所為か、ママは曲がり角でひととぶつかりよろけた。あわや転倒かと思われたが素早い腕に体を支えられ、引き起こされることで事なきを得た。
「申し訳ありません、お怪我は?」
「いいえ、だいじょう……」
「おや、奇遇ですね」
ママを支えているのはくちなわだった。
赤い目を一瞬見開くママは慌ててくちなわから距離をとる。
「ご、ごめんなさい。前方不注意だったわ」
「いえ、こちらこそ。ああ、花は潰れていませんか?」
言われてはっとしたママは花束を確認するが、どれも無事なようだ。ほっとして「大丈夫よ」と返せばくちなわも安堵のため息を吐く。
「刑事さん、またお仕事かしら」
なんとなくこのまま立ち去るのが気まずくて、ママは問いかけてみた。
「いえ、今日は休日で弟のところに顔を出しに行ったんです。この先にある教会なんですが、そこで神父をやっているんですよ」
「へえ、教会で……」
ママは引き攣りそうになる顔を必死で堪えた。
こちらの通りに来るのは初めてだったので、教会があるなど知らなかった。長いことこの街に住んでいるというのに、なんたることか。しかし、次のくちなわの言葉でママは自身の「失態」ではないと安堵する。
「最近出来たばかりなのでまだ新しいですが、熱心に通ってくださる方も増え始めたようで、身内のことながらありがたいことです」
「あら、新しい教会だったの」
「ええ、ほんの二ヶ月ほど前に。そういえば来週バザーをやるようなことを言っていたので、よろしければ参加してみてください」
「うふふ、時間があれば行ってみるわ。
あら、時間といえばそろそろ……じゃあ、私はこれで失礼します。刑事さんもお仕事無理しないでちょうだいね」
「ええ、あなたもどうぞ無理はほどほどに」
腕時計を確認して軽く会釈をするママに、くちなわも会釈を返す。
そうしてすれ違う刹那、くちなわが立ち止まった。
「なにか?」
つられて立ち止まったママが振り返れば、くちなわは淡く微笑んだ。
「いえ、薔薇の香りがよく似合う方だと思いまして」
「…………ありがとう」
「では、失礼」
今度こそ背を向けたくちなわをママはばら色に染まった顔で見送り、暫く立ち尽くした。
「なによ、反則じゃない」
オカマということで馬鹿にされたことは散々あるが、ここまで全く気にされず、しかも打算ではなく自然に褒められたことは初めてだった。
ママは中々熱の引かない頬を手の甲で冷やし、ぎこちない動作で前を向くが、歩き出した両手足は同じ側が揃って動いていた。
ママがどうにか動き出した頃、くちなわは一瞬振り返ってから両手を見下ろす。
「……案外軽かったですね」
抱きとめた感触がなぜかまだ腕に残り、くちなわは少しだけ落ち着かない気分だった。なぜ落ち着かないのかは分からない。こんな感覚は初めてだった。
しかし、その感覚を深く探る前に襟に付けていた通信用メダルが点滅したことでくちなわは刑事の顔になる。
「はい、こちらキング。なんですって? 通り魔? はい、至急向かいます」
通信を切って、くちなわは走り出す。
どうやらくちなわの休日はこれで終わりのようだった。
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